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前方後円墳の起源は壺?

 今日(1月20日)のNHK「歴史ヒストリア」では前方後円墳の起源について、「壺型説」を取り上げていた。

 まず典型的な巨大前方後円墳である「箸墓古墳」を例に出し、その築造年代を3世紀半ばとしたうえで、「日本独特の前方後円墳はどのようにデザインされたのか、上空から見ると壺のようですありませんか」と紹介した。

 確かに長頸の壺に似てはいる。

 さらに中国の3世紀に作られたという「壺の上に不老長寿の仙人たちが乗った『神亭壺(シンテイコ)』(浙江省出土)」という遺物を取り上げ、壺は不老長寿のシンボルであり、その頃の中国人は来世と重ね合わせてみていたともいう。

 元同志社大学の教授だった人は「東王父(トウオウフ)」という古代中国の伝説に登場する神人を引き合いに出して、
 「古代中国人は東の海中に壺型の霊山があり、そこに不老長寿の仙人たちが住んでいるとするが、その思想を倭人が取り入れてあのような壺型の前方後円墳を創造したのだろう」
 と解説した。

 しかしこれはおかしい。もしそうであるならば中国大陸人こそがまず壺型の墳墓すなわち前方後円墳を造っていなければならないからだ。

 中国の浙江省でもどこでもよいが、日本列島のものより古い前方後円墳のような墳墓が発見されているならば、「ああ、たしかに中国大陸で造られたものが日本へ移入され、それが日本で巨大化して独特の前方後円墳になったのだ」とはいえる。

 中国大陸で不老長寿の仙人たちを乗せた壺が作られているからと言っても、そもそも焼き物の壺と大土木工事を必要とする前方後円墳とはスケールよりも前に概念が違うではないか。

 日本の巨大前方古墳の多くが周濠を持ち、水をたたえていることを海になぞらえ、「北部九州の古墳でよく見られる彼岸(来世)に渡る船の絵図」にあるように、大王のお棺をそのような船に乗せて周濠を渡り、後円墳の頂上まで引き上げて埋葬したとするが、全国に4000基もあるとされる前方後円墳の中で、周濠に水をたたえているのは河内と大和地方の大型墳だけであり、残余の数千という数の水をたたえない前方後円墳群から見ればむしろ例外に属している。

 畿内の大型前方古墳で周濠に水をたたえているのは、海を模したわけではなく、単に地下水位が高かったが故の自然現象だろう。その地方の灌漑用に水をためておいたという考えもあるくらいだ。

 もし中国古代人たちが、「来世を意味する仙人たちが壺型の宮殿に住み、東へ海を渡ったところにある「東王父の住むという壺型の島」があると考えたのならば、思想だけが日本列島へやって来たというより、中国古代人そのものが日本列島に渡来し、理想の「壺型古墳」すなわち前方後円墳を築造して自らを埋葬した――と考えなければ整合性は得られまい。

 果たして、日本独特のと形容の付く前方後円墳の初期のころの墓主は中国古代人だったのだろうか?

 今日の番組を見ればそういう流れになっていなければおかしいだろう。倭人はどこに行ったのだ!?

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