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また魏志倭人伝のクニ?

 滋賀県彦根市の「稲部遺跡」で弥生時代後期の巨大建物のあとが見つかり、識者は「魏志倭人伝に掲載されている倭人国家30国のうちの一つかもしれない」と無責任な発言をしている。

 魏志倭人伝の解釈から邪馬台国とその連盟国群30国はすべて九州島に存在していることが分かり、畿内は全く埒外であったにもかかわらず、何とかして畿内大和に邪馬台国があったとしたい「邪馬台国畿内説」の悪あがきでしかない。

 そもそも「大和」と漢字で書いて「やまと」となぜ読むのかに疑問すら持たない考古学的な「大和中心主義者」の心情や哀れというほかない。

 「大和」は九州北部にあった倭人伝記載の「大倭」勢力が畿内に移ったのちに、相当あとになって転訛命名されたのであるが、その「大倭」を名乗ったのは北部九州糸島(五十=イソ)を足掛かりに北部九州の一大勢力となり、同じ筑紫国(ほぼ今日の福岡県)の南部(筑後)八女にあった邪馬台国を保護国同然に支配した崇神王権なのである。

 その崇神王権が半島情勢のひっ迫(魏の司馬懿将軍による半島南下攻略=240年代)に危機感を感じた糸島(五十=イソ)から畿内に東遷したのは250年代以降である。

 崇神王権は大和に入ってから橿原に最初の王権を築いた南九州投馬国勢力と向かい合う形で纒向を中心に根拠地を設けた。

 この纒向王権は次代の垂仁天皇のときに、ついに橿原王権の最後の王であるタケハニヤスとアタヒメの王朝を駆遂した。

 しかし崇神王権も5代後の応神天皇(神功皇后)の勢力にやぶれているから、畿内王権といえども当時は半島情勢とのかかわりから、かなり流動的な側面がある。


 「大和中心主義者」の心情や哀れ――などと書くと、私が全く大和王権を認めないか、かなり反大和的である、などとおしかりを受けるかもしれないが、それはあくまでも考古学的な大和中心主義に対してのもので、本人は至って日本中心主義である。

 何でも大和地方や畿内でこういった考古学的な発見があるとすぐに、「それ、畿内に邪馬台国が見えた」風な報道は厳に慎むべきだと思っているのだ。

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