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鹿屋市への提言

 鹿屋市に住んで丸14年、今年で15年目。

 その間10年前の平成の大合併が最も大きな変化であった。

 鹿屋市がついに10万都市の仲間入りをしたのである。

 10万の人口では政令指定都市になるわけではないので、合併のメリットはほぼ行政関連費用の削減に限られる。

 4市町の合併であったから、首長層(市町の執行部)が原則で4分の一になり、議員定数も半分以下になったので、これに掛かる経費は相当な削減になった。

 しかし市町の職員に関しては被合併町の旧役場が「支所」として生き残っているから、さほどの削減にはなっていない。

 何でも削減すればよいというものではないが、この首長層の削減で浮いた予算を市民サービスに有効に使おうという議論があってよい。


 ここからは提言になるが、市民サービスとは市民のためになるサービスのことで、鹿屋市では次にあげるサービスが最も欠けており、

 1、短大・専門学校・大学等の高等教育機関がない。
鹿屋体育大学・鹿屋市看護専門学校などはあるが、多くの鹿屋市民の子弟・子女は結果として対象から除外され、県外の高等教育機関に送り出し多額の教育資金を他県に送っているような状況である。

(解決策)高等教育機関の誘致または新設。
→具体的には、県立大学・短大の新設・誘致。または、市立女子高の専門学校(高等専門学校)への格上げ。

 2、レジャー施設が極めて少ない。
特に、家族が一緒になって楽しめる施設は皆無に近い。
→具体的には、遊園地の建設だが、3番目の「道の駅」との複合施設として考えてもよい。

 3、「道の駅」がない。
東九州自動車道の鹿屋乗り入れと、それとつながっている「大隅縦貫道」が整備されつつある。その入り口が鹿屋市笠之原町である。これからは笠之原地区が鹿屋のみならず大隅半島全体の「へそ」的な観光的役割を担うだろうから、笠之原インターから東原インターまでのどこかに新設すべきである。

 2と3を複合させても面白い。巨大な観覧車や、ジェットコースターなど子供の遊べるレジャーアイテムが付設されれば、それだけでも人の出を誘い、道の駅としても極めてユニークな施設として全国から、少なくとも九州圏からの集客は相当に見込めるだろう。観光客の絶対数増加こそが活性化のすべての原点なのだ。

 また、ちょうど30年前の3月に大隅半島から鉄道がすべて撤去されてしまっているから、道の駅全体を取り囲むようにミニSL・電車を走らせるのもいいかもしれない。子供を喜ばせること。これは市民サービスの重要な目録である。


 今どこの過疎地でも定住促進の諸施策を試行錯誤しているが、まずは現住の市民(子弟・子女)がこの街で学べ、家族そろって楽しめるという「自足感」を満たさなければ外に出ていくばかりだ。

 現在住んでいる市民の切実なニーズに応えること、つまり「市民ファースト」の視点が欲しい。10万都市なのに短大がない・遊園地がない・道の駅がない・歴史資料館(博物館など)がない・・・・・――とないない尽くし。これはこれで逆の意味で非常にユニークなのだが、これを積極的なユニークさに変えていかないと市民からそっぽを向かれるのではないだろうか。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

市民は元々関心ないです。あるのは自分の利益のみ。だからこうなったのでしょう。

投稿: | 2017年5月28日 (日) 23時48分

鹿屋・大隅の発展のためには

1.鹿屋・大隅の住民がよりよい地域にするという意識が必  要。権利意識ではなく全体の為の意識
2.自治体・商工会も地域のためにどうするかの意識を持   ち取り組むこと。一政治家、業者のための政策であって  はならない
3.その上で、地元が誇れるもの、人を呼べるものを構築   すること
4.上記点を踏まえて高速道等交通網の整備を行う


  これらの中には道の駅もあるが、とにかく魅力のある、人が行って見たい、泊まってみたいというものが必要。鹿屋市だけでなく大隅全体で取り組む必要あり

 かなり前から桜島架橋(現在はトンネル)構想があり、それに力を入れているが、そんな現実味のない政治家の票集めのための政策に力を入れずに、大隅は宮崎と組んだほうがましです。鹿児島中心主義の中では鹿児島市への2時間の壁は破れずに陸の孤島となっています。

 なぜ、鹿児島市にのみ目を向けるのか。都城だと現在1時間、高速の完全開通または改良によっては40分。宮崎市へも1j時間範囲内で行けます。

 鹿屋市は古代史だけでなく戦時中の遺跡も多くまとめれば観光化できます。また、自然、食べ物をうまく組み合わせれば魅力ある地域になります。グリーンツーリズムもそうです。

 当然、上記でも触れた高速道の整備、志布志港の活用。そして、鹿屋基地の民間共用化。これも目前まで進んでましたが米軍基地化で頓挫。貨物便の就航からでいいから始めるべきです。農産物の流通にかkせません。

 何よりも体育大の活用です。スポーツ産業の誘致も可能です。ミズノ等、スポーツ製品の開発、製造。各種スポーツ大会の開催。

 箱物ではなく今あるものを最大限有効に活用することです。
j

投稿: | 2017年5月29日 (月) 09時35分

今の市長になり農産物加工センターの竣工、体育大との連携(パフォーマンス研究棟の竣工)、戦跡の整備と、これまでになく進められてます。

この方向でさらに進めてもらいたいですね。できれば体育大t共に総合大学か体育総合大学への拡充、付属中学・高校の設置。肝付町の南隼が軌道に乗らない場合は文科省へ移管して体育大の付属校にした方がいいのではないでしょうか。その際には男女共学で。

東九州道が計画変更により曲がりくねり空港への短縮効果が低く新幹線効果も皆無に近い状態では企業誘致、観光客誘致も厳しい。

やはり、鹿屋の発展には交通網の整備が一番で、東九州道の宮崎への開通と4車線化を急ぐことです。そして、鹿屋基地の民間共用化。米軍訓練(又は基地化)の条件闘争として共用化を進めてもらいたい。

鹿屋の基幹産業である農水産物の都会等への出荷のためには高速交通網が不可欠で、鹿屋基地の民間共用化により貨物便が就航すれば農業所得のアップは確実。また、貨物便で様子を見ながら旅客機の就航を進めればいい。小型機でも化。

投稿: | 2017年6月 4日 (日) 08時10分

鹿屋市が重い腰を上げてやっと戦跡の観光案内に力を入れだしましたが、鹿屋市民でも鹿屋基地が国内最大の特攻基地であったことを知りません。知覧の方が大きかったと思っている人はまだしも鹿屋からも特攻が出たのですかとの意見すらある状況です。

ひとえに学習、周知の欠如です。今後、市民への周知だけでなく県内外への周知活動に力を入れることです。

そのためには鹿屋基地史料館だけに頼るのではなく鹿屋市又は第三セクターでの発信施設が必要です。資料管内物産展の道路向かい側の看護学校をその施設に充てたらどうでしょうか。看護学校は移転で対処。

そこには自衛隊以外の自由な発想での展示を行えばいいと思います。鹿屋基地が関わる映画、ドラマ、小説、漫画等の展示を行う。また、特攻のシュミレーションはどうでしょう。
島原では普賢岳の火砕流被害のシュミレーションがありました。災害を実体験してもらい風化させないためです。

そして、基地周辺の戦跡を整備してバラ園、吾平山陵等と組み合わせてのガイドも必要で、一部行われていますが、やはり第五航空艦隊司令部を整備してガイド付きでのみ公開すべきです。駐車場は旧県病院跡の公有地があります。

投稿: | 2017年6月10日 (土) 17時22分

鹿屋市民は自分のことしか頭になく・・・ときつい意見が出たが、要するに鹿屋には自給・自助・自負の精神が欠けているのでしょう。

 おそらくその淵源は昭和11年に創立された鹿屋海軍航空隊による「軍都鹿屋」が、終戦(敗戦)によってシュンとなってしまったことと、昭和62年の3月に国鉄大隅線(志布志線)が廃止されて、「鹿屋の顔」(中心)が失われたことにあるようです。

 旧国鉄に限らず、私鉄でも、とにかく駅というのはその街の「顔」だった。いろいろなところから来た人が交わり、待ち合せ、乗り合わせ、顔を合わせる文字通り「袖すり合うも他生の縁」というような現象が日常的に行われていたのが、駅を中心とした街の広々とした風景であった。

 鉄道はまた弱者にも優しい交通手段だった。高校生などにとっては通学の手段であると同時にと友との語らいの場であり、社会勉強の得難い場所ともなった。

 それが今は、通学高校生は単車で、通勤者は車で、我が家の敷地を出て道路を走り学校へ、勤務先へ。そして帰りも他者との交流はほとんど無く、時に買い物などをしたりはするが、ほぼ我が家へ一直線で他者との交流はない。

 今更鉄道を敷き直すわけにはいかないだろうから、せめて「道の駅」という新しい顔を創設して欲しい。市民が喜び、他者との交流が生まれるような仕掛けが欲しい。

 もともと「駅」とは「馬偏」であるように、鉄路ではなく陸路で交通手段として馬を走らせていたのが原点であるから、「道の駅」こそ本来の「駅」の姿に戻ったと言えないことはない。

 今あるものを活用するのが先決・・・との指摘だが、市民が一丸となるには新しい物の創設に勝るものはなく、体育大学の総合大学化や戦跡の観光化は決して交流人口の増大にはつながらない。

 何と言っても人を呼ぶには「目玉」が必要で、その目玉で交流人口が増えたら、次の段階で福祉系の短大なり学部の新設あるいは戦跡を含む史跡名勝への動きが加速されるだろう。

 だから、今はとにかく曲がりくねっているにせよ東九州自動車道によって九州管内のどこからでも鹿屋まで高速一本で来られるようになったのだから、そこを徹底的にとらえるチャンスとすべきだ。

 あとのいくつか絶対に必要な施設・仕組みはそれからのことに置いておいて、まずは大隅の顔となる「道の駅」の新設一本に絞り目玉としたい。

投稿: kamodoku | 2017年6月10日 (土) 22時09分

道の駅は必要だが鹿屋は纏まらずに放置。仮に道の駅ができても、それだけでは観光客はたいして増加せず通過するだけ。造るなら他の施設と併用というか利用しながら宿泊型にした方がいい。

鹿屋に短大は無理です。大浦町の運動公園、あそこに短大誘致を計画しましたが失敗。土地だけ提供したが建物まで造ってほしいと。今話題の加計学園でもわかることです。

鹿屋市の人口は10万人あるが大隅から集まった人口で、姶良市、霧島市のように隣接し鹿児島市にも鉄道で結ばれている地域と違い陸の孤島です。道の駅を造ったりしたぐらいでは無理ですね。

それよりは既存の体育大を拡充する方がはるかに有効です。因みに、鹿屋になぜ体育大ができたかご存知でしょうか。ほとんどの鹿屋市民が知りません。

体育大は某代議士が造ったとの都市伝説まであります。当初、鹿屋市は教育系大学を誘致していました。当時の平田鹿屋市長です。彼は文部官僚出身でのちの今村体育大学長とも旧知の間柄でした。プラン、実行は平田市長。後押しが代議士だったのでしょう。

ところが鹿屋への教育大誘致は失敗。鳴門教育大、上越教育大が新設されました。三木、田中の地盤です。

なぜ、教育大誘致に失敗したか。多分、鹿大が協力しなかったのでしょう。鳴門教育大も徳島大教育学部を廃止して総合科学部かなんかに変えて新設されました。鹿大教育学部を廃止し鹿屋へ統合できなかたのでしょう。

では、体育大は?これも噂でもありますが面子を潰された代議士が文部省に何でもいいから大学を造れとねじ込んだようです。文部省は慌てて体育大に決定しましたが、実は広島大学が体育大と全く同じ計画を出してました。これを流用したようです。広島大関係者は非常に憤慨したようです。

多分、広大には何らかのフォローをしたと思います。本当は鹿屋に教育大ができた方が経済効果は大きかったですが体育大の方が鹿屋の知名度アップには貢献しました。広大は西の筑波を目指していました。広大にできていればまだメダリストは出たでしょう。

なぜ、鹿大は協力しなかったか。簡単な理由です。教職員が陸の孤島鹿屋には住みたくなかったとのこと。国立大学の独立行政法人化及び統合化の時に、体育大も鹿大への統合が議論されましたが鹿大が拒否したそうです。同じ理由です。

体育大は仕方なく全国唯一の単科系体育大なので独自性を生かして単独でやっていくとしか言いようがなかったのでしょう。であれば、体育大存続のためにも拡充しかないです。無理な短大よりも現実的です。

上記についてはあくまでも噂なので審議の程は定かではありません。

投稿: | 2017年6月11日 (日) 09時35分

実は今朝11時から今住んでいる池園町の隣り萩塚町の集落センターで、衆議院議員の森山氏が「国政報告会」を開催するという町内放送があり、出かけてみた。

 市長のほか県議が二名、市議が二名の出席もあり、森山議員の国政報告のあと、質疑応答の時間があったので「道の駅」の新設について尋ねたところ、
 「鹿屋に道の駅ができると他に競合する店などが多く、それがネックであったが、ここへきて農林水産物を基軸とした道の駅建設の話が進んでおり、近くまとまるのではないか」
 との回答を得ました。

 これはどうやら期待していいのではないか、と感じましたよ。

 高等教育機関の新設や増設については巨額の予算が必要なこともあってそれなりの政治力がものを言った経緯があるようだが、道の駅は高速道路体系の整備(利用者の利便性)に付随する当然の箱モノで、利用者に何をどう売るかは民間が考え、鹿屋及び大隅地域を道の駅によってどう活性化(主として観光化)するかについては行政が関与するのが筋。

 格安航空券で鹿児島、宮崎空港に降り立ち、そこですぐにレンタカーを借りて大隅半島を回ろうという客足は確実に増えているし、鹿児島市内の人がそれまでだったら日帰りのドライブに薩摩半島内の観光地やレジャー施設に行っていたのが、大隅半島まで足を伸ばすようにもなっている。

 箱モノと言っても道の駅にはそれほどの初期投資は必要ない。肝付町の高山高校跡地に新設された南隼中高一貫校への投資額50億円よりはるかに少ない投資で済むのではないか。

 問題はランニングコストだが、採算ベースに乗ることはないなどと心配するよりも、そのランニングコストを上回る売り上げを生む仕掛けを作り上げるのに、みんなで知恵を絞ることがすでに地域の活性化につながることだと思う。

 

投稿: kamodoku | 2017年6月11日 (日) 22時52分

道の駅建設は賛成です。大隅縦貫道入口近辺が最適と思いますが議員の発言が政治力を含むものでないことを願いたいですね。

笠之原近辺に道の駅ができたとして、どう運営するかです。大隅で成功しているのは末吉、松山、牛根です。地元の新鮮な食材の販売と行列ができる食事でしょう。

道の駅の成功で観光客が極端に増える、宿泊が増えることはないが鹿屋観光の呼び水、入口にはなるでしょう。あとはどうフォローするかでしょう。

霧島が丘の浜田側に温泉施設まで含めた道の駅もどうでしょうか?

投稿: | 2017年6月16日 (金) 18時20分

体育大と連携して鹿屋市をスポーツのメッカにして休日はスポーツ大会を開催する。県体育館を野球・陸上・サッカーのできる多目的ドームで霧島が丘ふ浜田側に誘致できたら最高。

霧島が丘の草スキー場があった辺りに屋内開閉プールを造り、浜田海水浴場まで国内最大の滑り台(ウォーター)を造る。夢のような話だけど夢でないかも。米軍が造れと言ったら?

投稿: | 2017年6月16日 (金) 18時51分

米軍が造れと言うなら、志布志港~鹿屋までの鉄道も可能。
高速道路も一気に工事が進むだろう。

本音は米軍反対だが止められない。なら、条件闘争しかない。金なんかもらっても職員給与、箱物で消えそう。それよりはインフラ整備に金かけるべき。

県体育館、動物園、運動施設、全て霧島が丘周辺に集約した方がいい。道の駅も。昔、霧島が丘周辺に運動施設を集約するアスリートヒル構想があったが、いつの間にか潰れた。復活させたらいい。金は米軍見返り。

投稿: | 2017年6月17日 (土) 08時06分

14年前に鹿屋に移住して航空基地正門前の信号で止まると、必ず見えたのが交番の後ろに立つ「スポーツ・健康交流都市鹿屋」(正確ではないかもしれない)と記された巨大なコンクリートの塔だったが、しばらくすると「スポーツ」が消されていたのには、首を傾げた。

 せっかう体育大学があるのにスポーツはどうしたんだろうと不可解に感じたが、その「アスリートヒル構想」が消滅したのと同時にこっちも消えたのだろうか?

 体育大学をベースにした各種スポーツの祭典のようなものが鹿屋市にはあってしかるべきだと思う。

 以前に鹿屋海上自衛隊航空基地の中を走るマラソン大会が開催されたと聞くが、これは定着しなかった。「有事の時に困る」ということだろう。

 それなら一般道を使ったマラソン大会に切り変えていけばいいものを、鹿屋市はそうしなかったのか、いまいち継続性がないのかなあ。

 いま鹿屋市で熱くなっているのは「自転車競技」で、体育大学の卒業生を中心にして組織された「シエル・ブルー」というクラブがプロ化して活動の拠点を鹿屋市に置いている。

 道路を車で走っていると、至るところで「自転車専用レーン」の標示が見られるが、結構な予算を使っているようだ。

 毎年11月には「ツール・ド・おおすみ」が開催されて来たので自転車に関する話題には事欠かないが、集客性の点では難がある。いや、このレースの規模をツールドフランスに匹敵するくらいにまで大規模にすれば、世界中からのサイクリストを集められるかもしれないが、それも結局は一過性のイベントでしかない。

 通年にわたって人を寄せられるようなイベントなり施設をと考えると、やはり「道の駅」がまず一番だろうとと思われる。

 「道の駅」はその地方の物産の販売もだが、観光案内所としての顔も持つわけで、行政はその部分を運営し、その「家賃」を道の駅に支払ったらいいのではないか。

 いたずらに「創設後の運営が問題だ。赤字になるだろう」と悲観していたら何事も始まらない。

投稿: | 2017年6月18日 (日) 00時32分

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