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宇佐神宮

 岡山の息子の家に家内と3日間滞在した帰り、4日目の朝、早目の7時過ぎには家を出て山陽道を下り、九州に入って北九州JCT から東九州自動車道に入って約1時間、宇佐インターチェンジで自動車道を下り、宇佐市郊外にある宇佐神宮に到着したのが12時半であった。

 すぐに近くのとり天(唐揚げではなく衣はてんぷら仕様)の定食屋で昼食をとり、神宮専用の駐車場に車を置いて境内を歩き始めた。

 広壮な境内の中の参道は折からの焼けるような日差しだったが、参拝客は三々五々途切れることはなかった。

 駐車場からは10分ほどのだらだら上りで本殿のある一角に至った。朱塗りの勅使門がまず目を射た。その前に平成になってから皇室の勅使参向の立て札が披瀝されており、奈良時代からという宇佐神宮と皇室の深い関係を明示していた。

 皇室との関係で最も初期のドラマチックな出来事は奈良時代にあり、一つは聖武天皇の東大寺大仏建立に、ご神意により足りなかった金箔用の金の産出を言い当てたことと、もう一つが称徳天皇に取り入っていた弓削道鏡の皇位簒奪に対して天皇側近であった備前出身の和気清麻呂がやはり神意を伺いに下向したことである。

 後者は戦前は小学校などで徳目として必ず教えられたというが、道鏡が称徳天皇からの寵愛をいいことに天皇位を求めたが、和気清麻呂が宇佐神宮の神に祈ったところ「皇位はとうの昔から天孫に決められており、血筋ではない無道の者が就くことはありえない。そのような者は掃除(そうじょ)せよ」というもので、復命した清麿は道鏡の怒りを買って大隅国に流された。

 しかし目の覚めた称徳天皇により、道鏡は下野国(栃木県)の薬師寺に流され、清麿は許されて京に帰り、その後は順調に出世して最後は「造平安京長官」(平安京を造成する中心人物)にまでなっている。

 宇佐神宮は全国に4万社はあるという八幡社の総本山で、中古以降は宇佐神宮の分社である石清水八幡宮(男山八幡)のほうが都に近いためむしろここからの分祠のほうが多いようであるが、とにかく欽明天皇の時代(西暦550年のころ)に大神の比義という神官が「広幡八幡童子」の示現を体験し、その童子を祭ったのがこの八幡様総本山のいわれである。

 いま宇佐神宮の本殿は「一之御殿」「二之御殿」「三之御殿」と三社があり、大神の比義の祭ったのが「一之御殿」の「八幡童子」で、これは応神天皇のこととされている。また「三之御殿」は応神天皇を産んだ母神の神功皇后である。

 そこで不可解なのが「二之御殿」の祭神・比売之神で、普通なら応神天皇の皇后であろうかと考えられるのだが、この神は実は他の二殿の祭神より古いのだそうである。

 この神は神代に宇佐神宮の南東6キロにそびえる「大元山(御許山)」に降臨された神で、社伝では天照大神と須佐之男尊との間の「うけひ」によってそれぞれ身に着けていた物実(ものざね)から生まれた神の一つ(一グループというべきか)であるいわゆる「宗像三女神」であるという。

 しかし宗像三女神であるとするとその奉斎する氏族はれっきとした航海民「宗像氏」であり、大神の比義やのちに宮司家となる宇佐氏とは筋が違う。このあたりを宇佐神宮で入手した≪宇佐神宮由緒記≫ではぼかしており、結論としては八幡童子が祭られる前から宇佐地方で祀られていた土地神ではないか、ということにしてある。

 結局のところ「二之御殿」に鎮座する「比売之神」の素性についての判断は保留されているのである。

 そこで私見が登場する。

 私見ではこの「比売之神」とは卑弥呼の後継者であった「台与」(トヨ)である。台与の時代に邪馬台国(八女市域)は南の狗奴国によって併呑され、トヨは矢部川に沿って逃れて豊後に入り、さらに豊前の宇佐に至り、そこに辛くも邪馬台国の王統を継いだと考える。

 大元山に天下った女神(比売之神)とはこのトヨのことで、そのために今の大分県の古名は「トヨの国」すなわち「豊国」(古事記の国生み神話)となった。

 崇神天皇の時代には「トヨスキイリヒメ」として登場するが、この比売は天照大神を祀ることができたのだが、それも当然のことで、卑弥呼の後継者だった所以であろう。

 詳細は省くが、卑弥呼の後継者であった「台与」(トヨ)が豊前まで落ち延び得たのは、その250年後に八女を本拠地としていた当時九州最大の前方後円墳「岩戸山古墳」をt築いた勢力「筑紫の君・磐井」が継体朝から派遣された物部アラカビの軍勢によって侵攻されたときに、「磐井は山中深く逃げて、豊前の上膳県(カミツメノアガタ=大分県中津市)に行ったが、そのまま行方知れずとなった」(筑後国風土記逸文より要旨)とあることからも想像できる。

 卑弥呼の後継者「台与」(トヨ)が狗奴国に侵攻されて西暦280年頃に落ち延びたのが「大元山への降臨」で、宇佐に祀られたトヨが「比売之神」で、祭られたがゆえに「豊国」という名が生まれたーーという考え方には非常に整合性があると思うがどうだろうか。
 

 

 

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桜島の噴火

 おとといの11日の午前中に一報のあった桜島の噴火はそれ以降も引き続き、11日は7回、12日は15回、そして今日13日は午後十時現在で8回と、三日連続でかなりの回数(30回)の噴火を引き起こしている。

 これだけまとまった数の噴火が連続して起きたのは3年前(2014年)の春以来だろう。その年の前年、前々年は10月くらいから北西の風に乗って鹿屋はじめ大隅半島に大量の火山灰を降らせたが、ここ二年は秋から冬にかけての降灰らしい降灰はなく、冬野菜農家などでは大喜びだった。

 去年の夏にも半年ぶり位に大きな噴火があったが、その後まもなく終息している。その時に火山学の先生は「桜島へマグマを供給しているマグマ溜りのマグマの量はすでに大正大噴火で放出したマグマの90パーセントほどは恢復してきているので、いつ大噴火が起きてもおかしくない」というようなことを述べていたが、あれから現在まで大正大噴火レベルの巨大噴火は起きていない。

 だから余計に不気味なのだ。

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ひとりのために犠牲者が・・・

 北朝鮮の独裁者・キムジョンウンが断末魔的なことをやらかしそうだ。

 大陸間弾道ミサイルを発射し、日本の上空(島根県・広島県・高知県)を通過して約3000キロ先のグアム島周辺に打ち込むそうだ。しかも4発同時に打ち上げて4つともグアム周辺に落とすのだという。

 これに対してアメリカのトランプは「もしグアムへの攻撃がなされたら、これまで見たこともないような炎と怒りが北朝鮮を襲うだろう」と北朝鮮を威嚇した。

 そう遠くないうちに、本当に核搭載の大陸間弾道ミサイルがキムジョンウンの手中に握られる可能性が高まったようで、アメリカも楽観視していられなくなった。

 どこまで打ち込んだらアメリカが迎撃するかはトランプの胸先三寸次第だが、迎撃に失敗して被害が出たらただでは済まされないことは確かだ。

 問題は北朝鮮本土への攻撃だが、核を使うのだけは止めてほしい。一般人民への被害が大きすぎる。それに国際世論が激しく反発するはずで、つい先日の国連での「核兵器禁止決議」が加盟国の3分の2の賛成で成立したばかりなのだ。

 核以外のやり方では「ピンポイント攻撃」が有効だろう。徹底的にキムジョンウン本人だけを狙うようにしないと轟轟たる非難が巻き起こるに違いない。

 要するにキムジョンウン一人だけを暗殺すればいいことだ。

 一般人民を傷つけないで独裁者のみを排除したらアメリカは尊敬されるし、トランプも鼻が高くなるだろう。

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台風5号

 迷走台風5号が奄美・種子屋久地方をゆっくりと(ほぼ停滞して)通過北上し、今日の午後大隅半島の南端をかすめ、日向灘方面に抜けて行った。

 昨日の午後1時に鹿屋市では避難所の開設をしたが、その2時間ほど前の5日11時ころから風が非常に強くなった。雨も豪雨ではないが降り続き、1日後の今日午後3時現在も小雨が降っている。

 しかし1時過ぎから風は急激に衰え、今の時間帯ではそれまでの東寄りから北寄りへさらに西寄りへと見る間に風向きが変わって来た。おそらく大隅半島の太平洋岸沿いに北東へと進路を定め、やや速度を速めたのだろう。

 これで大隅への影響は最小限になったろう。まだ南側に発達している雨雲が抜けきっていないので雨への油断はできないが、このまま四国方面に再上陸するのが確実となった。

 九州北部豪雨の被災地ではほっとしていることだろう。

 我が家でもほっと一息だが、柿の木の一本で数本の枝折れがあったのと、高砂ユリがこれも数本倒れたくらいの被害で済んだ。

 今年2度目の台風。通過するまでが長かったことを除いては楽にやり過ごせたのはありがたい。
 
 (ホームページ『鴨着く島おおすみ』に写真あり。こちらへ)

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夏の空

 今年は梅雨明けが例年より少し早い7月初旬だった。

 それ以降雨はあまり降らないのだが、蒸し暑さがいつまでも続いている。というのも夏らしい入道雲の上がるような日和が少なく、蝉もあまり啼かない。

 我が家の愛犬ウメの毛の衣替えも8月に入ってまだ最終的には終わっておらず、こんなに遅くまで冬毛が更新しきらないのはウメを飼って6年目で初めてのことである。
 
 気温的には真夏の様相だが、すっきりした夏の気候には程遠い。遇う人はみな「こんなに暑い夏は初めて」と言っているが、決して大げさではない。

 太平洋高気圧の張り出しが弱いのが素因だろうが、そうなった原因を考えるとやはり地球の温暖化が作用しているのだろう。

 ところが4,5日前に午後3時ころだったか雷を伴う夕立が降った。正真正銘の本来の「夕立」である。

 子供の頃の夏といえば、暑さのピークを越えようとするころに遠雷から始まる夕立が定番だった。昨今は夜中にゲリラ豪雨が降ったり、明け方に振ったりすることが多い。

 入道雲が空のあちこちにむくむくと上がるのが夏の風物詩だった。

 今日初めて入道雲らしきものが我が家の上空に現れた。

 雲の白さと空の青の対比が美しい。(写真はホームページ「鴨着く島おおすみ」に掲載)

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