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鹿屋市吾平町の敬老会

 今日10月29日(日)、鹿屋市の吾平町で敬老会が開催された。

 驚くなかれ、吾平町では旧肝属郡姶良村であった明治42年(1909年)から毎年行われ、今回で108回を数えるという。

 当時の鎌田村長が「老いを養う情は教育の源泉で、孝は百行の基である」との理念から開催を始めたのが起源だそうである。

 国が9月15日を「敬老の日」に制定したのは1966年(昭和41年)であるが、その起源は1947年(昭和22年)9月15日に兵庫県内の野間谷村で行われた行事(としよりの日)ということになっている(ウィキペディアによる)。

 ところが、ところがである。肝属郡姶良村(のちの吾平村→吾平町→鹿屋市吾平町)では何とその38年も前から村の行事として行われていたのだ。

 自治体を挙げての行事としての「敬老会」としては、この吾平町のものがおそらく全国で初めての開催であったに違いない。

 今年は「第108回 美里あいら敬老会」で、実に明治42年以来絶えることなく続けられていることになる。たぶん、全国でも稀れ、世界でもまれな行事だろう。

 「美里」は「うましさと」と読むが、これは昭和の半ばころに編纂された『吾平町史』の編纂委員長であった鹿児島大学名誉教授・原口虎雄氏の命名で、神武天皇の父に当たるウガヤフキアエズがその一生を過ごした吾平の風土を適確に表現したものである。

 「美」(うまし)は景観が美しいというより、よく整っている、過不足がないという意味で、まさに山紫水明に恵まれた吾平の風土を表している。

 式典の後には恒例のアトラクションが行われるが、中でも地域の女性たち(地女連)の創作寸劇が楽しい。堂に入った五つの出し物のどれもがコミカルで会場の高齢者の笑いを誘っていた。

 これも長期にわたる敬老会の定番の出し物として長い歴史を踏んでいればこそだろう。

 代表者に聞いたところ、「この(30分足らずの)寸劇を創作し練習して仕上げるのに2か月はかかった」ということであった。人々を楽しませるのにも、長く地道な努力が必要だということがよく判る。

 

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