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観音池公園の桜

 都城市に住むふた従姉夫婦に会いに行ったついでに、高城町にある「観音池公園」まで足を延ばした。

 観音池公園は合併前の北諸県郡高城町時代から桜の名所として知られていたが、都城市と合併したこの12年間で行政の手が加えられ、総合的なレジャーランドに生まれ変わった。

 今は観音池公園というより「観音さくらの里」というような名称が定着しつつある。現に公園の入り口看板には「都城高城健康増進センター」なる文言が付記されている。

 おそらくレジャー施設の拡大・増設に当たっては、国または県の予算の中から厚生的な分類に当たるものを引っ張ってきたのだろう。

 単なるレジャー(遊び)では「民間に任せればいい」と予算の確保が難しかったに違いない。こういうところは市当局や議会の知恵の絞りどころで、今回出かけてみて「観音さくらの里」はうまく事業ベースに乗ったと見えた。

 何しろ広大である。面積を聞くのを忘れたが、南北に1キロ程度はあると思われ、東西はその半分かやや少ないかに見えたから、単純に計算すると40ヘクタールにも及ぶような広さである。

 今回は桜の観賞がメインであったから、肝心の「里」に当たる資料館と名品・土産物などが展示されている建物の方は見ていない。今度また行く機会があろうから、その時は立ち寄ってみたい。

 さて、桜の方だが、ちょうどまさに満開で、大木の一部の桜がはらはらと花を散らし始めているという具合であった。

 大小3000本という桜は、広大な園地全体にまんべんなく分布しているので、一箇所に100本などという集合的な見事さは無いが、行けども行けどもそこかしこに10本くらいな感じであり、また車の通れる道路沿いは見事な並木となって見飽きさせない。

 もともと観音池の周辺に植えられ始めたのが最初だろうと思われるが、確かに池のほとりには途切れない桜がその姿を池の水面に映し出していた。これはまたこれでいいものである。

 3月31日には「桜まつり」が開催されるようだ。大変な人出だろう。桜をゆっくり観賞するならばそれまでの平日がお勧めだ。

 ※観音さくらの里には、従来の観覧車や池のボートのほかに展望の丘の上まで上がれるリフト、丘の上から滑り降りるスライダー、丘の途中から滑る草すべりなどの施設があるので、家族そろって楽しむことができる。
 リフトからの眺めはホームページ『鴨着く島おおすみ』の表紙に掲載した。

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美作(津山市)と大隅

 岡山に住む息子の長女が小学校に、次女が幼稚園に入るというのでお祝い方々三泊四日で出かけた。

 息子の所の住所は浅口市でかっての備中国に属するが、もともとは吉備国から備前・備中・備後の三つに分かれたものである。

 ところが吉備国が三つに分かれるより遙かに昔の和銅6年(713年)に古吉備国から分立した国があった。それが「美作(みまさか)国」である。

 実はこの美作国が古吉備国から分割された同じ時に、鹿児島と宮崎を併せた広大な古日向国から独立したのが「大隅国」なのであった。(これともう一つの国「丹後国」も同時に丹波国から分立しているが、以上の三ヶ国建国のことは『続日本紀』の和銅6年4月3日の条に記されているので史実として100パーセント間違いないことである。)

 さて、岡山に出かける前に、向こうにいる間に序に見物しておきたい場所として「岡山城・後楽園」と「津山城」、それから行きか帰りかに「尾道」に立ち寄ることを計画し、調べていたら滅法面白い事実が浮かんできた。

 それは津山について調べている時の事、津山の秋の祭りを別名で「だんじり祭り」と呼ぶことがあるが、このだんじりは市内の三つの神社の境内から曳き出されるらしいが、神社名とそれぞれの神社の御祭神を見てびっくりしてしまった。

 三つの神社とは「徳守神社」「高野神社」「大隅神社」の三社であるが、まず大隅神社という社名に驚いたのである。

 大隅神社の御祭神は「オオナムチ・コトシロヌシ」で出雲系の神様だということが分かるが、何故に「大隅神社」と名が付いたものであろうか? 創建は和銅年間で、美作国建国時代と同じであるから、おそらくその時に出雲から勧請したのだろうが、それなら「出雲神社」とか「出雲明神」とするのが順当というものだ。

 津山市の城東地区に鎮座する大隅神社を訪れたが、境内に由緒書きされた立て看板の類は全くなく、残念ながら確かめようがなかった。創建はやはり和銅年間のことらしいのだが・・・。

 徳守神社は津山市の宗廟で、訪れてその社殿の大きさで納得するが、ご祭神は「オオヒルメムチ」である。伊勢神宮の地方版といった待遇の神社であり、この神社を中心にだんじり(秋)祭りが施行されている。

 最後の「高野神社」は「たかの神社」と呼ばれているが、本当は音読みで「こうや」「かうや」と言って来たらしい。ここの御祭神が「ウガヤフキアエズ」と知った時は、さきの「大隅神社」という社名に驚いた以上に驚いてしまった。吾平町の「鵜戸神社」そのものではないか!

 これは何か因縁があるに違いないと思う他なかった。

 この美作二宮と呼ばれる高野神社の創建は上記の二社よりもっと古く、安閑天皇の2年(西暦534年)だそうで、さらにその創建の前から「(神社発祥の地は)吉井川原のおのころ岩と伝えられます。遠い祖先はここを磐境として敬虔な祭祀を行っていたものと思われます。」というように、『高野神社略誌』には書かれている。

 おのころ岩は伊邪那岐・伊邪那美時代つまり神代の話なので話半分に受け取るしかないが、そのくらい古くから敬虔な祈りが捧げられてきたということを強調したかったのだろう。

 大隅神社といい、高野神社の祭神ウガヤフキアエズといい、同時期に行われた大隅国建国との関係を思わざるを得ないが、いったいどう理解して良いものやら。

 次のようなストーリーはどうか?

 まず、高野神社の創建の安閑天皇2年には、九州から中国・四国・近畿・関東の上毛国にまで26か所の屯倉(みやけ)が置かれたと日本書紀にあるが、美作国が属したと考えられる「吉備後国」では5つの屯倉が設置されている。

 津山市に該当する屯倉がどれかは分からないが、この時に朝鮮半島南部の「カヤ」から移住してきた人々(半島倭人)が、その屯倉に定着した。そこで彼らがわが祖先「ウガヤフキアエズ」を祭った。上で触れたように「高野」はもともと「こうや」あるいは「かうや」と呼ばれていたのであれば、「かや」の転訛と考えられなくもないではないか・・・。

 大隅神社の方は、和銅6年(713年)に大隅国が朝廷側の圧力のもとある種の強制力を伴って、つまり武力的な衝突が勃発した際に、敗れた大隅隼人の集団が逃げ延びて同じ頃に建国された美作国に入った。そしてそこで祭祀の場所として社を創建した。それが「大隅神社」なのかもしれない。

 古来、大隅や薩摩にはいわゆる「落人」が多い。物部守屋も落ちて来たという伝承があり、垂水には宇喜多秀家が来ている。また谷山には秀吉の子・秀頼の来住伝説が残る。

 最大の落人伝説は何といっても安徳天皇だが、このように都方面からの落人ばかりが取り上げられる一方で、、逆に南九州から北へ落ち延びたケースは無いのか。一つ疑問を呈しておこう。

 津山市は人口が10万余りで、吉井川という大きな川がその中心を流れている風光明媚な町である。かってはこの川を利用した水運が盛んだったそうで、瀬戸内からの物資の搬入、こちらからの米・木炭などの搬出に欠かせなかった。

 こうした水運を支える船頭(水手=かこ)衆の祖先に南九州から朝鮮半島を往来していた鴨族がいたのかもしれない。そう思うと親近感が湧いてくる。

 ※ホームページ『鴨着く島おおすみ』のトップページに「高野神社案内看板」の写真を掲載した。

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旧共産主義大国指導部の独裁化

 旧ソ連のロシアで、プーチン大統領が異例の三選を果たし、2024年までの通算で20年間に及ぶ権力のトップの座に就いた。

 若者に人気の対抗馬と見られていた人物を立候補させないという強引な手口を使ったが、そのせいか支持率は73パーセントだそうで、圧倒的多数の支持というわけにはいかなかった。

 一方で、先に行われた中国全人代における投票(?)で、満場一致で「無期の最高指導者」に選任されたのが習近平だ。副主席は王岐山だったが、これも同様に無期だという。

 これはもう「茶番」としか言いようのない喜劇(悲劇かも)である。反対投票する者が一人としていなかったということは、中国にはやはり民主主義が根付かないということの表明でもある。

 そもそも無期(期限がつかない)ということは、習近平が北朝鮮のあのキム王様と同じレベルになったわけで、政権へのあらゆる批判は金輪際許さないということであり、ほぼかっての王朝時代の「皇帝」に就任したといっても言い過ぎではない。

 ともに「人民共和国」と国名に付けているが、矛盾も甚だしい。こんなことが世界が注目している前で堂々と行われるている様子を見ていると、世も末だという感を深くする。

 
 翻って、日本では安倍首相が自身で大見得を切った「私がもし口利きをしたのであれば、首相の座はもとより国会議員もやめますよ」との文言がいよいよ現実味を帯びて来た。

 外交的にもトランプ大統領が金正恩の会談提案に(日本への事前通知もなく)即座に乗ったことで、安倍首相の面子が潰れ、トランプに同調する形で「北朝鮮の策動には乗らずにひたすら最大の圧力を掛け続ける」と言い続けて来た文言が虚しさを増している。

 ロシアが、中国が、北朝鮮が、そして「盟友」アメリカが、≪おらが国ファースト≫を主張している状況の中で、今度もやはり「日本は何してんの?」と世界の国々から嘲笑されぬよう、かって「日本を取り戻そう」と言って首相の座に就いたはずの安倍首相の最後の力量を期待したいが、もう無理か。

 こうなったらやけのやんぱちで、自らまずは韓国に乗り込み、文大統領とともに金正恩に会い、「拉致被害者を返せ。見返りに経済活動に援助を与える」と、「拉致被害者返還ファースト」を突破口として新たな対北朝鮮外交を展開してみたらどうか。

 「拉致被害者」が存在することは金正恩の父・正日が正式に認めたことであり、金正恩も否定はできないはずだ。文大統領とは先のピョンチャン冬季オリンピックを通じて友好的であるから向こうも会談することにやぶさかではないだろう。

 「自分の代で拉致問題は解決する」と言って来た安倍首相の最後の功績として取って置きではないか。

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ソメイヨシノの開花

 今朝のニュースで、宮崎市では昨日桜の開花宣言が出されたそうだ。

 鹿児島でもと思ったが、一日遅れるようである。

 大隅地区では田崎グラウンドゴルフ場の桜がすでに二日前から咲いていたが、鹿児島の標本木ではまだだったらしい。


 今日は昼前に仕事を終え、少し汗ばんだので高山のやぶさめ温泉に入りに行ったが、道路入り口から温泉施設までの100メートルほどある沿道の桜並木がちらほらと咲きはじめていた。

 青天に映えて初々しい限りだった。

 ここも一昨日くらいが開花日だったようである。

 
 昨年は三月に入ってからが寒く、開花は遅れに遅れ、統計を取り始めて最も遅い4月5日だったから、今年は実に3週間も早い開花宣言ということになる。

 もっとも、去年が遅すぎ、今年が早すぎたので極端に開花日の差がついたのである。

 花芽の休眠打破に必要な低温期間が、今年は非常(異常)に長かったのが原因だろう。何しろ去年の十二月から今年の2月までの間、ほぼ三日に一度の割合で霜が降ったのだから。

 鹿屋に住んで丸15年になるが、こんなに霜の降りた冬は初めてだった。

 三月になるとぐんと気温が上がり、霜も軽いのが5回ほどに減って、日中は汗ばむような日もあったので、今度は花芽が一気に膨らんだのだろう。


 気になるのは満開がいつかということだが、来週はやや低温がぶり返しそうなので開花のピッチは落ちるだろうから、10日後という見当だろうか?

 春休みには満開のもと、家族そろっての花見が楽しめそうだ。

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米朝トップ会談受諾と日本

 米国に行った韓国の使節団が、北朝鮮のキム・ジョンウンの「核やミサイルの実験はしないから、アメリカと対話する」旨を伝えたところ、トランプ大統領が即決で「オーケー」を出したというので、大変なニュースになり、やれ、真意は?日本の頭越しだ、寝耳に水だ、日本は置いて行かれるのか?と、例によって「アメリカ様の日本置き去り的なやり方は困る」という報道でかまびすしい。

 何のことはない、北朝鮮は極度の経済制裁で疲弊甚だしく、もしかしたら人民蜂起(クーデター)でも起きやしないか、さしものキム王朝も風前の灯火だということで、極度の危機感を持った王様の「助けてくれ!」との切羽詰まった申し出(演技)なのだ。

 間もなくキム王朝も崩壊するだろうが、問題は王様の処遇である。

 大東亜戦争で敗れた日本にマッカーサーが進駐し、昭和天皇を呼びつけたら、天皇は「私はどうなってもいいから、国民を助けてくれ」と申し入れたと聞くが、キム王朝のジョンウン王様にその覚悟はあるのか。

 おそらくないだろう。それだからこそ自分の「地位保全」を確約してくれとアメリカに摺り寄ったのだろう。

 もしかしたら、ジョンウンはアメリカとの対話を実行する際に「俺自らがアメリカへ行く」とアメリカへ赴き、そのまま亡命ということもあり得る。

 北朝鮮は今やそれほどひっ迫しているのである。

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初メジロの到来

 3月に入っていわゆる「三寒四温」が続いている。

 昨日までの3日ほどは悪天候だったが、今日は一転して上天気になった。天気予報によると、この好天は4,5日続くらしい。

 春先で晴天が続くと困るのがスギ花粉だ。

 今年でもう28年目に入った花粉症だが、ここ10年くらいはスギ花粉が飛び始める一週間くらい前から予防的に抗アレルギー剤を飲むようにしているので、非常に楽になった。

 外出時、たとえ庭先に出るのにもマスク着用が必定なのは面倒といえるが、抗アレルギー剤のおかげで、今頃のような花粉飛来真っ盛りの時期でも晩酌ができるのはありがたい。

 予防的な薬をのむ以前は、花粉が飛散し始めてくしゃみを連発するようになってから慌てて耳鼻科に駆け込んでいたが、その頃は晩酌をすると鼻水が一層ひどくなり、寝る頃になって今度は鼻づまりに移行してしまい、寝苦しいこと尋常ではなかった。

 今は嘘のように楽で、酒飲みには助かっている。

 ところが今朝は珍しく鼻づまりで起きてしまった。喉も痛い。くしゃみとか悪寒はしないので風邪でないことは確かだ。思い当たるのは、昨日の午後、1時間ほど庭先にマスクをせずに出てちょっとした作業をしていたことだ。

 雨上がりの曇り空でスギ花粉が飛ぶ条件ではないと安心したのがいけなかったのか。たしかに風は強かった。スギはスギで花粉を飛ばすその日最後のチャンスだと思ったのだろう。してやられたな。

 というわけで、今朝は寝苦しさもあって寝坊し、午前中は庭を含めて家の外に出るのをやめることにした。

 久しぶりに朝日が良く当たり、そんな庭を眺めていたら、満開の寒の緋桜に今年初めてのメジロの姿が見えた。

 まだ山から下りて来たばかりなのか、どうやら夫婦(つがい)だけのようだ。下を向いた緋桜の花の中に頭を突っ込んでは枝から枝へと休みなく動き回っている。

 花は静の象徴、小鳥は動の象徴。そのコントラスト、そして色彩の妙は見ていて飽きない。

 一方で、乙女椿にはもう10日ほど前から満開を待ち切れずにヒヨドリが蜜を吸いに来ている。あの体で細い枝に掴まって花にくちばしを入れるのだが、吸い終って飛び立つときに大揺れになる枝からせっかくの花がポトリと落ちてしまう。ああ勿体ないぞ、ヒヨドリめ。

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新燃岳の再噴火

 霧島連峰の中央に位置する新燃岳(1395メートル)が2011年1月下旬以来、7年ぶりに本格的な噴火を始めた。

 3月1日から火山性微動や地震が多発し始めた矢先の、昨日(6日)の午後10時に噴煙の高さ2800メートル、また2時間後の7日午前零時には3000メートルの高さまで噴煙を上げ、同時に火口から半径900メートルにわたり噴石が飛んだという。

 7年前の1月26日の大噴火では、北西の風に乗り、、都城はもとより鬼塚山地を越えて日向灘に面する飫肥(日南市)にまで大量の火山灰を積もらせている。

 翌月13日に息子の結婚式が都城で行われ、式場となったホテルの駐車場に掃き寄せられた火山灰が山のようになっていたのが記憶に新しい。

 あの時は北西の風だったが、今度はいま北東風が強く、その風に乗って火山灰が霧島市方面に流れているようだ。

 NHKのテレビニュースでは霧島市の高千穂小学校の通学風景を写していたが、ヘルメットをかぶった上に傘をさして登校していたが、傘など役に立たない強い北東風で道路に落ちて溜まった火山灰が猛吹雪のように児童たちを包んでいた。

 鹿児島大学の火山学者の説では、新燃岳の今度の噴火活動は数十年から数百年に一度の規模が起こり得るそうで、7年前のあの大噴火も今度のと連動(同時の火山活動)しているらしい。

 同じ霧島連峰では、新燃岳より西のえびの高原スカイラインルート上にある硫黄山も火山性微動が多発しているし、また高千穂峰の鹿児島県側にある「御釜」噴火口でもやや噴気が上がったりして、トータルで見るとかなり火山活動が活発化している。

 また、広く鹿児島県全体の火山の活動を見ると、桜島も去年の夏以来の沈黙を破る小規模な爆発を始めたし、同じく去年の口永良部噴火、諏訪之瀬島の小規模噴火・・・と、徐々に活動を活発化させている。

 鹿児島県は霧島からえびの側に「加久藤カルデラ」、国分(霧島市)から桜島の間に「姶良カルデラ」、鹿児島湾の南部に「阿多カルデラ」、そして南海上の三島村の硫黄島をカルデラ火山とする「鬼界カルデラ」と、実に4つもの巨大カルデラを持っているカルデラ地形の見本のようなところである。

 この中の一つでも目が覚めて数万年から数千年に一回の大噴火を起こしたら、ほぼ鹿児島県は壊滅するだろう。新燃岳は加久藤カルデラの外輪山であるが、加久藤カルデラと姶良カルデラの両方の境界線(霧島連峰)上にあるので、注視しておかなければなるまい。

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