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オウム真理教教祖の死刑執行

 昨日、オウム真理教教祖で地下鉄サリン事件の首謀者だった松本智津夫死刑囚の死刑が執行された。

 オウム真理教の幹部13名が死刑判決を受けていたが、そのうち教祖を含む7名が同じ日に刑死した。

 残りの6名の処刑もいずれ実施されるが、識者の中には「黙秘を通し続け、わけのわからないことを言い張る教祖松本を、なぜ他の高学歴の死刑囚(幹部)が盲目的に指導者と仰いだのか、そしてなぜあのような事件を引き起こしたのかが解明されないまま幕を引いてしまうのはいかがなものか」というようなことをコメントする人がいる。

 後者について言えば、直接的には松本をはじめ幹部連中が衆議院議員に立候補したが惨敗を喫した(教祖松本はわずか1800票しか得ていない)ことに対する憤りが引き金になったことが言われており、私もその見方を支持する。

 だが、そもそも松本個人の極度の自己顕示欲(人から認められたい)が根底にあってのことだ。

 この自己顕示欲が人並外れて強いのには原因がある。

 それは生い立ちにあった。
 
 熊本県の非常に貧しい家で5男2女の下から二番目に生まれた松本は、目の不自由な長兄が盲学校に入って家計の負担が少なかったこともあり、同じように目の不自由な松本も小学校から全寮制の盲学校に入学させられたという。

 ただ、松本の場合、目が不自由と言っても長兄のような全盲ではなく、片目はよく見えたらしい。それなら普通の小学校でもいいのだが、貧しさもあって両親は経費の掛からない盲学校に入れたようだ。

 松本は非常に嫌がったそうだが、是非もなく6歳で両親の膝元を離れざるを得なかったわけで、この心の傷が彼の人生をあらぬ方向に導いてしまったのだ。幼少期の家庭ほど子供にとって重要なものはない。


 松本の7人兄弟で下から二番目という家族構成に似た人物に歌手の田端義夫がいる。

 バタヤンこと田端義夫は大正8年の生まれで9人兄弟・姉妹の下から二番目だった。

 ところが3歳の時に父が亡くなり、バタヤンと末子の弟だけは母のもとに置かれ、他の兄弟・姉妹は養子・子守奉公・丁稚などに出された。

 母は人形の内職で生計を立てたが、極貧は変わらず、満足な食事や学校の遠足への参加も出来ず、昼食の弁当にも事欠くありさまで、とうとう片目の視力が失われてしまった。これも松本に似ている。

 そんなバタヤン、13歳でどこかの商店に奉公に出たが、数年後にたまたま姉が歌のうまいバタヤンを今で言う歌のオーディションに出るよう勧めたところ、運よく採用され、20歳頃にはデビューすることになり、その後はスターへの道をたどることになった。

 この歌のうまさだが、生まれつきではなく、いつも母と夕方になると「夕焼け小焼け」などの唱歌を一緒に歌ったことがきっかけとなった。

 バタヤンは歌のとりこになり、近くの河原に出ては大声で何度も何度も歌ったそうである。正式な歌唱法など学ぶよすがもなく、自己流で声の限り歌い続け、たぶん母やたまに帰省する兄や姉から褒められてますますもめり込み、上で触れたように姉の勧めでオーディションを受けることになり、音楽家の目にとまったのが、運の開き始めだった。

 戦前の昭和12,3年のころだが、当時支那事変が勃発するころではあったがまだそういったオーディションなどが民間で行われていたようだ。

 支那事変から引き続いて太平洋戦争がはじまると芸能人は戦地慰問に出るようになり、バタヤンも例外ではなくあちこちに駆り出されたが、そのことはまた一流の芸能人(歌手)という評価を定めることにもつながった。

 バタヤンの戦後の活躍はわれわれ団塊世代にとっては耳目に新しい。

 バタヤンは幼少期に貧しさに覆われつつも、母とのきずなが強く、心にも太い根っこが張ったのだろう。そして貧しいながらも一生懸命に内職をして自分たちを支えてくれた母親に、いつかは恩返しをという思いが湧き上がったはずで、後年よく母への想いを口に出すようになっていた。


 この母への思いの少なかったのが松本智津夫だったのではないか。

 6歳とは言えまだ母親への甘え・依存が必要だったのに、全寮制の盲学校に心ならずも入れられ母親との絆を断ち切られたのは、松本にとっては「母親から捨てられた」感がぬぐえなかったはずだ。

 それほど母親の存在感は子どもにとって大きいものである。

 なにしろ子どもは母親から生まれてくる。母親の胎内にいる時、胎児はへその緒というチューブで母親からの栄養を摂取しなければ育たない。胎児はまさに「母親のヒモ」だ。

 家庭に生まれ落ちてからも授乳・下の世話・言葉の学習など数年間はほぼすべてを母親に依存して成長する。この間もやはり「母親のヒモ」だ。

 そのような母親は子どもにとっては神仏に等しい。

 松本智津夫はおそらく母親への感謝などなかったに違いない。気の毒な生い立ちからすれば当然かもしれない。

 教団の幹部はじめ信者の多くも松本と似たような家庭的な貧しさ(経済的貧困と言うより心理的な貧しさ)を抱えていたのではないか。

 オウム真理教はヨガをよりどころとしてその貧しさを克服しようとしたと思われるが、家庭的な面での被害者である松本智津夫がたまたま持って生まれた(先天的な)極度の自己顕示欲を開示しようとしてうまくいかなかったがゆえに、被害妄想と攻撃性を募らせた挙句が1995年3月の地下鉄サリン事件だったのだろう。

 
 秋葉原のあのトラック突っ込み殺人事件も、犯人は家庭的に両親から正当な扱いを受けなかった恨みが原因だったが、最近は似たような動機による自己否定的な「やけのやんぱち」な事件が多くなっている。

 オウム真理教よりホーム(家庭)真理教が欲しいところだ。

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