宮下相撲大会(鹿屋市吾平町)

 先日(10月29日)の敬老会が108回目だった鹿屋市吾平町で、今度は119回目を数えるという「宮下相撲大会」が開催された。

 現在の鹿屋市吾平町は平成18年(2006年)の合併前は単独で肝属郡吾平町であったが、この町はいろいろな行事が昔のまま残されているという点では貴重な地域である。

 敬老会が明治42年に始められて戦前戦後を通じて今日まで継続しているし、10月8日に行われた「町民運動会」は全町を挙げての体育祭で、今日、「校区運動会」で各町内会が参加しているところはあっても全町という規模で催されている所は他聞しない。

 それだけまとまりの良い町なのだろう。その理由を考えてみると、この町はど真ん中を姶良川が流れてコメ作りに適した地域であることが何といっても大きい。コメ作りは共同作業の積み重ねで、一人だけ突出してというわけにはいかない。

 土地柄も大隅半島に特有のシラス台地を四周に抱えてはいるが、姶良川の浸食・堆積作用で火山灰の持つ酸性土壌が比較的改善されていて、大隅半島全体から見ればコメの単収も悪くはない方であろう。

 この地味を目指して、藩政時代には地味の悪い薩摩半島から政策的にこちらへの移住策がすすめられた。これを「人配」(じんぱい・にんべ)というが、吾平町全体で四軒に一軒はよそからの移住者だと聞いたことがある。

 こういう新住民は団結して耕地を拓き耕して今日があるわけで、そういう共同作業によってなお一層土地を絆とするまとまりが促進されたに違いない。

 
 さて、今日行われた「宮下相撲大会」は、明治31(1898)年に町場で大火があり、それの鎮火・防災を祈念して始まったそうである。

 「宮下」と冠せられたのは、もとは旧役場の隣りにある「鵜戸神社」の境内で行われたのでそう名付けられたわけだが、今日は吾平振興会館隣りの相撲場(屋根付き土俵)で行われ、同時に「農業祭」も開かれていてずいぶんにぎわっている。

 吾平町誌によると、旧暦10月15日には現在の鵜戸神社の場所にあった「姶良若宮八幡」の例祭日で、旧暦に直せば11月後半、当時は「ホゼ祭り」とも言われた秋の収穫祭でもあり、流鏑馬も催されたそうである。

 その際におそらく剣道や柔道、相撲なども奉納されたのではないかと思われ、明治になって姶良八幡宮が南へ3キロほどの中福良へ移転されて田中八幡神社となり、代わってそこへ吾平山陵近くに鎮座していた「鵜戸神社」が移設されると、それまで行われていた流鏑馬をはじめとする各奉納行事が廃れた。

 大火が発生したのは旧姶良八幡宮時代には行われていたそういった神事が廃されたのが原因ではないか、というような声が上がり、せめて相撲だけでも復活をということで再興された行事ではないかという気がする。これはあくまでも推論だが、そう考えておかしくはない。

 そもそも明治になって天孫三代目のウガヤフキアエズ命の御廟として吾平山陵が内務省によって確定されると、御廟の近くにあった「鵜戸神社」が参拝に遠すぎるということで市街地に移設されたのだが、そこは旧姶良若宮八幡が昔から祭られていた場所であった。

 この若宮八幡(現在の田中八幡社)は島津庄を拓いて摂関家に寄贈した平季基の弟の平良宗が自分の拓いた姶良庄を鹿児島正八幡宮へ寄進したがゆえに建立したもので、1046年ごろのことであるから、実に由緒のある古い神社である。

 隣り町の高山四十九所神社の流鏑馬行事は1100年頃から催されていたらしいが、ここでもその頃から行われていた可能性が考えられるのではないだろうか。

 ※ホームページ『鴨着く島おおすみ』のブログ入口に掲載したのは宮下相撲大会の「赤ちゃんの土俵入り」を写したものである。

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鹿屋市吾平町の敬老会

 今日10月29日(日)、鹿屋市の吾平町で敬老会が開催された。

 驚くなかれ、吾平町では旧肝属郡姶良村であった明治42年(1909年)から毎年行われ、今回で108回を数えるという。

 当時の鎌田村長が「老いを養う情は教育の源泉で、孝は百行の基である」との理念から開催を始めたのが起源だそうである。

 国が9月15日を「敬老の日」に制定したのは1966年(昭和41年)であるが、その起源は1947年(昭和22年)9月15日に兵庫県内の野間谷村で行われた行事(としよりの日)ということになっている(ウィキペディアによる)。

 ところが、ところがである。肝属郡姶良村(のちの吾平村→吾平町→鹿屋市吾平町)では何とその38年も前から村の行事として行われていたのだ。

 自治体を挙げての行事としての「敬老会」としては、この吾平町のものがおそらく全国で初めての開催であったに違いない。

 今年は「第108回 美里あいら敬老会」で、実に明治42年以来絶えることなく続けられていることになる。たぶん、全国でも稀れ、世界でもまれな行事だろう。

 「美里」は「うましさと」と読むが、これは昭和の半ばころに編纂された『吾平町史』の編纂委員長であった鹿児島大学名誉教授・原口虎雄氏の命名で、神武天皇の父に当たるウガヤフキアエズがその一生を過ごした吾平の風土を適確に表現したものである。

 「美」(うまし)は景観が美しいというより、よく整っている、過不足がないという意味で、まさに山紫水明に恵まれた吾平の風土を表している。

 式典の後には恒例のアトラクションが行われるが、中でも地域の女性たち(地女連)の創作寸劇が楽しい。堂に入った五つの出し物のどれもがコミカルで会場の高齢者の笑いを誘っていた。

 これも長期にわたる敬老会の定番の出し物として長い歴史を踏んでいればこそだろう。

 代表者に聞いたところ、「この(30分足らずの)寸劇を創作し練習して仕上げるのに2か月はかかった」ということであった。人々を楽しませるのにも、長く地道な努力が必要だということがよく判る。

 

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満開のばら園

 2017春のばら祭りが4月29日から6月4日までの期間、鹿屋市のかのやばら園で開催されているが、数日前に満開となりあと10日ほどはこの状態が続くとのことで早速行ってみた。

 満開である。風薫る5月に文字通り花を添えている。

 今週の土日は空前の人出になるだろう。近在の人は土日を外して出かけるとよい。

   【かのやばら祭り2017春】

   期間 4月29日~6月4日

   開園時間 9:00~18:00

   入場料  大人610円

   ※イベント(6月2日~4日 18:00~21:30)
    
     スプリングファンタジーナイト

      ショーと花火・イルミネーション

     入場料は昼間と共通でよい
     (ただし、夜だけの入場は別途610円が必要)

 

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かのや春のばら祭り2016最終日

一昨日から続いたかのやばら祭りフィナーレもいよいよ今日の夜でトリを迎えた。Cimg0687 8時近くになって入園してみると、会場の舞台では「ミスターばら祭り」の面々が紹介され、続いてご当地マスコットのばらら・ばらおを交えてばら園ソング「ばら色ロック」が歌われた。Cimg0697 真ん中の金色の王冠を被った青年が「ばらいろロック」オーディションで最優秀をもらい、今後はこの歌を唄っていくことになったそうだ。

 このあと花火が打ち上げられた。Photo_3 Photo_4 花火もだが、会場周辺と会場までのアプローチに仕掛けられたイルミネーションも見る者を圧倒する。Cimg0704 Cimg0701 今年の春はおおむね会期期間中満開かそれに近い状態を維持した。Cimg0744    終了は9時だったが小さい子供を連れた家族が案外多かった。

 秋の薔薇はどうか、期待しておこう。

 


















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かのやばら園は満開

 かのやばら園は春祭りの開園から3週間経ったが、今まさに満開である。Cimg0435 5月21日(土)午後のばら園。Cimg0433 テレビ東京のドラマスペシャルで『永遠のゼロ』の現地ロケを記念して作られた花壇も満開になっていた。Cimg0436 Cimg0439 Cimg0448 園内を走る模擬トレイン。Cimg0442 子供より高齢者が多く乗っているようだ。Cimg0454 園内の屋外ステージではイヴェントが行われていた。Cimg0453 1believe(ワン ビリーブ)という地元のアイドルグループの熱演。

 そのほか、吉本のお笑いコンビとmiccieという歌手の舞台があった(どちらも鹿児島出身)。

 

 この満開状態は少なくともあと一週間は続くと思われる。

 会期は6月5日(日)まで。




















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かのやばら祭り2016春

 2016年春の「かのやばら祭り」が始まった。

 4月29日の初日から数えて今日が6日目。開幕当初は花の着きが3割程度とやや少なかったが日を追って開花するバラが増え、今日は7分咲きになっていた。Cimg0002 3時半ころにばら園に行ってみると、人の出はまだかなり多い。Cimg0004 多いのは家族連れとカップルだ。Cimg0009 園内を歩いてみたが、今年は去年より相当に花の着きが良いし、色も鮮やかだ。つるバラ仕立ても見ごろを迎えている。Cimg0023 Cimg0020 Cimg0011 Cimg0030 Cimg0028 Cimg0016 Cimg0013 Cimg0033 と、まあ色々ありました。

 そよ風に乗ってお出で下さい。花粉症でなければぷーんと香りが漂って素晴らしいそうですよ・・・。

   < かのやばら祭り2016春 >

   期 間    4月29日~6月5日

   入園料   大人610円 子供半額以下

   時 間    9:00~18:00

   ※ 土産物あり、食堂あり。すぐ上の芝生の公園はサッカー場になるくらい広い。

     また、その奥の方にモーターカー場(有料・一周200円)と展望台あり(無料)。

  































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かのやばら祭り2015秋

 かのやばら祭りが開催されている。

 午後行ってみたが、まだ満開にはほど遠いようだ。Cimg6688 秋のバラは色彩が明瞭だというが、葉が春よりはるかにくすんでいるので相対的にそう見えるのかも知れない。Cimg6693 咲いている種類は多いものの株当りの数が少ない。Cimg6694 それでもプリンセスかのやは大ぶりの花を咲かせている。Cimg6692 探せば色合いの良いのもある。Cimg6699 これなんかも・・・Cimg6704 それなんかも・・・(造花ではない!)Cimg6700 濃赤茶色、ビロードの風趣・・・Cimg6710 温室のロビーには「ブルー」何とかという希少な青色のバラが飾られていた。酒類でおなじみのサントリーが5年くらい前に開発した物―という。Cimg6709 やや紫がかってはいるが紛れもなくブルーだ。たしかスイートピーなんかではとっくにこんな色がある。バラでは初めての快挙!だそうで、開発費に20億円かかったそうです、と係員が言う。

 この切り花一本で3000円はしますよ、とも。要らないよ、3000円の酒なら買うかもしれないがなァ、と返答。

 Cimg6712 若干物足りない思いでばら園を出て噴水広場の方に行くと、すごいことになっていた。Cimg6713 コスモスが満開だ。

 何でも、国文祭の一環で今年だけこんなイベントをしてみたそうだ。国(県もか)からそんな予算が付いたのだろう。

 係員がそう言っていた通りの見応え。これなら毎年やればいいのに。コスモスの種代くらい高が知れているじゃないかね。

  《かのやばら園2015秋祭り》

  ~11月23日(月)まで

  入園料 大人600円

  詳しくはばら園のホームページ


























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都萬神社の神舞(大崎町)

Cimg6533 10月25日(日)の夕方6時から大崎の都萬神社で神舞があると知らされ、大隅史談会10月例会(講師・橋口滿氏)が終わってから大崎町の上町に鎮座する都萬神社に出かけた。

 都萬神社の本宮は宮崎県西都市の妻萬神社(さいまんさま)で、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)を祀っている。大崎のも当然同じ祭神だが、大崎の都萬神社には別の祭神がある。

 それはコトシロヌシ(事代主)で、実はここには最初このコトシロヌシが祀られていた。そこへ曽於市有明町の原田というところで祀られていたコノハナサクヤヒメの社が焼けたとかで、ここに遷座したらしい。

 そのため同居するはずのない二神が一緒に祭られているようだ。Cimg6535 階段を上がって境内に入ると、すでに篝火がたかれ、立派な舞台が用意されていた。Cimg6541 境内を見て回っているうちに、舞台には出演する神舞の踊り手たちが勢揃いし、客席側に陣取ったカメラマンのフラッシュを浴びていた。Cimg6544 保存会の準備した演目の印刷物によると、平成22年、70年振りに復活し、今年で6回目の神舞奉納になるという。

 幕開けは巫女さん二人による「豊栄乃舞」。この舞だけは音楽(雅楽)がCDから流れていた。Cimg6546二番目は「小鬼神舞」。三番目「半蔵主舞」、四番目「弓舞」、五番目「四人鬼神舞」・・・と続き、Cimg6567最後の「手力舞」まで全部で十二の舞が披露された。Dsc00097 一番印象に残ったのは「小鬼神舞」(こきじんまい)で、大きな鬼の面をかぶって舞うのは小学生だそうで、よどみなく舞うというより踊っていた。

 省略した他の舞は「剣舞」「薙刀舞」「杵舞」「金山氏舞」「田之神舞」「火の神・大王」(の舞)である。

※夜の時間帯なのでデジカメよりもビデオカメラの方がよい―と考えてビデオを持参し映してきたが、12番全部で80分ほどにもなってとてもじゃないがブログに載せられないので、編集して10分程度のハイライト画像ににしてアップする予定。

 さて、この神舞の保存会が復活に至った経緯は当日の演目チラシに書いてあるが、これを紹介しておこう。

《 都萬神社は日向国の五つの郡(臼杵・児湯・那珂・宮崎・諸県)ごとに一社ずつ建立されました。本町の都萬神社は諸県郡に置かれた「妻萬神社」に由来します。

 もともと有明町原田にありましたが天文9年(1540年)に焼失し、現在の大崎に遷宮されました。しかし、明治44年(1911年)の大風により神社は倒壊し、一切の記録が不明となりました。

 いろいろ調べたところ、明治26年(1893年)1月に野方の照日神社が都萬神社において神舞の講習を受け、同年二月より神舞を始めていたことが照日神社の年表に明記されています。

 そこで戦時中より途絶えていた「神舞」を復活させるべく、当保存会が中心となり、約二年間準備を進め、平成22年商工会議所青年部の皆様などのご協力により、約70年ぶりに神舞の奉納が実現いたしました。

 本年も小学生、中学生、商工会青年部、役場有志、町青年団の皆様のご協力を得て新たに「半蔵主舞」を新演目として加えることができました。

 多くの方に「神舞」に参加し、肌で感じてもらうことにより、「神舞」が後世まで続く大崎町の誇れる行事となることが私どもの願いであります。本日はごゆっくり神舞をご観覧ください。 》

 

 


 

 










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あいら夏祭り花火大会

 今日は鹿屋市で二つの花火大会が同じ時間帯に行われた。かのや夏祭り花火大会とあいら夏祭り花火大会で、どちらも20:00~21:00の1時間を打ち上げに当てている。

 どちらにしようか―と迷ったが、近くの吾平の方に行くことにした。Cimg5272 夕飯後に少しまどろんだ後、8時15分前に家内と家を出た。打ち上げ場所から500mくらい離れた集落道にたくさんの車が並んでいたので、空いている所に幅寄せし、車を降りて見物した。

 すぐに花火の打ち上げが始まった。Cimg5273 打ち上げの前にはアナウンスで「○○会社の協賛を頂きました」などという協賛企業・組合などの紹介が言われるのだが、内容までは聞き取れない。Cimg5278 連発はやはり見応えがある。開いた花の中からまた別の花が次々に噴水のように湧き出て来るのがいい。Cimg5240 こういうタイプの花火が上がると、「バナナみたい」という声が隣りで見物していた家族の中から聞こえたが、たしかに似ている。Cimg5268 低い位置で次々に上がる連発の中には斜めに上がりながら次第に横に開いて行くようなのもが多かったが、これは技術的には難しいのかもしれない。Cimg5279 直径50mやそこらはある単発の巨大輪は音も強烈で、500㍍ほど離れた場所でも辺りが揺れようかというくらいの衝撃がある。Cimg5280 何百連発かのあと、巨大輪が2発続いて急に音が止んだので「もう、終わりだろう」と立ち上がって帰り支度を始めたら、また「ヒュー」と打ち上げ音がしたので、慌ててカメラのスイッチを入れて構えた瞬間に炸裂したのは彩り鮮やかな巨大輪。残念ながらぶれてしまった。

 どの花火大会でも一番最後の花火は巨大輪で、しかもこのように質の高いもの、鮮やかなものとほぼ決まっているようだ。次からは見落とさないようにしないと・・・。



















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星塚敬愛園夏祭り2015

 7月30日夕方から星塚敬愛園で夏祭りがあった。Cimg5134 今年は星塚敬愛園創立80周年。

 昭和10年に当地選出の衆議院議員永田良吉が「ぐらしか(気の毒な)人たちのために療養所を」と、大方の反対を押し切って誘致したのが始まりである。Cimg5138_2 7時過ぎから始まった歌謡ショー。今年は大江裕と中村美津子の二人。Cimg5140_2 北島三郎門下生で「のろま大将」という曲でヒットして歌手の仲間入りを果たした。

 本人の弁によると、祖父が鹿屋市吾平町の出身であり、3歳のころから演歌歌手になるよう言い聞かせたという。

 120キロの巨体で物腰超やわらか―というキャラはなかなか面白いが、歌の方が浮いている気がするのは僻目か。むしろ師匠のさぶちゃんの持ち歌をカバーした時の方がのびも声量もあってよかったが・・・。Cimg5144 二人目は大御所中村美律子。

 大江君とは縁があって―という話は意外だった。ともに大阪でも南部の富田林と岸和田という「お上品な」土地の出身で隣同士のようなもの。しかも、どちらも鹿児島には縁があり、大江が祖父の出身地であるなら、中村は母が鹿児島出身だそうである。Cimg5141 自身最大のヒット曲「河内おとこ節」は最後のアンコールで披露したが、その直前の「セリフ」入りの曲「壺坂情話」(おさと・沢市)が素晴らしかった。

・・・中村はこの曲に因み(盲目の沢市が壺坂寺信仰とおさとの純愛で開眼する内容)、盲導犬協会に盲導犬を今年までで合計36頭も寄付しているそうだ。偉い!

 その他、持ち歌5,6曲と美空ひばりのヒット曲3曲を舞台を下りて観客席に入り込んで歌ったのには観客も大喜びだった。

 余韻冷めやらぬうちに、花火の打ち上げが始まった。Cimg5150 9時から始まって30分ばかり、いつもより2倍から3倍の時間上がっていたが、Cimg5166Cimg5169 隣りで見ていた人と、「今年は創立80周年というので多目に上げたのでは?」「ああ、そうでしょうな」などと話したりしたが、ちょっとした町の花火大会に匹敵するほどの見応えがあった。

















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