高山川流域散策(最終回)

 源流をたずねて、甫余志岳(967m)を登ることに・・・・・。Kouyamagawa6_001

 再び二股川キャンプ場まで上がり、管理者のS氏に単車を置かせてもらう断りを入れ、甫余志林道を歩き始める。11時だった。

 キャンプ場の向い側、太平洋に面した岸良地区へ伸びる県道高山・岸良線の左手に入ると、甫余志林道だ。約3,5キロで登山口という道しるべが立つ。Kouyamagawa6_005

 林道に入ると50メートルも行かないうちにせせらぎの音が聞こえ始めた。やがて沢の流れがすぐそこに見えてくる。この前歩いた, この甫余志川とは正反対に流れ込む二股川沿いの林道とはえらい違いだ。

 沢が道に沿ってほぼ平行にどこまでもついて来る、と言う塩梅だ。Kouyamagawa6_031_2 時に、差し渡し2メートルもあるような巨岩が文字通りゴロゴロと転がったような流れもあり、度肝を抜かれる。

 林道からせいぜい10m、高低差はわずかに2mほどの所にあるから子供でも十分楽しめるはず。せっかくキャンプに来てこういう所に連れて来ないのはどういうわけだろう。ただ、バーベキューを喰いに来るだけが目的なのか(来ないよりはいいが・・・)。Kouyamagawa6_009

 歩き出して40分、なにやら道しるべが見える。「清純の滝」入口だ。案内にしたがって細道に入り、約5分。突然、道の正面が明るくなった。そして、滝が全貌を現す。

  Kouyamagawa6_012 高さは10m余りとたいしたことはないが、落ち方がいい。末広がりなのだ。清純の滝とKouyamagawa6_013 は誰がどうしてつけたか分からないが、滝の形状から言うなら「末広の滝」だ。

 6段くらいに分かれた岸壁を、右半分はなだれ落ちるように、左半分は絹糸のようにすだれ落ちてくる。そのコントラストがいい。見ていて飽きることがない。滝つぼも大きくはないから、幼児でも遊ばせることができるはず。来ない手はないだろう。

 ここから登山口まであと一キロ。車、十台は停められそうな広場がKouyamagawa6_015 あり、そのすぐ横が登山口だ。

 道しるべの脇に杖が7,8本立てかけてあるので、一本を選んで登ることにする。杖はおそらく高山三岳会の好意だろう。三岳会は、甫余志、黒尊、国見の三山を縦走する藩政時代からの行事を今に伝えようというグループで、登山道の整備を定期的に行っていると聞く。

 さあ、登山開始。七月の4号台風と今度の5号台風の影響だろうか、登山道が川になっている所がある。だが、道はしっかり付いているから問題はない。杉林を抜けて沢の音が近くなると、最後の水場だ。しっかり喉を潤し、ペットボトルに水を満タンにする。

 ここまでが約三十分。行程としてはもう三分の二は来ているのだが、ここからが本格的な登りだ。この水場が標高750mくらいだから、あと200m余り。距離にして一キロもないのだが、ずーっと一本調子の登りなのだ。

Kouyamagawa6_017  十分ほどのジグザグの登りで、尾根筋に出る。木漏れ日が明るく、周りは照葉樹林で覆われている。照葉樹林帯は夏でも日は通さず、木漏れ日程度で歩きやすい。

 だが杉の植林に追われて、今はある程度の高さにしかないから、そこまで上がるのに難儀をしなければならない。

Kouyamagawa6_018_2  明るくなったと思ったら、肩に出た

 木に札がぶら下がっている。見ると、山頂まであと二十分という道しるべだ。 ふくろうの絵が添えられている。岸良中学校の手作りだ。あとわずか二十分だが、ここから先は照葉樹林が途切れ、強い日差しの中を行くほかない。やれやれ。

Kouyamagawa6_019  三十歩歩いては立ち止まって息を整え、あえぎながら登っていった。ちょうど真ん中辺りに来た時だろうか、蝶が目の前に飛んで来た(アサギマダラか)。すぐ二匹になり、登山道の脇に生えている何やら細かい白い花に止まっては蜜を吸うらしかった。そのうちに三匹目も現れて止まった。すぐ目の前だ。

 そうっとカメラを向けるが、少しも意に介さず鷹揚なものだ。感心していたら、少し疲れも飛んだようだった。気を取り直して登り始め、十分ほどでようやく山頂に到着。Kouyamagawa6_024

Kouyamagawa6_022 山頂は巨岩である。見た所、奥行14~5メートル、幅6~7メートルだが、岩自体はそれよりふた周りは大きいだろう。

 山頂の一角には、国土地理院の一等三角点を表す小さな石柱が建っていた。

 晴れてはいるが、湿度が高いせいで風景はもやがかかったように霞んでいる。それでも稜線の先には黒尊岳国見山が望まれた。また、この巨岩の下、天保年間に寄進された「常夜灯篭」らしき石造物の安置された岩陰の所からは、はるかに岸良地区と太平洋をうっすらとと見ることができた(右)。Kouyamagawa6_026

 Kouyamagawa6_025 12時20分に登り始め、水場までが三十分、きつい登りが四十分、所要時間は一時間十分というところか。夏以外なら、一時間で十分のコースだ。

 林道を歩いたおかげで、いつもなら目に付かない清流を堪能した一日だった。

   マップ(赤の十字は「清純の滝」。林道から300メートルの所)

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高山川流域散策(その5)

 川上中学校の校長先生にお願いして、中学校の裏手の丘に登ることにした。Kouyamagawa4_026 岩屋橋から川越しに見えるいわくありげな丘だ(右)。Kouyamagawa4_025

 校門はなく、オープンな入口を入ると木造校舎のオンパレードだ。築56年と言うから戦後間もなくの校舎が、まだ現役で活躍していることになる。

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Kouyamagawa4_009_1   入口に講堂、次が職員室、事務室 そして長い教室が一直線に並ぶ。教室は長いためか、四箇所に補強のバリが付いている。こういうのは非常に珍しい。

 Kouyamagawa4_010 十何年か前に竹下恵子主演のKouyamagawa4_011映画の舞台になったそうだ。さもありなん。そういう希少価値があるということだ。校長は「補修が多くて大変」とのたもうが、国産材使用のモデルとしても、ぜひ遺してもらいたいものだ。

 ああ、懐かしき友よ、少年の日よ!(この学校の卒業生に代わって絶叫) 

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 ところで肝心の裏山だった。校舎の一番奥、右手に人の踏み跡があり、そこから登ってみた。比高12メートルほど登ると東西20m、南北40mくらいの平坦地だ。中世の城跡とは聞いていない。いったい何だろうーーとよく見ると、北のはずれにコンクリート製の水塔があった。小、中学校の上水道のタンクだそうだ。

 やれやれ、古墳か何かの遺跡だと思ったのだが・・・。

 それよりも気を取り直すことがあった。裏に見事な滝があるという。

 片野橋を渡ってすぐ右折し、高山川沿いに下る。100メートルで道がわかれ、右手を取る。すると、ちょうど錦江町田代にある花瀬千畳敷に似た河原が現れ、一箇所が落ち込んでいた。そこだ。単車を停め、河原に下りると・・・・・いや、本当にすごい滝だ。見事な自然の造形だ。二段に分かれているが、一段目は比高10m、二段目は上から覗くしかないので正確ではないが、7~8mだろうか。特徴は一段目で落ちた水が二段目に行くまでの距離が長く、プール状になっていることだ。その長さ30メートルは優にある。青い水の色が何ともいい。Kouyamagawa4_065  左:一段目の滝  真ん中:長い”プール”  下:二段目の滝の落下口

Kouyamagawa4_067 Kouyamagawa4_068

 

 

Kouyamagawa4_027_2上中学校を出て、さらに上流に向かう。すると吾平町の神野地区へ山越えする分岐がある。高山川にかかる橋を折生野橋というが、橋の背景の左手の山に深く亀裂が入ったような筋が見える。これは水力発電用の落水管である。

 まもなく九州電力高山川水力発電所が川岸に建つのが見える。近くに行ってみたが、どのくらいの電力が作られているのか、設立はいつなのかの案内板はなかった。

Kouyamagawa4_037_2 それよりも、その発電用の水が、ここからずっと上の二股川キャンプ場のすぐ下から採られていることがわかった。標高400m のところで取水し、写真の350mの山の頂上近くまで配水したあと落下させ、発電機を回すという仕組みだ。

 自然の力を利用し、廃物のないリサイクル、クリーンエネルギーだ。

 話は前後したが、折生野橋の次の金弦(かねづる)橋で高山川を渡ると、道はいっきに高度を稼ぐようになる。橋の上から見る高山川は、河原を大隅花崗岩で埋め尽くされている。Kouyamagawa4_064

  これからずっと上流に行っても、どこまで行ってもこれは変わらない高山川の姿だ。肝属山地そのものが花崗岩の山塊である以上仕方あるまい(というより庭石に欲しい)。水は軟水のはずだ。酒を醸すには良い水だろう。

 200mほど高度を稼ぐと、雰囲気は高原に来たという感じになってくる。その極め付けが二股川キャンプ場だ。二股の由来はKouyamagawa4_035 、二本の川が、東は甫余志岳(968m)から、西は八山岳(941m)から流れてきて、ここでちょうど合流しているからだが、合流の仕方がすごい。線で引いたように一直線で合流しているのだ(地図を参照)。

 昔の人だったら、高山川の深い谷間からやっとの思い出ここへ上がってみると、なんとまあ広々としていることよと思うはず。それかあらぬかここは「天孫降臨」の場所だという伝承がある。Kouyamagawa4_033

 空がぐんと近くなったかのような広いサイトには、テント場はむろん、バンガロー、炊事棟、キャンプファイヤー広場、水遊び場(二股川)などがある。管理責任者は川上中学校の近くに住む人で、中学校裏手の滝のことを教えてくれたのは、実はこの人であった。

 私が甫余志岳へは次回の散策に回し、今日は反対側の二股川沿いの林道を行けるところまで行ってみると言うと、管理氏は、この前の4号台風で道はひどい状態だからどうか、と危ぶむ。Kouyamagawa4_041_1

 実際行ってみると、確かにそうだった。1,5キロも行くと道はえぐれていて、もう単車ではどうにもならな。降りて歩くことにした。

 高原とはいえ暑い。このごろ鹿児島はやけに暑いのだ。南国とはいえ36度などはめったにないことだったが、鹿児島市内ではここ6日間続いている。鹿屋も昨日、初めて36度を経験した。

 川のせせらぎの音は絶え間なく聞こえているのに、林道から沢へ降りていく場所がなかなかない。さらに2キロ歩いてようやく道路から30メートル足らずの距離にKouyamagawa4_049 流れが見えた。

 降りていって顔を洗い、水を飲み、足を浸す。

 うむむ・・・、涼、涼、涼。冷、冷、冷。ありがたい・・・。

 セミ(ひぐらし)が頭に巻いているタオルに飛んできた。手に取ったが、ジーとも言わないので逃がしてやった。

   マップ(赤十字は川上地区。赤丸十字は二股川キャンプ場)

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高山川流域散策(その4)

Kouyamagawa4_001 高山本城の公民館の横を通り抜ける内之浦(国見トンネル)への道。

 左手の本城麓の公民館の真向かいから、本城川にかかる小さな橋を渡って高山川沿いの狭い道を行くと、シラス台地から下ってきた道が高山川と交差する「嶽橋(たけばし)」の所に出る。

Kouyamagawa4_003 嶽橋の上から、下流(本城方面)を望む

 川はいよいよ渓流の様相になる。幅12,3mで流量は多い。この辺りは採石場が多く、ダンプカーの通行がひっきりなしだ。橋から上流になると道路はほぼ川沿いに走り、所々に人家と、川沿いの田んぼという風景が続く。

Kouyamagawa4_021_1  途中、よく手入れされた畦と、穂が垂れ色づき始めた田んぼが余りに美しいので道路から入って降りていくと川の淀みがあった

 すると川面まで3メートルの高さの所に看板が建てられていた。 「 泳ぐな 危険!!   PTA 」と書いてある。

 なるほど親の気持ちは分かる。でも子供の気持ちも分かる。夏休みの暑い日、こんな青い涼しげな天然のプールがあれば飛び込みたくもなろう。

Kouyamagawa4_006 5分も走ると川上地区だ。まず出会うのが左から流れ込む岩屋川で、上流を望むと川上地区のランドマークと言える山が聳える。ところがこの山には名が無い。そこで川上岳と呼んでおこう。標高312メートルは、隣の吾平川・神野地区のランドマーク中岳(677m)の半分だが、でんと構えたところが貫禄十分だ。

 この岩屋川が高山川に合流する所はちょっとした滝になっている。

Kouyamagawa4_007 2段に分かれ、上段は比高5m、下段は3mくらいか。下段のほうは滝というより激流と言うべきかも知れないが、もしその部分の岩を取り除いたら、上段の滝は比高8mという立派な滝になるだろう。そうなるとこのすぐ上にある川上小・中学校は「滝ノ上小・中学校」に変えねばなるまいが・・・。Kouyamagawa4_0011

 岩屋橋を渡って右側にあるのが川上中学校、左側にあるのが小学校だ。

 中学校は「きばらんな(がんばろう)」がキャッチフレーズで、なるほど一学期の終業日だというのに、校庭では暑さの中を、生徒たちが懸命に走っていた。木造校舎が懐かしさを誘う学校だ。

Kouyamagawa4_014  対するは道を挟んだ反対側にある小学校

 なんと、校庭の隅に水車が回っている。体験学習の一環か、PTAの寄付かは分からないが、なんとも贅沢なことだ。贅沢と言えば校舎も立派だ。全学年でおそらく50人はいないだろうが「小学校は地域統合の象徴だ」とは、以前住んだことのある山間部の地域でもよく聴いていた。だから不釣合いなくらい小学校にだけは手を掛け、暇をかけ、金をかけて守る。それが住民の心意気なのだ。

Kouyamagawa4_017 中学校の左隣に鎮座する川上神社。祭神は「猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)」で、天孫降臨の時、天の八街(あめのやちまた)にいて、皇孫の道案内をつとめた神。

 この神社は棟札によると天文23(1554)年、肝付氏第17代当主の良兼(父:16代兼続かねつぐ 母:阿南おなみ=島津日新斉・忠良の長女)が建立。ただし、それ以前のことは分からない

 川上地区は高山川本流と岩屋川の合流点なので、相当古い時代に開けたことは間違いない。だが、『和名類聚抄』の諸国郡郷一覧に大隅国肝属郡川上郷とある「川上郷」をこの地に比定する説があるが、それは無理だろう(私見では川上郷は雄川上流の南大隅町田代地区である)。

 神社と中学校のある一角の裏手にこんもりとした小山がある。どうもそこに上代の川上Kouyamagawa4_013 の豪族か、信奉する神が祭られていた気がする。ちょうど姶良川の神野地区で、二本の川に挟まれた小高い山にアイラツヒメが祭られているように(姶良川流域散策その6を参照)。

 片野橋から高山川越しに見る川上神社。左の森の中に神社がある。一方、右手の建物の上にさらに小高い森が見えるが、そここそがはるか昔の遺跡ではないかと思う。道が見当たらないので登るのは断念した。

 川上地区の棚田。この辺りは普通作だ。Kouyamagawa3_018

 田植え後、一ヶ月余りというところか、老農夫婦が暑いさなか畦草刈りに精を出していた。

  マップ(赤十字が川上地区。丸に十字は嶽橋)

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高山川流域散策(その3)

Kouyamagawa3_001  神之市橋から土手はまだ少しの間、よく整備された国管理級の出来栄えだが、それも水の流れ込みを制限する管理棟までで、それから上流はくねくねと曲がりくねった川筋になる。

 昨日の時間雨量100ミリという豪雨の証拠だろう、川中に生えている葦が、全部川下に向かって寝ていた。

 400メートルほど行くと永山橋が架かっている。それを左岸側に渡り、案内板を見て左Kouyamagawa3_006_1 に200メートル。鬱蒼とした木立の中に「良清軒跡」がある。

 ここは肝付氏族の墓地だが、それより、肝付14代兼久の時に鹿児島から遠征してきた島津11代忠昌との戦闘の際、双方に多数の戦死者が出たのを葬り、かつ供養碑を建立してあることで名高い。

Kouyamagawa3_008  遺骸は右の写真の供養碑(天文1=1532年建立)の後に立つ大きなタブの木の根元に埋められたという。

 戦闘があったのは永正3(1506)年であった。島津忠昌はこれよりもう少し上流、高山本城に対面する山腹に設営された「柳井谷陣」を本拠地として本城を攻めたが、逆に大敗して鹿児島に引き上げた。その挫折もあったのだろうか、2年後に自害して果てている。Kouyamagawa3_009_1

 高山本城へは良清軒跡からいったん右手のシラス台地に上がり、信号で国見トンネル方面の道をとる。左折し、高山川への下り坂を1キロほど行くと本城盆地だ。

 すぐ新しい橋を見るが、それが本城橋で、橋を通して真正面の小高い丘に国指定史跡「高山本城」がある。低い丘のさらに向こうに見える山は肝付山地の東端で、手前右手の丸い丘の真後ろにちょこんと国見岳が頭を出しているKouyamagawa3_010

 左は橋の上から見た本流(右)と本城川(左)の合流点。

 やはり昨日の豪雨のせいでどちらの川も流れが速く、水量も多い。ただにごりが少ないのは、豊かな森林と肝付山地特有の花崗岩のおかげだろう。

 川に挟まれた杉林と竹林の小高い丘は「道隆寺跡」で、本城川にかかる小さな橋を渡って回り込むと、入口があり鎌倉の切り通しのような凝灰岩をくりぬいた階段を入ると、開けた土地が広がる。

Kouyamagawa3_016  宝塔、五輪塔、宝匧印(ほうきょういん)塔、逆修塔などまるで中世の石塔の博物館のような光景が広がるが、近くの酒店の主人によると、道隆寺は今石塔などがある場所には無かったと言う。

 入口の手前、右手に広がる畑がもとは小高く、そこにお寺があったそうだ。でも観音堂が石塔群のある場所にあったことは間違いない、と言う。

 観音堂跡という立て札が確かにあった。2~3間四方の土壇らしきものが残るだけ。だが、平成9年に地元有志の手で観音像が建てられている。清清しく柔和なお顔である。香華の花も新しい。南無、観世音菩薩、祈る幸運!

 マップ(赤十字は永山橋と良清軒跡。丸に十字が道隆寺跡)

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高山川流域散策(その2)

 鹿屋、吾平町方面から旧高山町の中心部に入るときに渡るのが「高山橋」だが、これは通称で正式には「赤池橋」と言う(右の写真)。Kouyamagawa2_014

 この辺りから次の屋治橋まで、河川敷がかなり広い。昔は川が曲がりくねっていたのを、国の管理で流路を真っ直ぐにし、さらに浚渫や護岸工事を行って現在の姿になったものだろう。

 写真手前の左岸土手を上流に向かうと、街の上に穏やかな峯が広がって見える。城山である。高さは109mあり、南北朝時代にはあったと言われる「弓張城」の跡でもある。Kouyamagawa2_012

 山の手前下に見えるのが屋治橋で、左手から来る役場などのある中心街と、右手の西方・前田地区とをつなぐ橋だ。

 橋のたもとまで行き、右に折れて200メートルほどで盛光寺(じょうこうじ)跡入口を示す案内標式がある。左折して住宅の間を5,60メートル進むと大きな看板と五輪塔が見えてくる。それが肝付氏累代の墓だ。

Kouyamagawa2_009 一番右が第八代兼重(南北朝の勤王方重鎮)で、左へ九代、十代と居並ぶ。

 時代は下って16世紀の前半、大隅地方はいよいよ戦国末期の様相を呈し、薩摩、大隅、日向三州に勢力を扶植し何とかまとめあげたい島津氏の中興の祖といわれる日新斎こと伊作島津家の当主・島津忠良は、実の娘阿南(おなみ)を、肝付第十六代兼続(かねつぐ)に嫁がせた。

 政略結婚だが、当時としてはさほど珍しいものではない。ところがやはり、と言うべきか兼続の代に一時大いに奮ったものの、やがて日新斎の目論見どおり、次の代に家運が傾き、その次の代で島津方に降伏する(天正2=1574年)。阿南(おなみ)は肝付氏が阿多に改易される(天正8=1580年)のを見届けるかのように、翌年この地で没した。阿南の墓もここにある。

 再びさっきの屋治橋に戻り、渡って今度は右岸沿いに少し行くと国指定重要文化財「二階堂家」がある。ここは前回の時参拝した四十九所神社とは、城山を挟んだ裏側に当たる位置にある。Kouyamagawa2_018

 あいにく天候不順のため雨戸が閉ざされており、見学はできなかった(右の写真)。

 それならと、この道続きにあるという肝付氏第五代兼石の墓を訪ねることにした。約300メートルだろうか、川が間近に迫り、土手に上がろうかという所の左手に標柱が建っていた。行くと伸び放題の草の道の奥、少し山林の中を上がった所に石塔が立ち並んでいた。

Kouyamagawa2_003  驚いたのは、石塔の上に覆いかぶさる椎に木の倒木だ。

 枯れ具合から見るとおそらく去年の台風の時に倒れたままのようだ。さぞ鬱陶しかろうと取り除けたい気持ちはあるのだが、十メートルはあろうかという倒木だ。

 すぐに地元の文化財の先生である T先生に連絡を入れた。すると去年の台風ではないけれども、早速手配しますということだった。

 雨が本降りになってきた。少し上手にある「神之市橋」まで行き、そこから山手に1キロほど上がったところにある高山温泉ドーム(やぶさめの湯)に向かうことにした。

Kouyamagawa2_007  神之市ー―とはどんな由緒なのか、興味がそそられる地名だ。橋の向こうの小高い丘の下あたり一帯が小字「神之市」だ。市という名称にはふさわしくない静かな、むしろ辺鄙な所なので「市」は何かの転訛だろう。ウツか、イツか・・・。

 橋からちょうど1キロでやぶさめの湯である(城山の南麓)。ここのは本物の温泉だ。ただ温度は30度くらいしかないが、入ってみるとそれなりに湯当たりが違う。Kouyamagawa2_001_1

 ドームと名付けられているのは、向かって右のドーム型の浴場があるためだ。当地で生産している木材会社が開発した集成材による木組みで、ドームが造られているという。

 それよりも野菜の百円市がいい。入口の長い屋根の下には左右にぎっしりと地元生産者の野菜が並ぶ。顔写真入りだ。安い安いと買っているとすぐ温泉代(300円)の三倍にもなってしまうから、要注意(重すぎて腕が痛くなっては、何のために温泉に入りに来たのか分からなくなるよナ)。

  マップ(赤十字が神之市。丸に十字は二階堂家)

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高山川流域散策(その1)

Kouyamagawa1_001  一級河川肝属川に南から注ぐ3本の川(姶良川、大姶良川、高山川)のうち肝属川河口に最も近く合流するのが高山川である。

 長さは姶良川とほとんど変わらない24キロほどで、源流の山地の最高点も950メートル余りと、その点でも似ている。

合流点:右が本流・肝属川      Kouyamagawa1_002

 右の写真は合流点のすぐ右岸側にある下之門集落越しに望まれる肝属川河口のランドマーク権現山(320m)だ。河口までは約6キロある。

 ここから500メートル余りで下之門橋に着く。流れを見ると、右岸(左)側の河川敷が広く、菜園として利用されているようだ。大水の時には水に浸かってしまうのだろうが、川の水位はかなり低い。Kouyamagawa1_003

 昨日、一昨日とかなりの雨が降っているのに護岸のブロックが丸見えなのだ。よほど河川工事が成果をあげているのだろう。そういえば、国土交通省の九州地方建設局大隅工事事務所というのが高山にあった。

 高山川はしてみると国の威信のかかっている管理河川なのだ。道理で土手(堤防)が広くしっかり造ってあるわけだ。Kouyamagawa1_005

 下之門橋から2キロ弱上ると、高山中学校と文化センターのある左岸と、大隅工事事務所のある右岸を結ぶ新前田橋だ。いま新橋を建設中であるが、そこからは高山町(現・肝付町)の中心部が広がっているのが見える。

 土手の上をさらに800メートルほど進むと、今度は高山(赤池)橋だが、今日は渡らずにそのまま右岸に沿って行き、左手(東方面)に道をとる。すぐに高山小学校の交叉点を右折すると、界隈は藩政時代の麓集落だ。麓は外城ともいい、城とは名ばかりで実際には「御仮屋」という名の「地頭事務所」が置かれていた。

 Kouyamagawa1_017 現在の肝付町役場がその跡地だが、ここには戦前、女学校もあった という。

 役場の通りの向かい側には武家門を備えた屋敷などがあったりする。生垣越しに中を窺うと、かなり広い庭が見える。そこは庭というよりは菜園の占める部分が大きいようだ。武士といえども自給自足に近い当時の暮らしがしのばれる。Kouyamagawa1_018_3

 役場の裏手(東)には四十九所神社がある。

 戦前から建つ石柱には「縣社 四十九所神社」と彫られており、官国弊社に次ぐ大社だったことがわかる。Kouyamagawa1_014_2

 由緒では肝付氏の入部前の、10世紀の末近くに肝付氏始祖の大宰大監・伴兼行(遠祖は大伴旅人の系譜という)が天神・地祇49神を勧請し、建立したという。

 だが、どうもそれは違うようで、本当は亡命してきた物部守屋の後裔がすでに建てていたのを、 中興しただけらしい。

 そのあたりはいまだ闇に包まれている。もし島津氏に敗れた肝付氏が天正8(1580)年に阿多地方に移封されず当地に残っていたならば、あるいは解明されたかもしれないのだが、そこは戦国の世の習い、負ければ改易、取り潰しの仕置きは避けられない。Kouyamagawa1_015_1

 神社入口に用水路がある。これは高山川上流から神社の南側に聳える城山の山裾をまわって、下流の水田地帯へ送られる用水である。水量は多い。

Kouyamagawa1_013         入口の鳥居前から続く「やぶさめ道路」の脇にも細い用水路が敷設されている。十月の第三日曜日には観衆でぎっしり埋まるこの通りも、普段は静かなものだ。

                        神社前の水路の東はずれKouyamagawa1_011

 豊かな水は広がる水田を潤す。このあたりの早期米は半分ほど穂を出していた。

  

   マップ(赤十字は新前田橋)

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