本城川流域散策(垂水市)
鹿屋市から垂水へは国道220号線を行くが、左手に垂水栽培漁業センターという案内看板を見て間もなくフェリ ー入り口の信号がある。本城川はそれを右折すると、左岸沿いに上流へ向かうのだが、フェリーターミナルに近い河口付近に「垂水大橋」が新設されたので行ってみた。
ターミナル側から渡ると町の中心地が近く、その向こうに大きく桜島が望まれる。これも公共事業による新しい風景のひとつだろう。悪くはない。ただ、300メートルもあるような長い橋なら、橋の途中にモニュメントの一つくらい在ってもいいような気がするが・・・。
橋から上流方面を眺めると、わずか15キロほどの川とは思えないかなりの川幅がある。国道に架かる橋の向こうの山岳は高隈山で、そこがまさに源流になっている。向かって左側(右岸地帯)は広い沖積平野が広がるが、向かって右の左岸地帯は比高50メートルほどのシラス台地が迫る。
再びさっきのフェリー入り口の信号まで戻り、そこを直進する。左岸沿いに上流を目指そうというわけである。
信号から1.5キロほど進むと正面に岩山が近づいてくる。まだあたりは平野だが、川はすでに清流の趣をたたえている。だが川の中のシラスが生々しい。
もう間もなく「本城址」だ。木の道しるべによって細い路地を右折して入って行く。200メートルほど行くと右手に道がわかれ、看板が立っていた。さらに行くと小さな墓地があり、すぐ空堀の跡かと思われるシラスの壁が現れた。
そこから上へは行けども行けども何もないので引き返し、看板のあったところからさらに舗装道路を登っていくと、紅葉のきれいな尾根筋が見渡せた。
あれが本城のあったところだ。垂水本城は城主「伊地知氏」で、加治木から移住して8代約150年続いた後、最後の重興の時に、島津氏の軍門に下っている。
本城川に戻り、やはり左岸を上ること約800メートル、右手のシラス台地中腹に何やら建物が見える。勝軍 地蔵堂だ。後ろのシラス山には高城があったという。
振り返ると、川向こうの右岸には水之上小学校が見え、小学校の上に桜島が顔を出していた。
桜島の手前を仕切る台地もシラス台地で、本城川はあの台地と、手前の(左岸の)台地との間を削り取り、平らに均しながら、今見る垂水の平野部分を形成したことになる(その幅は1.5キロ~2キロ)。
勝軍地蔵への道しるべを右折し、200メートル足らずで道は突き当たり、右へ 回り込むようにひと登りすると地蔵堂だ。こざっぱりとした造りで賽銭を上げて堂の中に入る。今回、地蔵さんはおいやった!去年も今頃来たが、そのときは黎明館に展示中で、もぬけの殻だったのだ。ガラスの向こうに立派な地蔵さんと、二体の脇持仏がこちらを向いている。ガラス戸は鍵がかかってあかないのでガラス越しにレンズを押し付けて撮った。
地蔵菩薩は高さ2mの大型で、造立年代が永正3(1506)年とはっきりしており、去年500年の開眼法要が営まれた。造立主は裏手にあった高城の城主肥後氏、製作者は加治木の岩屋寺住職快扶であることが胎内文字によって確認されている。
また、脇持仏は向かって左が毘沙門天、右が多聞天で、それぞれ1.4m。すべて寄木造りで木造の現存仏としては県内最古という。
地蔵堂を後にしていよいよ川は山の中に入って行く。田畑橋を右岸へ渡り、田んぼ地帯を抜けて右手に道をとると、今度はすぐに井川橋(この橋が渡る川は高峠から流れてくる支流)を渡る。
広くなった道をそのまま行けば新城地区の海岸地帯だが、本城川を渡らずに左手の山道に入る(猿が城キャンプ場の案内板が立つ)。約3キロで猿が城キャンプ場に達する。このあたりが海から7キロほど。すっかり山岳地帯の中だ。
キャンプ場には下りずに、道を引き返し、川向こうに見えていた猿が城ラジウム温泉へ行ってみる。月曜日は定休だろうと思いつつ行くと、何と営業していると言う ので早速入浴する。
定休日 水曜日
営業時間 9:00~16:00
入湯料 500円 (石鹸・シャンプー有り)
きけば、この温泉はラドンの含有量世界一だそうで、45年ほど前から営業しているそうだ(1975年の学会誌で発表された)。
ご主人は京都出身で、ラジウム温泉の調査にやってきてそのまま居付いたという人(奥さんは串良町生まれ)。
温泉水も売っている(500ミリリットルのボトルから20リットルまで各種)。
湯室の入り口にある『健康こそ人生最高の宝である』という張り紙。入浴しながらラドンをいっぱいに取り入れると、その効果は一週間は持続するという。健康になりたい人は是非どうぞ。ラドン水(霊泉)の試飲もできるから、お勧めしたい。
ラジウム温泉を出て、さっきの分岐に戻り高峠からの支流に架かる井川橋を渡る。ここから今度は右岸沿いを下流に向かって散策する。
初めに垂水島津家墓地に行きたいところだが、道が分かりづらいので、道なりにまず市街地に入り、垂水小学校を目指す。そこは江戸時代に垂水島津家が興されたとき、仮屋(役所)があったところだ。小学校の凝灰岩製の塀の向こうに「お長屋」が現存する。
垂水島津家は加治木、宮之城、今和泉と並んで格式の高い島津一門で、特に垂水は大隅地方を管轄する要衝の地であったから、文武に亘って風格があった。墓地の石塔群も多種多様を極めており、見るべき物が多いとされているが、残念なことに一般には開放されていない。
墓地は小学校から東へ500メートル余り道なりに行くと、入り口を示す案内柱が見えるから、そこを左折して4~50メートル行った所にある。
垂水とは 「岩はしる 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌えいづる 春に 成りにけるかも」(志貴皇子の 歌=万葉集第8巻・1418番)というように、渓流あるいは激流の意味で、本城川の山間部はまさにそのものずばりの様相を見せる。
垂水はそのような水に恵まれたところというイメージだったが、近年は「温泉水ブーム」で大当たりだ。さっきの「霊泉」から「財宝温泉」「美豊泉」などなど。市立図書館の近くを通ったら「樵(きこり)の分け前」という変わったネーミングの温泉水の販売所があった。見れば国際的な賞をもらったと書いてある。どれ、どんなかなと買ってみることにした(4.5リットルあたり100円)。
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