更なる進化―七族協和?

朝日の中に匂う菊たち・・・と言っても、花粉症アレルギーの影響で著しく嗅覚が劣ってしまったわが鼻にはほとんど匂わないのだが、今朝、よく調べてみると、花弁の種類は五種をこえて七種になっていた。

 まずは、原種。11147shunokiku_001

 6年前、新築の家の庭に10本ほど植えたのが、この色の菊で、癒される藤色である。11147shunokiku_002

 2年後に現れたのが純白。清々しい。11147shunokiku_005 

 その翌年には、ツートンカラーの自称「日の出菊」が作出(?)された。

 真ん中部分は藤色の原種そのものだが、花弁の先端部は白。上の2種の自然交配かなと考えている。

 ところがよく見ると、下の4,5花は黄色に変化しつつある。真ん中の藤色が薄れて、先端に移行し、その結果先端の白を含め全体が黄色くなって行っている。11147shunokiku_004

 黄色はすでに去年の段階で作出されていた。

 これが去年からの株だが、隣りのピンク系に押されて、やや小ぶりの元気のない花を咲かせている。黄色と言うよりクリーム色と言ったほうが良い。

 で、そのピンクが今年は優勢だ。11147shunokiku_003

 ピンク色の菊が、かなり勢力を伸ばしてきた。11147shunokiku_007

 ピンク系は八重咲きも現れた。

 庭の水道の蛇口に近い犬走りのコンクリートと、砂利の間に落ちた種から伸びた株である。日当たりだけは良いが、逆境に近い環境から、よくぞここまで。

 「根性ピンク菊」と名付けるか・・・。11147shunokiku_006

 一方で、数は少ないが、濃厚な藤色もちらほら現出している。

 これは殖やしたい一品である。来年の春、挿し芽をしてみよう。 

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五族協和な菊たちー2009

おとといの夜、9時10分くらい前だったか、ブログを書こうとしていたら近所に落雷があって、インターネットが不通になってしまった。

 7時半頃から雨足が強くなり、遠くでかすかな雷鳴と光が見えていたが、まさか近所までやってくるとは思わなかった。しかもあと15分くらいは大丈夫だろう、10分してからコンセントを抜けばいい、と思っていた矢先にいきなりの轟音とともに光が走り、停電になった。

 幸いパソコンに異常はなく、その代わり電話回線の取り入れ口がやられたようだ。翌朝、NTTに連絡をいれ、夕方までには復旧した。隣家では電話回線だけでなく、家庭電源口までがやられたとのことで、今朝も電気工事業者がやってきている。雷は隣家を直撃したのかもしれない。

 今日は午前中、仕事が休みなので書いているが、おととい何を書こうとしていたか、テーマは思い出すのだが、どんな筋書きで書くはずだったのか忘れてしまった。・・・ので、朝、体操のついでに、庭の菊を撮ったのを載せることにし1112gozokukyouwakiku2009_003 た。

 ようやく菊日和、と言うには、この頃やけに雨が多いが、それでも順調に咲き始めている。今年は「日の出菊」(オリジナル命名)の中に純白の菊がちらほら見えている。去年は黄色のが現れたが、今年は白だ。

 花びらの形や付き加減は「日の出菊」とほぼ同じだが、色は真っ白。真黄色よりは気品が感じられる。1112gozokukyouwakiku2009_001

 玄関先に咲き揃いつつある五種類の菊。名付けて「五族協和の菊たち」がそれぞれの色や形を現している。1112gozokukyouwakiku2009_004

 これら五種は右手にある藤色の八重の菊が元になっている。

 写真では分かりにくいが、手前が「日の出菊」、その左上が色の濃い八重菊、さらにその左上の一叢が薄いピンク色、そして原種と濃い八重菊の間に7,8本の純白の菊が見えている。

 原種を入れて、都合、五種。オリンピックだ。オリンピックは肌の色を超えてともに汗を流し合おう――と始まった。

 日本の満州統治も、五種の民族(日本・朝鮮・漢・満州・蒙古)の違いを超えて仲良く発展しよう――が理念だった(日本が戦争に敗れたので、負ければ賊軍とばかり、あの統治を侵略だなんだかんだ、と言われるが、極東軍事法廷=東京裁判で、満州については何の罪にも問われなかった。調べても人種差別や虐待などなかったからだろう)。

 清々しい朝に、戦後の誤った戦前観を非難するのは本意ではないが・・・・・、あ、今、思い出した。

 あれだ、11月8日(日)の夜、NHKで放映された『秘録・北朝鮮の核をめぐる交渉』とかいう番組だった。

 小泉総理のとき、2回平壌を訪れて、北朝鮮最高指導者・金正日と結構長い会談を持ったが、その中で小泉総理が「核を放棄すれば、国際社会から相当な援助が期待できるのだから、是非そうしなさい」と言っていた。そのことは当然考えられる内容だが、私は次の総理の言葉に引っ掛かるものを感じたのである。

 「日本も、戦前は孤立化の道を歩み、そのために戦争を引き起こす羽目になった・・・」

 戦前、日本がことさら「孤立化の道」を歩んだなどと言うのは、全く歴史認識が誤っている。なぜなら1902年に結んだ「日英同盟」はちゃんと保持しているし、1941年の4月には「日ソ中立条約」を結んでいる。

 また、軍事的な交渉では、1921年にワシントン条約、1930年にはロンドン条約を締結している。

 今、北朝鮮がやっていること(というか条約や協定をそもそも結ぼうとしないこと)と戦前の日本が正式に交渉をしていたこととを、一緒にしてもらっては困るのだ。北朝鮮はクリントン国務長官が指摘したように「耳を貸そうとしない、駄々っ子」であって、戦前、日本が欧米流の外交交渉にまずは真面目に対応してきたのとは全く違っており、比較にすらならない問題なのである。

 むしろ戦前の日本は、欧米流の国際法なり外交交渉なりをちゃんと取り入れて発展したのだが、発展しすぎたために欧米(主流は英米だが)から非白人・非キリスト教という観点から異端視されたこともあり、「孤立化させられた」のである。

 「俺たちの植民地分捕りゲームに、東洋の黄色いおかしな野郎が入り込んできたが、あんなのつまみ出してやれ」とばかり、じわじわと包囲網が作られたのだ。

 早い話がこういうことであった。

 こんな真実も、対米戦争に負けたために、オセロゲームのごとく、すっかりひっくり返され「日本から進んで孤立したのだ」「日本から進んで侵略したのだ」という「すべて戦争への道を進めていったのは日本のせいだ歴史観」がまかり通っている。一国の総理にしてしかりだ。情けない。

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夫婦別姓

鳩山内閣の千葉景子法務大臣は「夫婦別姓」に非常に前向きと聞く。

 「夫婦別姓」の論議は、もう20年位前になるだろうか、ある大学教授だったか講師だったかは忘れたが、学会の発表論文などで結婚前の姓名が定着しているので自分はこれからも「旧姓」を通したい――という趣旨で裁判に訴えた女性研究者がいて、随分話題になった、と記憶する。あれから別姓論議がやかましくなったと思う。

 自民党政権では、「別姓にすると家族の一体感が薄れる」という考えが支配的で、結局日の目を見ることはなかったが、今度の法務大臣は違う。やる気まんまんのようだ。

 実は別姓論議にはフェミニストの後押しがある。千葉法務大臣の別姓へのモチベーションもそこに根拠があるのかもしれない。

 しかしよく考えて欲しい。現在の日本人の姓は確かに男系で、おそらく結婚したカップルの95パーセントは夫の姓を名乗っているし、妻の姓を名乗る場合でも、実はその姓は妻の父方の姓がほとんどなのだ。

 何のことはない、女性の側でも結局は男系であり、ただ自分が幼少のころから馴染んでいる姓だから、父方の姓をそのまま名乗りたいというだけに過ぎない。そこには自分の母方への配慮はない。母よ怒れ!

 もし、公平に姓を選択するのなら、夫方の父母の二つの姓と、妻方の父母の二つの姓の都合四つの姓から選択をしなければなるまい。

 それに子どもはどうする? たとえば20歳になって自分の希望の姓を選択するというのでは、もしそれまでと違った姓を選択した場合、彼(彼女)のそれまでは何だったの??という疑問にさいなまれるだろうし、親の希望と合わなかったりしたら親子喧嘩も頻発するだろう。まして「何とか相続」などが絡んでくると、紛争はより大きくなるだろう。

 そこまでして別姓にする意味が分からない。

 そもそも姓なんてそんなに大切なものなのだろうか?「いやあ、俺のうちはもと貴族でね。姓で分かるだろう?」というような手合いがはびこるだけではないか。だいいち日本国で最も高貴なる家系である天皇家には姓はない。

 明治になって万人に姓が付いたわけだが、その志やよし。どうしても別姓をという人には明治の造姓に見ならい「ペンネーム」(今ならブログのネームか)という形でどんどん名乗ったらいいのだ。わざわざ法制化する必要はあるまい。

 

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火事と満月

夕方の6時になり、焼酎を片手にNHKの6時のニュースを見始めた。

 全国ニュースが終り、鹿児島のニュースになる。そこでは、宮崎市の小学生が一昨日の土曜日に家族とともに登った韓国岳(霧島連山の最高峰=1700㍍)で行方不明になったが、今日の昼過ぎに稜線の下で倒れているのが見つかった。しかし残念ながら意識が戻らずに死亡した・・・そんな可愛そうなニュースがトップに報じられていたのだが、遠くで何やらサイレンが聞こえてきた。

 最初は消防車のものとは思わなかったが、東から南から、だんだんサイレンの音が増えてきたようだった。ついにはわが家の近くの県道を東から西へ、けたたましく消防車が走り去っていく。

 今日は朝から強い西風が吹いていて、日暮れとともにぐんと気温が下がってきたので、10軒ある隣り近所ではないのは確かなのだから、わざわざ出て見る必要はなかろう――とは思いつつも、やはり野次馬根性は健在(?)であった。

 庭に出てみても、夕空にそれらしいあかるみは見えない。ところが門口(といっても実物の門はないのだが)まで行くと、ほぼ真西の水平線方向がうっすらとオレンジ色に火照っている。しかも近くには消防の赤色回転灯の明かりが見えるではないか。

 5分もすると、オレンジ色の模様の中から炎が立ち昇り始めた。わが家とは直線距離にして1キロ弱、ほぼ平坦な畑地帯で、間にはビニールハウスが十数棟立ち並んでいるが、そのビニールハウス越しに、炎は見る間に高くなっていった。 1102kajitomangetu_001

 折からの強い西風で、時おり炎が這うように左へとなびく。

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 西風に乗って、消防に当たる人の大声が聞こえてくる。

 木が燃えてはじけるのだろうか、パキパキという音も耳に入る。

 15分後くらいの炎が最も高かった。寒くていったん家の中に入り、さらに15,6分してから再び目にしたときには、かなり鎮火していた。

 今年一番の冷え込みが、火事を誘ったというわけではないだろうが、焼け出された人たちにはお気の毒と言うしかない。1102kajitomangetu_003

 振り返って東の空を見ると、どうやら旧暦9月15日の満月のようだ。

 やはり秋の月は、どこか物悲しい・・・。

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菊とコスモス

2、3日前から、朝の体操をするたびに、蕾をふくらませているなと気になって目にしていた菊が、ついに咲いた。1031kikutokosumosu_001

 庭の東の一角にある大きな石の横の一株が、一年ぶりに目を覚ました。

 例によって蕾は濃い藤色で、開くと内側はやさしい藤色である。1031kikutokosumosu_002

 この一株だけが際立って早い目覚めだが、あとのはまだ固い蕾のままだ。

 いつもなら11月に入ってから花を咲かすのだが、今年は九月後半にやや寒い日があり、今月もここ一週間くらいぐっと冷え込んできたせいだろうか。1031kikutokosumosu_003

 その一方で、九月以来、ずっと花を咲かせ続けていたコスモスがようやくかげりを見せ始めている。ところどころにタネの塊が着きだしたので、タネを採取しておいた。1031kikutokosumosu_004

 赤いコスモスも、花びらからすっきりとしたシャープさが失われている。

 「コスモス」とは「宇宙」だが、「グローバルスタンダード」と言い換えることもできる。

 そのグローバルスタンダード(GS)が現在、あやふやになって、焦点が定まらないように見える。

 アメリカ主導のGSが金融恐慌勃発で揺らいだ分、日本の民主党の掲げる「対米対等外交」が勢いをつけるはずだったが、アメリカは防衛問題を中心に、日本政府に対して強硬姿勢を貫こうとしている。今月来日するオバマ大統領が、そこをどう調整するかが見ものだ。

 菊は日本を代表する花で、香りも良い。コスモスがシャープさを失う時、菊の出番が来るような気がする。なにしろ根強い花で、孤高と協調を併せ持った属性は他の追随を許さない。

 

 

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ノーベル平和賞がオバマ大統領へ

今年のノーベル平和賞は、アメリカ大統領バラク・オバマに決まった。

 ええ!そりゃ早過ぎるだろう―とは誰しも思う。功績としては西欧を歴訪していた途中のプラハで宣言した「核廃絶に向けて、アメリカには道義的責任がある」としたことだが、まだ宣言しただけで、実質的な取り組みは端緒についたばかりだ。

 そんな状況の中でのノーベル賞受賞だから、みんな驚いた。

 うがった見方をすれば、オバマ大統領が受賞決定後に述べていたように、「道義的責任を感じるといった大統領の私を選んだ国民に与えられた」のだろう。

 もっとうがった見方をすると、オバマ大統領が「道義的責任を感じるような世界初のそして最後の核兵器の犠牲になった広島・長崎を持つ日本へのレクイエム」ではなかったか。

 ・・・まあ、しかし、そこまで自己中的な深読みをするのは行き過ぎかもしれない。

 私見では、世界随一の超大国であるアメリカで、かっては公民権という基本的人権すら与えられなかった黒人(といっても白人とのハーフだが)が、堂々と選挙戦を戦って最高権力者に躍り出た驚きと賛意が、ノーベル平和賞選定委員会の大勢を動かしたと見る。

 思えばアメリカ黒人の公民権獲得への道のりは長かった。リンカーンによる「奴隷解放宣言」が出された1862年(文久2年)から、実に100年余りかかってようやく人種による差別は建前だけではなく、実質的になくなった。その証拠がオバマ大統領の就任である。

 ところが日本ではまだ色の黒い人たちへの偏見が根強い。というのも明治維新以後の近代日本を作り上げたときの先進文明は白人による文明だったからだ。それをお手本にして今日の日本があるわけだし、太平洋戦争で負けた相手国・米国による占領(洗脳)政策により、日本人のほとんどは「白人国家アメリカ様は素晴しい。自由と民主主義のモデルだ。しかも終戦後何もない日本に食糧やら何やら支援してくれた。何であのような国と戦争したのだろう。馬鹿な戦前の指導者には騙された」と思い込まされたので、根底に白人への畏敬・憧憬が根付いてしまっている。

 アメリカにも白人中心主義の「KKK」というようなナチス張りの極端な組織があるが、大方のアメリカ人は既に黒人への差別意識は非常に薄い。だが、逆に日本人のほうに差別意識が強い。「悪いことをするのはクロちゃんが多い」と、10年ほど前にあるアメリカ短期留学(研修)した先生が口にしていたのを覚えているが、おそらく彼の内にある黒人への偏見が言わせたのだろう。

 こういった偏見は「周圏文化論」で説明できる。<本家本元で醸成されていた支配的な文化様態が、そこでは失われても、以前からその文化様態を受け入れ(受け入れさせられ)た周囲の文化圏では意外にも形を変えずに根強く残っている>というものだが、黒人への偏見はまさにそれである。

 かって日本の満州帝国設立への肩入れのスローガンは「五族協和」であった。これは大久保利通の二男で牧野家へ養子に入った牧野伸顕が、ベルサイユ条約の直後に行われた国際連盟創立会議において提議した<人種差別撤廃議案>の東アジア版であった。

 皮肉にも、その差別撤廃案を他の議案については多数決で承認されていたにもかかわらず「満場一致ではないので、認められない」と葬り去ったのが、当時のアメリカ大統領ウィルソンで、彼は国際連盟創立の立役者としてその年のノーベル平和賞を受賞している。

 つまり当時、白人以外の人種への差別は当たり前だったのだ。この史実はそれを端的に示す。また国際連盟はあくまでも第一次大戦の当事国である西欧諸国間の連盟であり、それへ有色人種が容喙するのを許そうとしない当時の世界情勢が透けて見える。

 今回のオバマへの平和賞授与は、ウィルソンへの平和賞授与時代にはまったく機能していなかった「黒人を含む有色人種への平等感」がようやく世界的に権威のあるレベルにまで到達したことへの証として歓迎する。

 

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うらなりスイカ

夏に食べたスイカの種が、生ゴミとして埋めた庭の一角に芽生え、そのままにしておいたところ、見事に実がなった。1019uranarisuika_001

大きさは手のひらにちょうどすっぽり乗るくらい、直径18センチというところか。

 形は非の打ち所がないほどに真ん丸だ。1019uranarisuika_003

 黒い筋も完璧に入っている。

 2日ほど仏前に供え、今日カットしてみた。1019uranarisuika_004

皮が厚く、色合いもぱっとしないが、真ん中あたりをスプーンで食べてみると結構甘い。

 最低気温10度くらいの日が2回くらいあったので、ツル自体が枯れてしまったので、これ以上大きくはならないが、寒さが来る前にビニールで覆って保温すればもっと大きく、あわよくば30センチくらいのスイカになったのではないだろうか。

 来年は試してみよう。

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金木犀の香り

一昨日あたりからほのかに香り始めたあの花の馨り。トイレの芳香剤には持って来いのあの薫り。

 今日になって一段と増してきた良香は、金木犀。1014kinmokusei_001

一昨年の春の木市で買い求めたキンモクセイが、2年半してようやくたくさんの花を着けた。

 夏から秋の変わり目のころ、木の花類は俄然少なくなる。

 つい最近までよく咲いていたのが百日紅(サルスベリ)だったが、台風が過ぎ去るとともにさすがに萎れてきた。1014kinmokusei_002

この頃少なくなった木の花の中では、このキンモクセイは貴重と言えるが、なにせ見栄えのする花ではない。

 もし馥郁たる香りのない花だったら、誰が庭木に植えようか。

 木犀とは「木の肌が動物の犀の肌に似ている」というので付けられた。とても風流とはいえない名でもある。1014kinmokusei_003  

小さな花はオレンジ色と山吹色の中間のような色合いだが、日の当たった花は金色に近く耀く。

 それで金・木犀。1014kinmokusei_006

そういえば一昨日、老犬(16歳)ビータローが、昼間、寝ころびながら妙に鼻をくんくん嗅いでいたが、どうやらキンモクセイが犯人だったのだ。

 人間の1万倍とも10万倍ともいう嗅覚の犬にとって、この香りはいったいどう匂っているのだろうか。

 表情から察すれば、さほど好感を持っているようには見えないが・・・。

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台風一過(平成21年18号台風)

今朝6時過ぎに庭に出てみてホッとした。台風18号のツメアトなる物はほとんど無いようだ。

 ラジオ体操の第一、第二を念入りにやったあと(もちろん1キロバーベルの負荷付きで)、庭の菜園を見ると、キュウリは無事だった。1008taifuuikka_002

 一ヶ月前に播いてやっとここまで成長し、もうすぐ第一花が咲いて身をつけるころ。

 これなら何とか一果は食えそうだ。

 この間植え付けたばかりのブロッコリーも、少し寝ただけで、起こしてやれば何の問題もなさそう。1008taifuuikka_003

 11月下旬くらいに、真ん中に野球のボール位の、うまそうなグリーンの第一果ができるだろう。1008taifuuikka_001

 南東の空が明るくなってきた(右端の山は旧吾平町と旧大根占町の境にある「八山岳」)。1008taifuuikka_004

 ほぼ真東の雲に、旭日光が火照りはじめた(右端のレーダーサイトのある山は旧高山町の国見岳。その左手のピークは「高屋山上陵」のある「国見山」)。1008taifuuikka_005

 6時23分、朝日が顔を出して、東雲(しののめ)が透明になった。

 空気も透明だ。いや澄明と言うべきか。めでたし、メデタシ。

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国連総会のカダフィ大佐

9月15日から開かれた「第64回国連総会」は、新しく首相になった鳩山由紀夫民主党党首の外交デビューとなった。「気候変動に関する協議」で、日本が二酸化炭素の25パーセント削減を訴えたときには、大きな拍手が起こっていた。

 日本の首相の演説に対して、大きな拍手が巻き起こるなんて初めてのことではないだろうか。

 また、意外なことにアメリカ新大統領のバラク・オバマが、安全保障理事会においてアメリカの大統領として初めて議長役を務めたという。

 日米がともに注目を集めた今回の国連総会は、新たな1ページを追加したと言ってよい。

 しかし聴衆の度肝を抜いたのは、23日の総会一般演説に登場したリビアのカダフィ大佐だったろう。

 彼の長広舌は以前から有名だったようだが、15分の持ち時間を6倍も越えた90分のほとんどを「国連批判」に費やしていた。

 『国連憲章』を読み上げ、<加盟各国は平等でなければならない>との下りでは「いったい何が平等だと言うのか、特に安全保障理事会など一部の国が全くの優越権を与えられているではないか」、と憤った挙句、手にしていた『国連憲章』をうしろに放り投げてしまった。

 多くの聴衆(各国の首脳)は唖然としただろうが、内心、拍手を贈っていたに違いない。

 カダフィ大佐(何でいつまでも大佐のままなのだろう?)の言わんとすることはよく分かるが、そもそもアメリカが加盟していなかった国際連盟に代わって、新しく国際連合がうまれ、その本部がアメリカの中心都市ニューヨークに置かれた、という経緯でおおむねの事情は分かろうというものである。

 要するに英米を基軸とする第二次世界大戦(太平洋戦争を含む)における勝者が中心になって設立されたのが国際連合であって、大戦中の「大西洋憲章」「カイロ宣言」「ヤルタ会談」「ポツダム宣言」が下敷きになって創立されている。

 勝者の英米プラス反日の中国、反独のソ連、フランスが戦後の安全保障体制の枢軸国家と規定されたが故に、国連において特別のポストが与えられたわけなのである。いわゆる「ヤルタ体制」と呼ばれるものだが、当時の中国は蒋介石の国民党政府であって、今の中共政府ではなかったし、ソ連も今日のロシアに政治体制が変わってしまっている。

 それなのに中国、旧ソ連がそのまま変更もなく引き継がれているのは、おかしいと言わざるを得ない。

 また、鳩山首相は「東アジア共同体」構想を明言したが、中国共産党政府が乗ってくるとは思えない。それどころか日本の常任理事国入りには徹底的に反対するだろう。

 また、アメリカの本音は「日本と中国が手を結んだらえらいことになる」だから、いつまでも軍事基地をおいて日中の離間策をとっているわけで、中国のそうした反日的姿勢を黙認している。

 ええ!アメリカが軍事基地をおいているのは、日本を周辺の非自由諸国の強国・中共と旧ソ連から守ってくれているのではないのか?――などと言う人がいたらお目出度い人だ。

 実際、ソ連が崩壊し、ニクソンが対中国融和に動いたのに、日本国内の米軍は減りはしなかった。もう30年ほど前になろうか、ソ連のミグ戦闘機が日本の領海を犯して侵入(亡命)したことがあったが、米軍は何にもしなかった。つまり日本を敵機の侵入から守ってくれなかったのであった。あれは「亡命」であったからよかったが、核搭載のミサイルでもぶっ放されたら酷いことになっていただろう。

 アメリカは本気になって日本を守ろうなどとは思っていない。ただ、太平洋戦争の勝者として地政学的にふるまっているに過ぎない。

 カダフィ大佐の憤りは、第二次大戦での勝者への憤りでもある。「勝者のおごり」という批判でもある。批判の矛先になっている超大国アメリカのオバマ大統領はそれにどう答えるか、ここ1、2年が山場だろう。

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藤の狂い咲き?

ここ10日ほど、朝の最低気温が20度くらいになり、空気が清々しく、すっかり秋めいてきた。

 庭のコスモスが爽やかな風に揺らめいているのを撮ろうかと、庭を眺めていた。すると、向こうの菜園との境にある藤の、夏の間にもじゃもじゃと伸び放題になった蔓の葉影に、「ええっ」と目を疑う物が見えるではないか。918fujigasaku_003

茂みになった部分の上方に、確かに一輪というか一房の花がある。918fujigasaku_001

マジかよ、5月に咲くのが普通の藤が、今咲いてどうするんだ――と独り言。

 桜の狂い咲きというのがあって、あれは秋に強い台風に遭って葉っぱをことごとく落としてしまったような場合、もう冬が来たんだと勘違いした桜が、11月の小春日和なんかを春と思い込んで、花を咲かせる現象だ。918fujigasaku_002

しかしこちらは台風には遭遇しておらず、いきおい蔓も葉も茂り放題の藤だ。

 「何で咲いたの?」

     と聞けど答えぬ藤の花

918fujigasaku_004 もっとも今がお似合いのコスモス、夏の初め頃から咲いていたっけ。

 これもオカシイ。

 でも、うつくしい。

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低すぎるクモの巣

ここ一週間くらいになるだろうか、コガネグモが馬鹿に低いところに巣を張っている。それも別々の場所に二匹・・・。

一匹は自転車・単車格納用パイプ車庫のシルバーテントの内側。912kumo_001

一回は巣を払ったのに、またすぐに作り直した。時間を計ったわけではないが、数時間後には「ここがあっしのショバでがんす」とばかり、再現していた。

 感心したので、もう払わないことにした。912kakashikumoimo_014

黄色と黒の縞模様の胴体、それと長い手足。結構、バランスが取れている。

 「加治木のクモ合戦」に連れて行くか・・・。

 もう一匹は畑のキュウリネットの下の方に作っている。912kumo_002

こっちのほうがグラマーだ。畑に飛んでくる虫のほうが、家の片隅のパイプテントの内側より多いにきまっている。912kakashikumoimo_018

やがてキュウリが伸びてきて、このコガネグモの巣を覆うかもしれないが、彼女はそれを承知で巣をかけたのか。とすればなかなかのクモだ。キュウリやその他の野菜を狙ってやって来る昆虫は一網打尽だろう。

 農薬を使わない家庭菜園にとっては強い味方だ。

 それにしても、この二匹。今までこんなに低い所に巣を張ったのは見たことがない。たいていは軒下か、樹木のやや低い所(と言っても人の背丈よりは高い)に作るのが普通のはず。

 よく「蜂が低い所に巣を作ると台風が近い」と言われるが、クモはどうなのか。

 クモに聞かないと分からない? その通り。

「よくぞ聞いてくれやした(オスだとこうだが、メスなら、よくぞ聞いてくんなました、か)。巣、巣とおっしゃいますが、あっしら(メス:わちきら)はこれを巣とは言いやしません。仕事に使う網(あみ=ネット)と言っておりやす(メス:おりんす)。したがいまして『蜂が低い所に巣を作ると』うんぬんとは根本的に違う現象でござんす。どうか安心して下され(メス:くんなまし)」

と言ったとか、言わなかったとか・・・。

 

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三党合意を超えよ!

民主党308名に対し、弱小政党の国民新党・社民党合計10名とが、今回の衆議院選の選挙協力と参議院での多数派協力のため「三党合意」に署名した。

 国民新党と社民党から1名ずつ、新しい内閣に入ることと、経済運営、なかでも、子ども手当て、失業対策、高速道無料化などに合意を得たようだが、外交と安全保障を巡っては波乱があった。

 結局、社民党の「米軍基地縮小・移転」の是非を問うものだったが、これについては「そのような改定を考慮する」というような、いつもながらの「玉虫色決着」で済ませたようだ。

 社民党はかっての党首村山氏が自民・さきがけ・社会の三党協力の時に、ようやく「非武装中立」の書生論から「自衛隊は認めます」という現実路線に踏み出したのだが、思考傾向としての「武装によらない平和中立」の旧社会党の党是は変えていない。

 したがって「日本駐留の米軍を排除したら、本当に丸腰で日本の安全は守れるのか? ソ連や中共が侵攻してきたらどうするつもりか?」という疑問にはまともに答える事が不可能であった。

 しかし現実路線で「自衛隊は認める、つまり専守防衛の軍事組織は必要だ」となったわけだから、今度は上のような疑問からは解放されたことになる。

 自分としては社民党に肩入れするつもりはないが、沖縄をはじめ日本各地に展開する米軍基地は縮小の方向に持っていくのが筋だと思う。なにしろ日本はアメリカに負けたとはいえ、1956年に国際社会に独立国として完全復帰しているのだ。いつまでも米軍基地が置かれているのはおかしい。

 「負けたんだからしょうがない。もし米軍が去ったら、またぞろ帝国主義者が現れて、かっての忌まわしい軍国主義が復活するからな」

 こんな根も葉もない危惧論が、社会党を含めたかっての「革新政党・革新路線」プロパガンダに使われ続けてきた。そういう勢力をのさばらせないためにも米軍のプレゼンスは必要だ、とされたのである。

 その一方でこれまでの自民党外交は、ごく手短に言えば「ソ連や中共などの非自由諸国から、アメリカに守ってもらっているのだ。その分、経済活動に専念できるじゃないか」という一貫した従米路線で、現今の国際社会が唖然とするほどの「顔のない」と言うより「アメリカ人のお面をかぶった」非独立国家ぶりであった。

 この元になったのが実は吉田外交なのである。

 朝鮮動乱が発生したとき、当時のアメリカの国務長官アチソンは首相だった吉田に「日本も軍隊を持ったらどうだ」と言われ、即座に「そんな(金のかかる)ことをしたら、疲弊しきった日本の経済はめちゃくちゃになる」といって反対した。そのことは当時のマスコミ論調で「当然だ。日本は武装放棄をして戦わない国になったのだから」とさも当然という好感をもって迎えられている。

 つまり吉田首相は軍事力は捨ててでも経済を優先させた。それが結果としては日本の驚異的な戦後復興と高度成長をもたらしたのだが、実はそのことで米軍のかくも長きにわたるプレゼンスは不動のものとなったのである。

 今度の選挙で、自民党の麻生党首は「経済立て直し政策」を最優先に掲げて敗れた。祖父・吉田茂に倣ったのかもしれないが、今度は通用しなかった。

 時代は変わった。今、求められているのはコンピューターで計算できる経済政策ではない。経済政策は規制緩和の当然の底流の中では、どの政党が天下を取ろうと、そう変えられるものではない。3万円のこども手当てが2万5千円になる位なものだ。

 遠い昔なら、「一握りの大地主や大金持ちと金融資本家」を打ち倒して貧しい庶民に分配すればよかったが、今の一億総中流(下流も増えてきたが)意識と、手厚い(手薄いと感じる人もいるが)社会保障制度の中では、ただの混乱を招くだけだ。ただし、官僚主義の悪弊が年金制度において墳出したが、これは民主党政権がどうにかするだろう。

 そんなことより「国是」、すなわち、これからの国際社会の中で日本をどのような国家にしたいのか明確に宣言することではないか。その中には当然、米軍の余りにも大きな存在が言及されてしかるべきだ。

 今月の下旬に、鳩山新総理が国連で演説をするが、「日本は武装永世中立国になる道を選択しました」は無理にしても、「日本は国際社会において、これまでの対アメリカ中心の外交の基軸から、アジアをはじめ国際社会全体にも広げる努力をしていきたい」くらいなことは言って貰いたいものだ。

 アメリカはつい最近まで、世界のスーパーパワーとして、つまりたった一握りの「大金持ち・大軍事力・大金融力(国際通貨の発行国)」であったが、今度の金融危機とオバマ民主党政権の誕生により大きく「チェンジ」しつつある。この機会を逃す手はない。スーパーパワー・アメリカの一極支配は過去のものとなりつつある。

 今度こそ、日本は過去の経験を踏まえた平和国家として「国際社会に名誉ある地位を」示していかねばなるまい。

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日中共同歴史研究の発表の延期

きのう9月4日に発表されるはずだった「日中共同歴史研究」の総括的な発表が、中国の一方的な「延期したい」という連絡で延期になったという。

 「日中共同歴史研究」は、小泉内閣の時にギクシャクした日中関係を是正しようと、安部内閣になった平成18年に中国側に呼びかけて開始された研究である。

 その研究の総論的な発表が9月4日に予定されていたが、中国が何の理由も示さずに一方的に延期を申し入れてきたそうだ。

 中国側の真意は透けて見える。――日本の政権交代で民主党政権が発足しつつある。民主党はアジアに基軸をおいた外交戦略を構築しようとしている。つまりは中国シンパ(支持)だ。自民党の中国共産党政権への評価よりかは格段によくなるだろう。ここはあと2週間もすれば黙っていても「中国に反発はしない民主党」が天下をとるから、自民党などに意見をあわせた歴史認識をわざわざ発表する必要などない――というものだろう。

 いつもながら、ご立派な外交戦略だ。われわれ日本人から見れば「汚い、その場しのぎの外交路線」だ。そこには「信義」のかけらも見えない。メタミドホスの食品汚染、メラミンによる食品偽装、模倣商品の山々、古代中国の聖人・孔子様が見たら何と言うだろうか。

 中国で戦国時代(紀元前5~6世紀)のその当時、道(道義・道理)が行われないのを嘆いた孔子は弟子に向かってこう言ったそうだ。

 「こうも道が行われないのなら、いっそ船を浮かべて九夷(日本を含む東夷諸国のこと)に行ってしまいたいものだ」と。

 今日もそう変わっていない中国を見るにつけ、暗澹とさせられる。中国でもし政権交代がなされたら、大量の難民が発生し、大挙して日本に押し寄せてくるだろう。孔子様のような人たちばかりだったらいいのだが・・・。

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民主党の圧勝で政権交代

民主党が単独過半数の241議席を超えるどころか、308議席も獲得して今回の衆議院選挙は終わった。

それにしても小選挙区制の「破壊力」はすさまじい。約3倍の民主党議員を一気に誕生させ、自民党は3分の1になった。今回もあの前回の「郵政選挙」同様、「刺客候補」が各地に擁立され、その役目を果たしたが、昔で言えば「落下傘候補」というのがあったことを思い出した。

 考えてみるとこれらは「天下り候補」にほかならない。官僚の天下りを廃止しようという動きに逆行しないだろうか?

――「いや、官僚はこれまで国家公務員として税金で食ってきた上に、さらにまた余生を税金で造られた機構に就職して、税金を食うわけで、そういう経歴を持たず、しかも最大4年という任期しかない議員とはわけが違う」

 こんな反論があろうが、どんなものか。地方のことは地方でする(候補者もその地方の人間)という「地方分権」とも整合性はないではないか。多数をとるためには手段を選ばぬ「刺客ゲーム」が、小泉郵政選挙以来、常態化してしまった感がある。健全な民主主義とは言えまい。

 しかしまあ、いずれにしても、本格的二大政党になってから初めて、政権交代による新しい内閣が誕生する。

 今度の民主党に期待したいのは、経済でも少子高齢化対策でもない、アメリカとの対等外交だ。戦争に負けたにしても、余りにも長い「アメリカの傘の下の日本」であった。これを是非とも是正して欲しいものである。

 幸いにも、新首相に就任する鳩山由紀夫は戦後生まれで、対米英戦争の当事者ではない。もちろん前の麻生太郎にしても小泉純一郎にしても本人が戦ったわけではないが、戦争前の生まれであることで対米開戦に加担したかのような印象がある。

 その点、鳩山由紀夫はれっきとした戦後生まれで、あの対米開戦に肩入れしようもない世代のひとりである。

 対するアメリカ大統領のバラク・オバマも、47歳という若さであれば、対日戦争はおろかベトナム戦争さえ知らない世代である。ここは二人で戦後アメリカ追従体制の総決算をしてもらいたいものだ。

 その上で日本の国是として次の諸点を訴えたらどうだろうか。

    1 日本は永世中立国となり、アメリカの軍事基地は廃止する。

    2 武力は専守防衛に徹して、現有レベルの軍事力は保持する(ただし非核)。

    3 国連には加盟し、応分の負担はする。そして国連の軍事力への査察は定期的に受ける。場合によっては国連(多国籍)軍の常駐を受け入れる(もちろん日本軍との合同演習なども実施する)。

 「永世中立国」構想の歴史は古い。すでに1950年代初めにはあったビジョンである。自分の記憶では1960年代の終り頃まで、「あなたは日本がどこの国のようになったらいいと思いますか?」とか「あなたの一番好きな国はどこですか?」というような設問には、多くの人が永世中立国の「スイス」と答えていた。

 しかし、そのような設問自体がいつの間にか消えてしまった。今からその理由を斟酌してみると、スイスの「国民皆兵」制度がネックになっていたのだろうと思う。

 あの当時、左派系論調が一世を風靡しており、憲法9条が謳っているように「非武装・中立」がスタンダードな考えであった。スイスのようになりたいと思ってよく調べると「スイスは国民皆兵制度」であった。これは左派勢力(革新勢力とも言った。おもに社会党系の思想で、今日まで考えを変えていないのは社民党だけ)の主張と真っ向から対立していた。

 一切の武力は持たないという左派勢力からすればからすれば、「国民皆兵」など背筋が寒くなるほどおぞましいことであったろう。またスイスは州によっては「直接民主主義」を採用しており、女性の参政権(投票権)がない場合もあり、そのことも嫌悪すべき事態であったはずだ。

 そんなこんなで「永世中立国スイスが一番好きで、そのような国になりたい」という国民多数の願いは、左派への迎合に動いていた当時のマスコミからは、無視されてしまった(よく言えば「敬して遠ざけられた」)のである。

 今日の世界情勢を見、その中における日本の未来を考えると、日本は新しい「永世中立国」になるのが最もよいと思う。世界に根回しせずとも、一方的に「永世中立宣言」をしてしまえばよい。結果はあとから着いて来るだろう。つまりこの宣言で友好国から「国交断絶」などされるわけがないだろうし、上に挙げた2,3の条件なら何ら文句の言われる筋合いのものでもない。

 最も衝撃を受けるのはアメリカだろうが、オバマ政権の今なら可能と思う。4,50年前に真の自由はなかった黒人の政権なら、戦争に負けたからといって60年以上も経つのにアメリカからの真の独立のない日本の現状への理解はあるはずだ。そのさきがけが「プラハ宣言」で、彼は日本への原爆投下に対して「道義的責任がある」と明言した。

 今こそチャンスではないか。結局のところアメリカ迎合の自民党政権では望むべくもなかったが、民主党ならできそうだ。その意味で「頑張ってくれ!民主党!」。

 

 

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政権選択か国策選択か

8月30日は衆議院議員選挙の投票日。

 今度の選挙は、あの小泉改革の本命「郵政民営化」を問うて行われ、自民党が圧勝した前の選挙とは全くおもむきを変え、民主党圧勝という見出しがメディアを席捲している。

 1955年(昭和30年)に「自由党」と「民主党」が合同して保守磐石の基盤を作り、戦後の政界をリードしてきた自由民主党が、今回大変な危機にさらされている。おそらく民主党優位は動かないだろう。

 民主党が政権をとれば、保守合同の逆の動きが遂行されることになる。しかも今回の立役者が、当時の鳩山、吉田両首脳の孫に当たる人たちなのであるから、歴史は繰り返すと言うべきか、「江戸の仇を、長崎で討つ」と言うべきか、はなはだ興味がある。

 しかし今度の各陣営のマニュフェストに踊る文字はちんまりとしている。特に少子化対策の「子ども手当て」などの「アメ」には閉口させられる。

 消費税を上げなければ資金の目途はつくまいに、民主党は「無駄を省けばよい」の一点張りだ。

 そもそも日本の「少子化」の原因は、「女も経済的自立を得てはじめて男女平等になるのだから、勉強して立派なキャリアウーマンにならなければならぬ」「子どもなど産んでいたら仕事上、男に遅れをとるから産まないほうがよい」というような戦後の浅はかな風潮にあったことを思い出さないといけない。

 今回、そのような視点で訴えている政党がなかったのは残念だ。

 女は唯一、男には逆立ちをしてもできないものを持っている。それが「子産み(お産)」だ。女の「お産」がなくなったら、人類は地球上からいなくなる。極論だが、真実だろう。

 「お産」を甘く見るな、子育てを甘く見るな。皆、そこを通って今があるではないか。

 先日のNHKの番組「心に残る歌謡曲」で、何が一番歌われていたかというと、「母」にまつわる歌だったのは、そのことを裏付けている。

 中でも二葉あき子の『岸壁の母』には泣けた。自分には無縁の出来事を歌っているのだが、「母の子を想う気持ちの純粋さ」に泣かされた。(誰か英語に訳して、世界中で歌うようにしてもらえぬものか・・・。この歌を聴いていたら、戦争をしようなどという気は起こらないに違いない)

 政権選択もいいが、国策(国家のビジョン)こそが大切で、日本は世界にどう貢献したいのかを明確に宣言してもらいたいものだ。

 歴史的に見ると、日本の特質は「融合」「融和」と言うに尽きる。何でも取り入れて自家薬籠中のものにしてしまう能力は際立っている。アメリカが人種の坩堝なら、日本は文化の坩堝だろう。音楽、絵画、文学そして宗教までもが、日本文化の基層に融合させられている。こんな国はそうざらにはない。

 外に向かって「融合」「融和」の旗印を掲げて、世界平和のために邁進することのできる国は日本をおいて他にない。政権のたらいまわしより、ここは大同小異で連携し、そのビジョンを遂行して欲しい。

 

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イチジクの豊作

庭の南西に植えたイチジクが、どうやら豊作のようである。813ichijiku_001

去年もかなり実ったが、気温が高過ぎたせいか、赤く熟れてはすぐにパカッと割れ、そこに蜂やらアリがたかってしまい、食えたもんではなかった。

 今年はやや低温が利したものか、赤くなってもすぐには割れない。813ichijiku_002

このイチジクは6年前に家を新築したときに植えた。その前の借家時代に、ある通信販売で手に入れ、借家時代にはバケツ植えしていたものだ。

 新築後に庭造りの第一号果樹として今の場所に移植したのだが、その時の丈はわずかに7~80センチほどだった。

 植えつけた3本のうち、2本がもう5メートルを超えている。

 奥に見える「オオバベニガシワ」の葉が薄汚れ、しょぼくれてくるのとは対照的に、次々に枝を伸ばしては、みずみずしい新葉を広げている。

 土が合ったのか、気候に合ったのかはイチジクに聞かないと分からないが、今のところ病害虫にも遭わず、元気そのものだ。813ichijiku_004

大きいのは直径6センチ、長さ8センチにもなっている。

 彩り鮮やかで見ているだけでも面白い。

 2日くらい冷蔵庫で冷やしたのを食べると、水っぽさが取れて甘味が増す。

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浦上天主堂撤去の「密約」

昨夜のKKB(朝日テレビ)で、「長崎への原爆投下で無残にも破壊され、その残骸が13年もの間さらされていた『浦上天主堂』が、昭和33年に完全撤去されて建て替えられたのは、アメリカと長崎市との間の密約による」という内容の特集が放映された。

 「密約」とは物々しいが、要するにキリスト教国であるアメリカが、よりによってキリスト教徒が多く、教会等の施設も多い長崎市に原爆を投下し「キリスト教を信仰する無辜の民」を殺戮したことが世界に「バレる」のを封じたかった――ということのようである。

 そういう密約があったことを当の長崎市民は知らされていないらしく、多くの市民が不信感を述べていた。

 2個目のリトルボーイを積んだエノラ・ゲイは、軍事施設が多くエネルギー産業も盛んだった福岡県の小倉を第一目標にしていたが、8月9日の投下予定時間帯に小倉が厚い雲に覆われていたため、同じく軍事施設や軍需工場などを抱えている長崎を第二目標(候補)として落としたのであった。

 同じ長崎でも海軍軍港のあった佐世保ではなく、県都でもあり、より人口の多い長崎なら殺傷者数が多く、日本に大きな打撃を与えられると判断しての投下だった。

 その長崎が日本でも稀に見るキリスト信仰の土地であったことを、アメリカ側は知らなかったらしい(いつものことながら、敵を知らぬアメリカよ)。

 『浦上天主堂』の破壊は、神父2名を含む信者数千人の命も奪う結果となり、戦後すぐ「原爆投下は対日戦争の終期を早め、犠牲者を少なくするためだった」というプロパガンダで日本人および世界世論を封じ込めようとしたアメリカにとって、致命傷になりかねなかった。

 長崎市は「戦争の惨禍」を世に伝えるため、残骸のまま残しておきたかったようだが、アメリカ首脳部が撤去を急がせたそうである。<キリスト教を根底に据えた自由主義国アメリカが、いくら自由とはいえ、同じ信仰を貫く長崎のキリスト信者をみすみす焼き殺した>とあっては大国アメリカの名が廃るからだろう。

 あれが『浦上天主堂』でなく、仏教寺院だったり神社であったら、何の音沙汰もなかったろう。現に広島の旧『産業奨励館』(原爆ドーム)には何のお咎めもない。身勝手なものだ。

 日本人には宗教上の差別ないし差別感はほとんどないが、アメリカをはじめとする欧米(列強)では、いまだに「キリスト教こそが上位宗教」といった雰囲気が強い。雰囲気というより「囚われ」と言うべきか。

 日本も戦時中は「皇国主義」に染まりすぎて、朝鮮や台湾などで神社建設と参拝強要に走ってしまったが、といって各地の民俗宗教を弾圧したわけではない(むしろ国内の大本教などへの弾圧が熾烈だった)。

 宗教にはいたって寛容なのが本来の日本人だ。なにしろ日本の古神道には「教祖」がおらず、宗派を興す弟子もいないから「喧々囂々」の宗派論争などとも無縁だ。

 仏陀(シャカムニ)を教祖とする仏教は、公式には「欽明天皇13年(552年)10月」に「百済の聖明王が、釈迦仏の金銅像一体と経論を献じてきた」のが最初の伝来だが、それ以降、仏弟子たちの解釈によりあまたの宗派が生まれ、時には宗論や対立を生んできた。

 神道はそれに巻き込まれて、やれ「本地垂迹」だとか「反本地垂迹」だとかいう争論は起きたが、「いわしの頭も信心から」とか「心こそ誠の道に適うなら」といったように「神ながらの心」が大事(根幹)なのであって、あとは枝葉末節のことと捉える傾向が強い。これこそが世界宗教、いや「世界の心」だろう。

 こういう「世界の心」を持った日本を大切にして行きたい。

 今日は、――不幸にして英米という列強を相手に戦い、敗れはしたが、東洋はじめ多くの植民地と差別されてきた有色人種解放への大きなステップとなった「太平洋戦争」――の終結記念日。未来永劫、人種差別・宗教差別による争いの無いことを願う。

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瀬戸内の豪雨・東海の地震

このところ不順な天候続きだが、山口県防府市で8月2日から始まった「ミゾユー(未曾有=みぞうう)」の豪雨は、同じ瀬戸内海沿いの兵庫県の山間部に飛び火した。

 今のところ兵庫県佐用町を中心に、死者14名、行方不明16名、合計で30名ほどの被害者を出しているようだが、いつもなら雨の少ないはずの瀬戸内の人々にとってはまさに「寝耳に水」だろう。

 平成5年の鹿児島大風水害では死者は100名を優に超えたが、毎年夏から秋にかけて風水害で10~20名が犠牲となっている鹿児島に比べ、瀬戸内で30名というのは、これまでほぼゼロだったことを考えると、文字通り「前代未聞」の椿事といってよい。

 気の毒を通り越して、いったいこれからどうなるのか、という地球全体の異常気象に思いが馳せる。

 そんなことを思い浮べている矢先に、今度は「駿河湾沖地震」だ。8月12日5時7分発生。最大震度6弱、マグニチュード6,5。こちらは「寝耳に大揺れ」だったようだ。

 死者1名、負傷者120名弱、で済んだ、と言うべきだろうか。しかしこの地震は「判定会議」によると、怖れられている「東海地震」とはメカニズムの違う地震だったらしい。しかし素人目でも全く同じ領域で起きていることなのであるから「関係ネー」はないだろうと思う。

 どっちにしても、あの「安政大地震」(安政2=1855年)以来、150年鳴りを潜めていた東海地震の震源域が目を覚ました、もしくは目を覚ましつつある前兆と捉えて構わない。備えあれば憂いなし―で、今度の地震を期に、一段と備えの態勢をとっておくに越したことはない、必ずやって来るのだから。813ichijiku_005

テッポウユリが風に揺れる(玄関先にて)

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広島・長崎原爆忌

オバマ大統領が「世界で初めて(広島・長崎へ)核兵器を使用した道義的責任を感じている」とのプラハ声明を出したというのに、「エノラ・ゲイ」機の搭乗者で生き残っている人物は、相変わらず「原爆を使用することで、太平洋戦争の終結を早めた。日本占領時の犠牲者が少なくて済んだ。謝罪する必要はない」と言ってはばからない。

 それなら聞くが、なぜ軍事施設に限定して落とさなかったのか? なぜ学校も病院も何もかも民生用に存在する一般都市のど真ん中に落としたのか? 

 紛れもなく「戦時国際法」違反だ。無辜の大衆が死傷するような場所に対する戦闘行為は避けなければならないのが原則だ。

 勝てば官軍で、何をやっても構わないでは済まない。打った弾が「勢い余って非戦闘区域に飛び込み、仕方なく死傷者を出してしまった」といったレベルの問題でもない。

 人類史上稀な「残虐非道」が行われたのだ。明らかに一般住民の暮らす町のど真ん中を狙い済まして落としたのが「核弾頭リトル・ボーイ」で、その結果どのようなことになるかも、先刻ご承知の「人体実験」が目的だったろう。そこには有色人種(非白人)への蔑視が横たわっていたのだ。

 まさに、ナチスの「ユダヤ人大虐殺」に匹敵する「非道」であった。

 『江戸の仇を、長崎で討つ』ということわざがあるが、アインシュタインやトルーマンなどユダヤ人が、「ユダヤ人大虐殺を行ったナチスへのあだ討ちを、日本人へ。それも広島・長崎で討った」のだとすると、奇妙にも<長崎>が符合するから不思議だ。いや、不思議というより、身の毛がよだつ。

 こんなことは、もうこれっきりにしてもらいたい。オバマ大統領のような非白人は、自身の体験から「あんなひどいことをしたのは、有色人種である日本人に対する差別があったからだ。どう考えても、同じ白人に対してはしなかったろう。恥ずかしいことだ」と、今度アメリカの指導者として初めて「道義的な罪」は認めた。

 もちろん「実質的な罪」は認めようとしないだろう。認めたら、被爆者から「損害賠償請求」が出されるからだ。その額は天文学的な数字になるはずだ。

 エノラ・ゲイの生き残り搭乗者が、いつまでも「戦争終結を早め、犠牲者を少なくした」と言い張るのであれば、たとえば広島・長崎で雲散霧消した死者のうち、罪の無い児童生徒を原告にして「損害賠償」を国際司法裁判所へ訴える手もある。

 児童生徒自身にはアメリカへの怨念はなかろうが、そうすることが世界平和を希求する国際世論を喚起する大きな手立てにはなるだろう。

 

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裁判員より政治裁判員を!

鳴り物入りで始まった「裁判員制度」。

きょう東京地裁で、裁判員が臨む初の公判が開かれた。

戦前に一時あった「陪審員制度」、戦後間もないころ開かれたという名前も同じ「裁判員制度」は、いずれも長続きしないで終わった。

 なぜか?結局、適用すべき「法律」が、ややこしいというより解釈上、感情移入がしにくいようにわざと回りくどく、しかも難解な語彙で書かれているからだ。要するに単刀直入ではないので、普通の感情をもった世の人々の共通認識に全くなりえていない――ことが挙げられる。

 さらには、「盗人にも五分の魂」のことわざ通りで、殺人者にもそれなりの理由があるから「無下には極刑は適用できない」という風潮と三審制度が、公判を延々と長引かせている。「災害は忘れたころにやって来る」ではなく、「判決は忘れたころにやっと出る」という「遺族感情を無視した(舐め切った)」公判ののろさが批判され続けてきた。

 以上の経緯から「裁判を分かりやすく、迅速に」をモットーに、裁判員制度が制度化されたわけだが、20歳以上の一般国民なら誰でも裁判員に選ばれたら法廷で人を裁かなければならない――という「義務制」は勇み足だったように思う。

 せめて「登録制」もしくは「志願制」にすればよかったのだ。

 というのは、そもそも裁判に臨むのは「司法試験」に合格したエリートであるわけで、その彼等がなぜ「分かりやすく、迅速に」できなかったのかについての十分な議論はなされていない。おかしいではないか?彼等こそ自白・証拠・証人尋問を取った上での「論点整理」はお手の物ではないか?「論点整理」したうえで、それを「ポイント化」して判決を下せばよいことだろう、感情移入せずに。

 まさか裁判を長引かせて 

 ①極刑を臨む市民感情が和らぐまで待って極刑を出さない ②弁護士とぐるになって「仕事」を確保し続ける

 のではないか・・・。そう勘繰りたくもなるこれまでの裁判であった。

 「論点整理のポイント化による自動判決」を考えて欲しい。

さて、裁判員制度よりもっと役に立つ制度がある。それは「政治裁判員制度」だ。

選挙の時だけ有権者に大騒ぎさせておいて、当選したら知らん顔の政治では「国民主権」が泣く。

「政治裁判員」は当選者の任期中の実績を吟味するのを仕事とする。これには20歳以上の有権者だれが選ばれても差し支えないはずだ。

「政治裁判員」が「裁判員」と紛らわしければ、「政治評定員」とでもすればよいだろう。

 

 

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明けない梅雨?

7月12日の梅雨明け宣言後、まずまずの順調な夏空が続いたが、肝腎の皆既日食の22日が曇天となり、次の日は晴れに戻したものの、それからはずっとぐずついた天気となっている。

 今朝は明け方から降り始め、9時半を回った頃、雷とともに結構強い雨が降った。726akenaituyu_004

玄関先に出てみると、タイルは水を打ったように濡れ、植木鉢には水が溜まり始めていた。

 今年の梅雨は空梅雨で、傘を差さなければならない日が3日程度しかなかったが、梅雨明け宣言後、2週間で梅雨の期間(6月10日~7月12日)の降水量に匹敵してしまったのではないかと思う。

 このことも異変だが、九州北部や瀬戸内地方ではもっと大変なことが起こっている。

 梅雨末期の集中豪雨が21日から各地を襲い、もう死者が15人ほどになったろうか、まるで鹿児島のことわざ<人がケシまんと、ナゲシは上がらん>そのままだ。(ケシは「け死」で、「け」は強調の接頭語。ナゲシは梅雨のこと)

 一昔前まで、このことわざは鹿児島では事実として生きていたのだが、ここ4,5年、梅雨末期の豪雨現象は確実に北上したようで、九州北部や中国地方にその領域を移している。

  ――「今まで生きてきて、あんなにすごい雨は初めてだった」

 山口県防府市を襲った集中豪雨の被害者は、異口同音にそう言っている。

 それでも降り始めからの総雨量は300ミリ程度で、この位の量なら鹿児島では珍しいことではない。台風時の雨だと日量800ミリなんて事もあった。シラス台地は雨に弱そうだが、照葉樹林さえ生えていれば、そうもろく崩れることはない。

 要は「降られ慣れ」していない地域だったということだろう。ために役場の防災情報(避難勧告や命令)も後手後手に回り、被害をいっそう大きくしたようだ。

 梅雨末期の豪雨前線が北上したあと、すぐに消えて行かない理由は、どうも「太平洋高気圧が弱い」ためらしい。強ければ鹿児島あたりで、南下する大陸の気団と激しく一戦を交えて<人をケシました>あと、ただちに北へ張り出して梅雨前線を雲散霧消させるはずだが、弱いために大陸気団を北方へ押し切れないでいるのだろう。中国地方あたりで梅雨前線はまだもたもたしているような塩梅だ。

 それにしても、こちらは昨日今日と梅雨のぶり返しのような天気。

 平成5年のようにならなければよいが・・・

 平成5年8月6日はそれまで梅雨のように降っていた雨が、その前日から6日にかけて、時間雨量で100ミリを超え、日間雨量では1000ミリ位まで降り込んで、鹿児島市内を流れる「甲突川(こうつきがわ)」に洪水をひき起こした。そして何と、伊敷(いしき)地区を通る国道3号線が川になり、そこで人が溺れ死んでいる(!)。

 また、幕末を中心に造られた「五大石橋」がほとんど流されるか破壊され、奇跡的に無傷で残った「西田橋」(城下へ出るときの参勤交代橋)も、災害復旧工事と今後の防災のために移設を余儀なくされた。いわゆる「激特」(激甚災害復興特別工事)問題として、その是か非かが、その後半年以上も新聞紙面を賑わしていた。

 さて、その同じ平成5年の夏に、自分たち一家は肝属郡田代町の大原地区に農業をしに移住したのだが、来る日も来る日も雨模様で、早期米の収量が60パーセント作(6分作)という前代未聞の大凶作だったと聞いて驚いたものだ。

 平成5年夏の雨天の極めツケが、9月3日に襲来した台風13号であった。未明から強い風になり、朝10時頃になると立てた雨戸がきしむほどになった。こりゃ、もう避難しなければ―と思い、荷物をと思う間もなく、一枚の雨戸が吹き飛ばされ、あわてて小学2年生の長男・幼稚園の長女の手を引き、妻とまずはすぐ上の家に避難した。

 ところが、その家でも玄関口の明かり採りのガラスが強風で割られ、それどころではなくなり、隣家の家人と一緒になって近くの大原小学校に急いで避難したのであった。だが、小学校でも既に避難してきた人たちの休んでいる体育館の屋根がめくれ上がり、雨風が吹き込むようになり、移動した挙句、結局、校舎の廊下で一晩過ごす羽目になった。

 あくる日は惨憺たる有り様―。集落で屋根の無事だった家を探すのが大変なくらいで、応急のブルーシートがかぶされつつあった。自分たちの借家もやはり屋根に穴が開いていたので、応急の手当てをしたが、それよりも驚いたのが納屋の倒壊だった。中にあった古い道具・器具・冷蔵庫・洗濯機などはガラクタになり、すべて処分。また納屋とはいえ太い柱は片付けるのに一苦労だった。

 この13号台風、雨がさほど降らなかったのは幸いだったが、なにしろ風の強さは半端ではなく、役場の風速計は「78m」を指して吹っ切れていた、と後日、役場の人に聞いた。気圧はたしか920ミリバールを下回っていたはず。もう二度とあんな台風には来て欲しくないものだ。

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皆既日食フィーバー

鹿児島の離島で、今世紀最長の皆既日食が見られると喧伝されてきた天体ショー。昨日は鹿屋で午前10時56分頃、厚い雲の少し薄れた隙間から「部分日食」が見えたそうだが、自分は気付かなかった。

 肝腎の最長の皆既時間を観測できるはずの「悪石島」などのトカラ列島は、軒並み曇りまたは雨の悪天候で、鳴り物入りで渡島した人たちには気の毒な結果となった。

 結局、太平洋航路で見たグループと、雲の上の飛行機で見たグループだけが「恩恵」を受けたということらしい。

 それにしても、このフィーバーには疑問が湧く。一言でいえば「お天道様が隠されることが、そんなに見ものなのか」ということだ。

 などと言うと、観測者から「稀な出来事で、一生に一度あるか無いかじゃないか。しかも、あの皆既の神秘さといったら、この世のものとは思われない。素晴しい!」722kaikinisshokunhk_001

昨夜(7月22日)のNHK7:30特集番組より。

 (皆既から少し戻したところで、いわゆるダイアモンド・リング)

 確かに、めったにお目にかかれるシーンではないが・・・。722kaikinisshokunhk_002

月の径と太陽のそれがぴったりと重なる、というのは、地球上のとある一地点では、50年あるいは100年に一度かもしれないが、地球上にあまねく観測点を網羅すれば、10年に一度くらいは見られるはず。

 まして部分日食など、毎年のようにどこかで観測できる。

 「黒い太陽」(黒部の太陽―ではない)は確かに神秘、もしくは不吉であろう。人間業でもないであろう。

 だが、それも日々粛々と行われている太陽系の寸部の狂いの無い運行があってのことだ。むしろ日々の天体運動こそが神秘であり奇跡ではないか。

 そこに宗教性を感じる向きもあるが、「お天道様、明日も出てきておくんなさい」と願う気持ちは誰にもあるはずで、そのことは万国(人類)共通だろう。宗教が絡んでくるとややこしくなるので、こんな素朴な気持ちをそこにいつもある(見えるのは昼間だけだが)太陽に託せば、話は簡単だ。

 人類一緒に「お天道様」に願う(祈る・頼みにする)ことを「共通の原理」にすれば、一番分かりやすい世界平和への道になる。

――閑話休題――

 邪馬台国論の泰斗である安本美典・元産業能率大教授は、ヒミコを「天照大神」になぞらえる説を採り、<アマテラス大神が「天岩戸」に隠れると世は真暗闇となり、手力男神がそこから引っ張り出すと天地は再び明るくなった>という「天岩戸説話」は、ヒミコ時代にあった皆既日食をうまく利用してヒミコの神秘的統治の必然性を演出したものだ・・・・・と考えておられる。

 しかし昨日経験したように、真っ暗になるといってもわずか数分のことである。これが四日も五日も続いた後にようやく真暗闇の恐怖から開放され、それがヒミコの力(祈り)によるものと説明されたら「ヒミコ様はキリスト(救世主)なり」と崇拝されるようになるだろうが、数分の暗闇では誰も狂乱状態などになりはしないだろう。

 したがって「ヒミコ=アマテラス大神説」は成り立たないと思う。第一、もしヒミコがアマテラスなら後継者の宗女「トヨ」は誰であるのか。また、産んだとされる「アメノオシホミミ」以下の五男を誰に比定するのだろうか? それらについては「関係ない」と無視てしまうのだろうか? やはりアマテラスを含む関係者の比定までしておかないと、関係史料の「いいとこ取り」になってしまうだろう。

 誠実な論考で信頼置ける学者だけに残念だ、そこだけは考え直していただけないものか。

 

 

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相も変わらぬ<邪馬台国論争>

昨日の日曜午後、時々見ることのある「そこまで言って委員会」(毎日テレビ?)で、<ミステリー・邪馬台国・九州説か畿内説か?>というようなタイトルを掲げ、二人の、それぞれを代表する学者が持論を展開していた。

 この番組では、質疑を交えた上で、最後にゲストコメンテーター8氏にどちらを支持するか軍配を上げさせたところ、ちょうど4対4の五分で終了した。はじめから五分五分で終わるように仕組んだ嫌いもあるが、テレビでこういう論争を取り上げること自体、よいことだと思う。

 それにしてもいただけないのが『畿内説』だ。

 春成秀爾という橿原考古学研究所だったかの所長が、畿内説の代表者だが、魏志倭人伝の行程記事の九州の北岸から「南至る邪馬台国、水行十日、陸行1月」という部分の方角「南」を「東」の誤記とする畿内説が多い中で、氏は朝鮮で15世紀はじめに描かれた地図『混一彊理歴代国都之図』に日本列島が東西ではなく南北に書かれていることを理由に、「南は誤記ではない。国都之図のように古代人は日本列島を南北に長いものと認識していた。したがって、九州島から南へ船で十日、歩いて一ヶ月をたどれば畿内に到着する」という自説を述べていた。

 ところが『国都之図』の写しで、ちゃんと東西に長く描かれているものが長崎県の寺で見つかっている。これをどう理解するのか、というか、申し開きをするのか、聞いてみたいものだ

 いずれにしても、魏志倭人伝の行程記事をよく読めば、邪馬台国は九州島を出ることはない。「畿内説」の人はもういい加減に「魏志倭人伝」から離れて、つまり魏志倭人伝など無視してもらいたいものだ。

 魏志倭人伝には「邪馬台国の東、海を渡った所にも倭人(倭種)がいる」とあり、中国地方・四国地方・畿内・それ以東にも倭人がいると言っているのだから、魏志倭人伝の内容については考慮せずに、どうぞ自由に古墳なり、弥生墳丘墓なりの考古資料から「倭人論」および「大和建国論」を展開してもらいたい。

 邪馬台国が九州島に存在したことは「魏志倭人伝」の行程記事から明らかであるが、ただ九州説の弱点はー実は畿内説でも同様なのだがーやはり「考古資料偏重」で、ために九州島最初の国として描かれる「末盧国(唐津市)」の次に、東南へ陸行で到達する「伊都国」を福岡市西部の「糸島(前原市)」と安易に比定してしまっていることだ。

 前原市の数々の王墓に埋納された巨大な鏡や剣・碧玉などの考古資料に幻惑され、船で行けるはずの糸島へ陸行するという奇妙さや、唐津から糸島なら東南ではなく「東北」であることなどに疑問は感じないでいる。

 このことが畿内説論者をして堂々と「南」は「東」の誤記であると言わしめる理由にもなっている。つまり「九州説も東南を東北に勝手に読み変えているじゃないか。それなら南を東に変えても文句は言えまい。同じ90度の転換なのだから。」と言われることになるのだ。

 私見では方角を一切いじらずに、唐津から東南を流れる松浦川沿いに行ったとする。

 また、距離表記の「水行千里」は「航海日数の1日」(「海峡渡海一日行程論」による)、「陸行百里」は「徒歩日数の1日」と換算できるものとして、おおむね福岡県八女市あたりが邪馬台女王国であろうと考えている。敵対していた南にある「狗奴国」はおおむね「熊本県」、「投馬国」は「鹿児島県と宮崎県(薩摩・大隅分立以前の日向国)」であることは動かせない。

 邪馬台国論については、おいおい何回かに分けて書くつもりである。

 ホームページ『鴨着く島おおすみ』には既に掲載済みだが・・・。

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梅雨明け宣言(2009年7月12日)

今日、7月12日、九州南部は梅雨が明けた。平年より1日早く、昨年よりは6日遅いという。去年も空梅雨だったが、今年も空梅雨だった。本格的に降ったのは3回ほどしかなかった。

 一方で奄美は7月5日が梅雨明けで、こちらは平年より7日遅く、去年より3日遅れている。平年の梅雨明けは6月29日だから、奄美が梅雨明けして2週間後にやっと九州南部の梅雨明けのはずだが、今年はそのタイムラグがわずか1週間に縮まったことになる。

 九州南部が次第に奄美同様「亜熱帯化」しつつあるのかもしれない。

 しかしそれだと説明できないことがある。我が家の庭に咲いているグラジオラスだ。712tuyuake_001

いつもなら5月の前半に咲きはじめて、おおむね1ヶ月。ちょうど梅雨に入るか入らないかの頃には枯れてしまうのだが、今年はやや遅れて咲き出し、それが梅雨明けの今日も咲き誇っている。

いったいこれをどう説明したらよいのだろうか?712tuyuake_002_2

その一方で、夏の終りから咲き出すはずのコスモスが早々と4月に咲き、カンナも5月中からずっと咲いている。

 暖春ならむしろ早く咲き出しそうなグラジオラスが遅れて咲く。

 奇妙な光景である。

 本格的な夏空の下、グラジオラスがいつまで咲いているものなのか、見守っていよう。712kosumosu

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シジュウカラが庭に

8時過ぎ、朝食後の茶を飲みつつテレビを観ていると、庭の方から聴き慣れないが親しみある鳥の声がする。

 庭を通過するだけなら、重い腰を上げるほどのことはあるまいと再びテレビに顔を向けるが、鳴き声が長いうえ、庭のT字型の洗濯物干しに飛び移ったりしているのが目に入ったので、そうっと立ち上がり庭に面しているガラス戸のところから覗いてみた。

 シジュウカラだった。

 特徴ある頭からのど元への黒頭巾。灰色の体毛。間違いない。

 鳴き声も典型的な「ピンカラ、ピンカラ」ではなく、若干「なまっていた」ような気がするが、とにかくこの地に来て6年目にして初めて庭に来たのだ(と記憶する)。デジカメを取りに走ったが、その間に我が家の庭を離れてしまった。

 惜しいことをしたと思った。だが、どうやら隣りの家の方で鳴いているようだ。

 あわてて、お隣りの庭が見える部屋に行き、ガラス戸から眺めると・・・、隣人が趣味で建てた無線通信アンテナ塔に、せわしなく動き回る鳥の影が見えた。704sijuukara_005

趣味とはいえこのレベルになるとほぼ「地球の裏側」との交信も可能だそうで、お互いに交信したという証拠のカードを交換するのが礼儀作法らしい。以前お邪魔した時にそんなカードの詰まったアルバムを見せてもらったことがあった。704sijuukara_004

一羽がアンテナを支えるワイヤーにとまっていた。オスかメスかは分からない。704sijuukara_001

こっちがオスかいな。

春の子育ては終わったのかい?

 なに?―新しいカップルです?

 とにかくつがいであることは間違いないようだ。704sijuukara_002

おや、後を向かれちゃったよ!

頭が向こう向きゃ、尾はこっち。704sijuukara_003

やっ! 飛び立ったぞ。

おや、真っ直ぐ向こうに行くんじゃないのかい?

ええ?―いちおう、さよならの挨拶です―って?

 へえ、関心だねえ。

 今年は3月の下旬頃に、庭に秋鳥のモズがやって来て面食らったが、シジュウカラがこの時期に姿を見せるのは普通なんだろうか?

 

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シュワちゃんの財政非常事態宣言

カリフォルニア州のアーノルド・シュワルツェネッガー知事が、7月1日ついに非常事態を発令した。「非常事態」といっても財政に限られているが、州政府が公権力を発動して財政の危機に対処するというものだ。

 何のことはない「金庫が底をつくので、払えるものが払えません。つきましては借用証書だけはお渡ししておきます。資金に余裕が出たら優先的にお支払いしますから、ちょっと待っててよ」ということらしい。

 その期限は7月末のようで、果たしてそんな短期間のうちに200億ドルとかいう債務をどうやって完済するかだが、筋から言えば「州債」のようなものを発行すれば資金は集められるのではないか。それさえ難しいのだろうか。

 確か春先にも、「金庫が空っぽになりそうだ」とか言っていたが、あれはどうやり繰りしたのか。オバマ政権が手当てをしてやったという話も聞いていない。合衆国政府ももうそんなこと構っていられないのだろう。

 なにせアメリカは名立たる「地方分権」国家だ。自分のことは自分でやれ―ということなのだろう。それはそれで筋が通っている。州の財政が破綻してもそれは自己責任であり、州民はそんな州政府がいやならハワイ州でもケンタッキー州でもどこでも好きな所に住めばよい。「自由」なのだから・・・。

 

 思えば確かにアメリカは「自由」だし、「自由に描いた夢」が実現する所でもある。

 単身移民であるシュワちゃんが、映画界で大スターになり、1代でアメリカでも最大規模のカリフォルニア州の知事になった。

 現バラク・オバマ大統領に至ってはケニア人留学生だった父と白人の母の子で、しかも4歳の時に父母は離婚し、父バラク・オバマ・シニアはケニアに帰ってしまった。

 前者は成功者がさらなる頂点を目指して実現した事例。後者はむしろ苦労人が刻苦勉励し、頂点に上り詰めた事例。

 経歴に大きな違いがあり、人さまざまな理解の仕方があろうが、共通しているのは、よそ者が来て頂点に立ったという点だ。オバマの母親は白人の在住アメリカンでシュワちゃんとは違うようだが、両親はスウェーデン系だそうだから、やはり、よそ者に近い。

 戦後、アメリカに負けたということもあって、何もかもアメリカがお手本とされて来た経緯がある上、今また「規制緩和だ」「小さな政府だ」「地方分権だ」とアメリカをさらなるモデルにした政治概念が叫ばれているが、「中国人でも朝鮮人でもアメリカ人でもケニア人でも、誰でも知事や首相になれる」というところまで踏み込めるのだろうか?

 日本では、まずそれは無理だろう。またカリフォルニア州のような地方が破産状態になっても、たとえば宮崎県が破産しても「財源委譲した上で破産するのは、その地方の責任だから、国は関与しない」と言い切れるだろうか。これもまた日本ではありえない話だ。

 地方において国が関与すべき点はやはり少なくない。財源委譲するから地方で勝手にやれ、では納税者が多くまたその額も大きい都市部はいいが、地方はたまったものではない。格差はますます広がってしまうだろう。

 「金をもっとよこせ、もっと地方に自由な金を使わせろ。国の余分な事業の負担を押し付けるな」と橋下大阪府知事などは言っているが、すべては資金の問題であるかのような考えでは逆に足元をすくわれるのではないか。

 話を「財政非常事態宣言」に戻すが、もしこのままオバマ政権が何もしない、となると、どうなるのだろうか?財政は破綻しても「州」は存在するだろうから、考えられるのは「債務帳消し」つまりは州財政のリセットだ。

 アメリカ版「徳政令」ということになろう。無事に済むだろうか?

 すべての債権者が余裕もあり忍耐もあればそれは可能だが、果たしてどうなることやら。

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300号達成!ありがとう。

平成18年(2006)10月10日、初めてのホームページ『鴨着く島 おおすみ』を何とか立ち上げ、並行してココログで始めたこのブログ『鴨着く島』が、最初の目標である300回を迎えることができた。

 読んでも読まれなくても、とにかく300回は続けたいと週に2回のペースで書いてきたが、時に読者から「コメント」をもらうとやはり励みになる。ありがとう、次の300回を目指します。これからもどうぞよろしく。630nemunoki_002

3年前の夏に、桜島を写しに行った垂水市の協和中学校の裏手の高台で、道端に葉を広げていた1メートルにも満たない「合歓(ねむ)の木」を採取して来て庭に植えたが、それがもう高さ3メートルを越え、葉を広げた直径は4メートル余りにも成長している。

 わがブログもこのように成長したいものだ。630nemunoki_003

 時には若々しく、時にはジジくさく、時には明るく、時には暗く、おおすみと人生の「合歓(よろこびあい)」を描いていけたら――と思う。

 目標は「おおすみ1万年史」の構築である。ヨロシクッ!

 華やぎと 哀しみともに 合歓の花

 

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ユタと沖縄のこころ

夜のテレビ番組「大人のソナタ」(KKB=鹿児島放送)を見ていたら、ありふれた「予知能力」の話であったが、途中から沖縄に今も存在する「ユタ」という「神の声を聴く心理カウンセラー」が取り上げられていた。

 ユタはすでに聞いたことがあるし、古い映像が別の番組でも放映されたことがあったから、よく知っている。628okinawanonoro_003

沖縄本島の西にある「久高島」では、「イザイホー」と呼ばれるユタになるための儀式があり、何年かにいっぺん写真のようなユタ候補たちが4日間にわたって一同に会して行われる。628okinawanonoro_006

琉球大の赤嶺教授によると、「聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とするユタたちの組織が公然と設立されたのは、世界でも類例がない」とのことである。

 要するに古代以前にあった「祭政一致」の統治体制のうち「祭」を司るのが「聞得大君」であり、ユタたちはその配下にはべり、国家の枢要事について「神がかりになって」答申していたのだ。

 番組ではこの組織は外部からもたらされたように説明していたが、むしろ逆で、古代以前の祭政一致体制が沖縄には残された――というべきだろう。628okinawanonoro_007

番組では宮古島在住の本物のユタに密着取材していた。

 65歳という彼女は23歳の時に、「カンダーり(神がかり)」に遭い、狂ったように島中を歩き回り、3ヶ月もの間、ほとんど寝られなかったそうである。

 歩き回った末、ある昔ながらの井戸が工事で埋もれそうになった事実に行き当たり、それを守って工事による消滅から救ったことで、「カンダーリ」が収まった。そこは実は古代からある「御嶽(うたき)=聖地」だったという。

(思うに「カンダーリ」とは神がかりではなく「神垂れ(カンダレ)」であろう)。

 このような人は実は古代以前の日本列島にはたくさんいた。

 日本書紀の「景行天皇紀」では、天皇自ら九州のクマソを征伐にやってくるのだが、九州には次のような女首長がいた。

 ・神夏磯媛(かむかしひめ)=豊前国の首長

 ・速津媛(はやつひめ)=豊後の速見邑の首長

 ・市乾鹿文・市鹿文(いちひかや・いちかや)=クマソ国の首長の娘姉妹。おそらく「祭」を司っていた。

 ・御刀媛(みはかしひめ)=日向国の首長

 ・泉媛(いずみひめ)=諸県君(もろかたのきみ=諸県の首長)

 ・八女津媛(やめつひめ)=八女県(やめのあがた)の首長

 この最後の八女津媛こそが邪馬台国女王ヒミコとするのが私見だが、いずれにせよ九州では女首長があまたいて、沖縄の「聞得大君」のような役割を果たしていたに違いない。それが律令制以降、中国大陸の官制が導入されるに及んで、このような女性の「祭祀権」が奪われ、ついにはたんなるシャーマンという地位に落ちてしまった。

 明治維新は「王政復古」であり、要するに「中国(唐)の官僚組織にならった天皇を頂点とする律令体制への復帰」だったわけだが、もう一度維新があるとすれば、そこをさらに遡り「女性の祭祀権をも戴く統治体制への回帰」に行き着くであろう。

 美智子皇后が垣間見せる「母性的安心感を国民に分かち与える」ことが、これからますます必要になってくるに違いない。

 そこでは「地位も名誉も金も物も、一切が相対化され、真実のココロが自他共に尊重される」はずである。

 番組の最後に沖縄出身の元チャンプルーズ・現国会議員「嘉納昌吉(かのうしょうきち)」が「花」を歌っていたが、その主題は「心の中に花を咲かそうよ」であった。そう、決して外部に対してひけらかす花(地位・名誉・金)ではなく、ココロが本当に求めている花なのである。628okinawanonoro_008

628okinawanonoro_009 「金・地位・名誉という花」なぞいらぬ。

 「心の奥にある真実の自分(花)を探そうよ」

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美観コレクション(大野泰秀写真集)

高校の同窓で同じクラブに属していた大野泰秀君から、貴重な写真集が送られてきた。Ohnoyasuhideshashinshuu2

今回で2冊目である。

前のは4年前だったが、その写真集のタイトルは『東・南アジアの美観』であった。

 彼は教員だったのを早期退職し、いま、<美観コレクター>として世界中を飛び回っている。

 少年期からの長年の夢をかなえるべく、得意のカメラをひっ提げて西へ東へ、地の果てまでも、その「美観」を追い続けている姿は、求道的ですらある。

 前回はアジアの伝統・民族(俗)・景観が中心のいわば「人文地理的美観」だった。Ohnoyasuhideshashinshuu1

アジアに対してわれわれ日本人には原郷回帰の親しみを感じるので、前作の写真は心地よささえ感じたが、今回のオセアニア・南極は風土が余りに違いすぎてやはりよそよそしい。

 こちらは明確に「自然地理的美観」ということができる。彼の巧まざる美観選定の基準が、2冊それぞれの特色をかもし出しているところは、見事というほかない。

 次は「欧米か!」になるのだろうか(笑)。

 それは冗談だが、今度のも前作も大野君の性格らしくらしく、ちょうど128ページで終わっている。その1ページ前の127ページの最後の4行は非常に大切なことを指摘している。

――太平洋・南極の観光では、地球の鼓動を感じ取ることができる。だが同時に、地球の悲鳴を聴き取る耳と目を持たねばならない。今こそ「地球人としての自覚」が求められている。

 

 大野泰秀写真集のホームページは次の通り。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~ohno-photo/sub1.htm

※書き終わってから書棚を確かめたら、大野君の写真集はもう1冊あった。1997年、まだ教員だったときに『日本列島の美観百選』というのを出版していたのであった。追加しておきたい。

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菜園の異変

この間、銭湯に行き、いつものジェットバスで腰や背中をほぐしたあと、サウナルームに入っていて耳にした会話。

――どうもいつもと生育が違っているぞ(チゴチョッド)。

――何が?(ナイガヤ?)

――稲だが(イネジャガ)。

――どう違う?(イケンチゴチョッドヤ?)

――伸びが違う。去年と同じような水遣り、肥料。みな同じなんだが、どうも伸び切らないし、分ケツも悪い。(鹿児    島弁省略)

 そう言えば、我が家の菜園でも異変が起きている。

 夏野菜のうち、ニガウリ、ナス。ピーマンの成長が極端に悪い。とくにニガウリはひどく、種から播いて芽が出たのも遅かったが、本葉が2枚出てから植えつけてもう3週間になるというのに、それ以上まったく伸びだしてこない。609saienihen_002

正確に言うと、今朝(6月9日)、ようやくツル(手)の一本が出てきた。これから伸びていく準備か。

 例年なら植えつけて3週間も経てば本葉の5,6枚は出てネットに這っているところなのだが、この有様は今まで見たことがない。609saienihen_003

別の苗は、まだ植えつけたときのまま、本葉2枚のまま成長していない。

 植えつけてから、確かに朝は寒い日が多かったが、日中は気温は高めだったし(25度以上はあった)、日照時間も十分だった。

 それなのに一向に伸びてこない。609saienihen_007

ニガウリより早く、本葉3枚くらいの苗を購入して植えたナスも、もう1ヵ月を過ぎたといいうのに、高さ30センチを少し越えたくらいで元気がない。

 特に葉がかさかさしている感じだ。例年のようにビロード風の厚さがない。609saienihen_008

ピーマンはなお生育が悪く、高さ15センチで止まっている。

 花が咲いて実を付けたが直径3センチほどのミニピーマンだった。609saienihen_006

 夏野菜三羽ガラスのうち、順調なのはミニトマト。

 2本のうち一本は1メートルをはるかに超えた。

 さすが元南米の高原野菜だ。涼しさと乾燥にはめっぽう強い。

 今年は太陽の黒点が観測されず放射エネルギーが弱まっているらしいので、「晴れてはいるが青天ではない」というすっきりしない空模様がずっと続いている。

 今日か明日か、鹿児島は梅雨に入りそうだが、このうえ日照時間が少なくなったら「冷害」に近い状態になるだろう。

 米・野菜(とくにニガウリなどの亜熱帯系の野菜)の不作が懸念される。

 ただしトマト好きには堪えられない夏になりそうだ。

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オバマ大統領とアラブ

アメリカのオバマ大統領は精力的にブッシュの作り上げた対アラブへの壁を打ち破ろうとしている。

 それも国務長官任せの外交ではなく、自ら出向いて反米アラブ諸国との融和を図る――という、これまでのどのアメリカ大統領もなしえなかったやり方で。

 よく知られるように、アメリカは反アラブの砦であるイスラエルべったりである。かってアラブへの二枚舌外交で状況を複雑にしたイギリスに代わり、第二次大戦後に世界の「自由主義の総本山」となったアメリカは、シオニズムの結果ようやく建国(というより回復)を果たしたユダヤ人の祖国イスラエルのみをパレスチナにおける正当な国家として認め、肩入れし続けてきた。

 パレスチナはアラブ人にとっても、ユダヤ人にとっても聖地であり、どちらも歴史的にさかのぼることができる土地である。問題は今も続いている宗教だ。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教が絡んでいることが、関係をより複雑にしている。ユダヤ教とキリスト教はいわば兄弟宗教なので、小異に目をつぶれば融和はさほど困難ではないが、イスラム(ムハンマド)教は、成立自体もだが、その後の経緯で抗争と対立が長く続いたため、お互いに認め合う前にまず「憎しみ」の感情の根がはびこっていて、融和するには大きな壁が立ちはだかっている。

 オバマ大統領はそこを積極的に打開しようと精力的に飛び回っているのだ。内憂(金融危機・GMなどの大企業の倒産)よりも、外患の方こそ先決問題だと考えているかのようだ。父のケニヤ人フセイン・オバマはイスラム教徒だったそうで、であれば息子のバラク・フセイン・オバマがイスラム教に無理解なはずはない。

 アラブ諸国との融和にはうってつけの大統領ということになろう。仮にオバマが白人でありながらイスラム教徒であったとしたらどうだろうか。たぶんうまくは行くまい。何よりもアメリカ国内やヨーロッパの白人キリスト教者から激しいブーイングが巻き起こるだろう。

 混血のオバマはその点フリーハンドと言っていい。天の配剤かもしれない。世界融和へオバマの活躍を期待する。

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今一度せんたくいたし度く候(坂本竜馬)

天気がよい。ビータローがくさい。・・・で、日本をではなく、ビータローを「せんたくいたし度く候」。

 我が家の愛犬ビータローは3年前に「けなえ」(鹿児島弁で身体のマヒのこと)そうになり、ために毎朝の散歩を廃したのだが、おかげで草むらに顔を突っ込むことから解放されて、草むらに多い「ダニ」が身体に着くことがなくなった。

 あれから3年、犬の歳では18年が過ぎ、ようやく老境を迎えた今日この頃、毎日が寝たり起きたりの「日々是れ好日」を過ごしている。

いつもなら4月中旬には一回目の「せんたく」をしていたのだが、今年はほとんど「日々是れ好日」のせいで身体のよごれが少なく、ほったらかしにしておいた。だが、この一週間ばかり、餌をやるついでに顔を近づけて匂いをかぐと、結構な香りを発散するようになった。

 で、「せんたくいたし度く候」と相成った次第。531bitarouno_001

5,6年前だったら、風呂場につれてくるなり、ここを出してくれ、とばかり慌てふためいていたのだが、寄る年並みには勝てぬのだろう、神妙にかしこまった。531bitarouno_002

白湯でたっぷり下洗いしたあと、今度は犬猫用のシャンプーで洗う。

 このときも観念したようにおとなしい。531bitarouno_003

ちょうど春の抜け毛(衣替え)のシーズンとあって、ずいぶん抜け落ちている。

 ご主人様のざっと一年分は抜けているだろう。531bitarouno_004

庭の日当たりのよいところでビータローを「乾かす」。

 以前なら何度もブルブルをして身体の水分を弾き飛ばしていたのだが、後ろ足がおぼつかないせいでほとんどできなかった。531bitarouno_005

満16歳を迎える今年、人間で言えば百歳に突入だ。

 世界最高齢の犬は満21歳(人間の146歳)のアメリカの犬だそうだが、あと五年に迫ったな。

 頑張るか?ビータロー。

 え? 頑張るから、うまい物を食わしてくれ、だって!

 いや、粗食に腹八分目が長寿の秘訣だろ?

――そうは言ってもねえ。531bitarouno_006

おいおい、セロシアは敷き布団じゃないぞ。

――ちょっとくらいいいじゃん。このさき長くないんだしさ・・・。

 まあ、いいか。長生きしろよ、ビータロー。

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孕み女と「うない」(求菩提山・国玉神社)

図書館で借りてきたビデオ『九州の民俗芸能ライブラリー・シリーズ』(九州電力製作)の中の「求菩提山お田植え祭」を観ていて「あれっ、ここでもやっぱり」と思った。

 同じシリーズで「阿蘇神社のお田植え祭」に登場した「うなり」という「女性の祭礼奉仕者」とそっくりの「うない」が、この祭礼においても登場したのだ。

福岡県豊前市にある求菩提山は標高782mとそう高い山ではないが、大分県との県境に聳える「英彦山(1200m)」とならぶ修験道の聖地である。

 その中腹に「国玉神社」があり、毎年3月29日には「お田植え祭」が行われている。祭礼は典型的な「豊作予祝」の神事だ。523uchinouraoosakikubotesan_023

求菩提山の麓を流れる佐井川上流の谷間に国玉神社はある。523uchinouraoosakikubotesan_024

国玉神社の中宮からみこしが出て、「仮屋」と呼ばれるお宮へ行き、その前の広場に結界が設けられて「お田植え祭」が催される。529kubotesanotaueshinji_001

豊作予祝の祭礼の流れは――清めの舞い→畦刈り→田打ち→田鋤き→モミ播き→田植え――と米作りの順序どおり進行するが、小学生の扮した早乙女・早男による田植えのあとに登場するのが「孕み女とうない」である。

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孕み女もうないも、男が扮するのだが、これは「田に植えた稲が十分に実を結びますように」という予祝であることは言うまでもない。

 ここで注目したいのが「うない」という女性である(写真では右が孕み女、左が「うない」)。

 「阿蘇神社のお田植え祭」では「うなり」という一群の女性が登場して、仮屋ごとにお供物を供え、また回収して回るのだが、求菩提山の国玉神社の祭礼では「孕み女の介護をする女性」としての役目があるようだ。

 「うなり」は沖縄では「おなり(神)」と呼ばれる姉妹神であった。

 また邪馬台国のことを記述した「魏志倭人伝」中の倭人国家のひとつに「投馬国(つまこく)」があり、その国の王は「ミミ」、女王は「ミミナリ」と言ったが、女王は「ミミ(王)のなり(姉妹)」であり、これは後世の琉球王国において「国王―聞得大君(きこえおおきみ=国王の姉妹または姪のうちのひとりが就任)」という「祭政一致的国家体制」が営まれていたのと軌を一にしている。

 何が言いたいかというと、「うない」は「うなり」の転訛であり、「なり」は投馬国語の「ミミナリ」の「ナリ」と完璧に重なる「(女王に匹敵する高貴な)女性」を表しているゆえ、九州北部を除く中九州以南は「倭人伝」の一国である「投馬国」と同一文化圏にあったとしてよいのではないか――ということである。

 因みに私見の「投馬国」は鹿児島・宮崎両県をほぼカバーする広大な国家であった(戸数五万余)。

 邪馬台国は「福岡県八女市周辺」で狗奴国はほぼ今日の「熊本県」であることは動かせない。

 また「伊都国」は末盧国すなわち唐津市の東南の松浦川を抜けたところの佐賀平野の西「佐賀県小城市」あたりであって、福岡県の糸島郡や前原市では有り得ない――このことは私見のみの「新説」である。もし伊都国が糸島・前原市であったら壱岐島から直接船を着ければよいのである。なんでわざわざ唐津から海岸沿いの難儀な道を歩かねばならぬのだろうか?このことについての合理的な答えをこれまで聞いたことがない。

(邪馬台国論は別の機会に改めて書くことにしたい)

 

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寡黙なる春

去年から今年にかけてミツバチが大量失踪したことが話題になっている。

 そう言えば、春先になるとよく街の花壇の花々に群れ集い、ブンブン羽音をたてるミツバチの集団がいるものだが、この春はそういうのを見たことがない。

 一度、町の道路で、まるでウンカのように上下に回りながらもやっている集団に出くわしたが、そんな光景はこれまで見たことがなかったし、「ウンカのように」というほどの数ではなく、せいぜい2、30匹だったと思う。

 また、勤務先の近くのアスファルトの上に一匹の死骸を見ている。つい最近は街中の民家の入り口に咲くシロツメクサの花の周りを、これも一匹単独で飛んでいるのを見たばかりだ。

 つまり巷間で言われるように「全部が忽然と姿を消した」のではなく、いることはいるが、単独かそれに近い状態では存在し、どう見てもこれから先、繁殖して殖えていくような気配は全くなく、いずれは絶滅する(あるいはどこかへ行ってしまう)のではないか、とは十分考えられる状態だ。

 その理由の大きなひとつが「太陽黒点の極端な減少」かもしれない。

 去年の8月は一ヶ月余りまったく黒点が観測されず、またその2ヵ月後の11月から今年の4月までほとんど黒点らしきものが現れていないそうだ。こんなに長い「太陽の黒点なし」は、1913年の通算300日余に次ぐというから、金融危機に関わる「百年に一度の大恐慌」が宇宙現象にも現れていることになる(因果は逆かも知れぬ)。

 太陽の黒点は「磁気活動の象徴」だそうだから、黒点がないということは「太陽の磁気活動が低下している」ことになり、これは地球温暖化の反対の「地球低温化」を招くという。それが徐々に来るのなら対処のしようがあるが、突然やって来た日にはお手上げだ。

 考えられるのが「某火山の大爆発」―なんてことにならなければよいが・・・。火山の大爆発に伴う熱雲の発生で太陽光が遮られたら、一気に寒冷化だ。7月22日の「皆既日食ツアー」なんてのんびりしたことにうつつを抜かしている暇はないことになろう。

 ところで、我が家の庭でも今年は「モンシロチョウが来ない」という珍現象に襲われていたのだが、今朝、ようやく一匹が現れた。521monsirochou_002

 玄関先の紫の小花の蜜を吸おうとしている。521monsirochou_004_2

ようやく止まって吸いはじめた。

 それにしても久しぶりだ。4月から5月にかけては、いろいろな花が咲き、それを目がけていつも5~6匹が群れをなし、上下に戯れながら蜜を吸ったり、葉の裏に卵を産みつけたりと、せわしげな行動をするのだが、今年はとんと見なかった。

 今朝はやって来たにはやって来たが、単独である。蜜だけ吸って卵を産みつけることは無かった。521monsirochou_003

ミツバチにしろモンシロチョウにしろ、彼らは「太陽黒点の消滅による影響」を体で本能的に感じているのだろう。

 とりあえず彼らは「子孫を産んでもしょうがないから、産まない」という行動を取っているように見えるのだが、思い込みが過ぎるだろうか・・・・・。

※「寡黙なる春」は『沈黙の春』(レイチェル・カーソン女史)から取った題。

 上記書は1960年代後半「環境汚染(特に農薬の)」が社会問題になった時勢にベストセラーになり、その後開かれた「ローマ会議」の基調に大きな影響を与えた。

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サトイモの露

ゴールデンウィーク以来、もう3週間、雨らしい雨に見放されている。

この頃は毎朝と毎夕の二回、畑に定植した夏野菜(ミニトマト、ナス、ピーマンの定番三種と、枝豆・スイートコーン)に水をやるのが日課だ。

今朝もやっていると、ピーマンの隣りに芽を出したサトイモが、ぐんぐん大きくなっているのに驚く。517satoimonotuyu_001

たぶん去年掘り取らずにほったらかしにしていたやつだ。

 6、7本も芽を出している。

 水をやると、たくさん出た葉のうち、二枚に水が溜まって透明なガラス玉を作った。

 517satoimonotuyu_002

これはいわば「模造ガラス」だが、真夏になればちょっと湿度の高い日の晴れた朝、上を向いた葉には必ずガラス玉を乗せているのが見られる。

 小芋ごとに分けてやれば6,7本の立派なサトイモが林立するようになるのだが、菜園で作るには株の大きさの割りに実(芋=根)の収穫が少ないのであえて栽培はしない。

 むしろ観賞用としてそのままにしておく。

 サトイモは新芋(子芋)よりその元となった旧芋(親芋)を「ヤツガシラ(八頭)」と呼んで、「家族繁栄」の象徴として尊ばれる。517satoimonotuyu_003

今年はこの一群を掘り取ってみよう。孫芋までごろごろ現れるかもしれない。

 孫――と言えば、昨日、民主党新代表に「鳩山由紀夫」が選ばれたが、ユキオは鳩山一郎の孫である。

 他方の自民党総裁にして首相の麻生太郎は吉田茂の孫である。

 ユキオは父系の孫、タローは母系の孫の違いはあるが、どっちも戦後間もなくの「自由党」と「民主党」のそれぞれの代表で、先に自由党の吉田茂が首相を務めたあと、代わって鳩山一郎が首相に就任している。

 いわば一代遅れの因縁の組み合わせということになる。

 鳩山一郎は自由党と民主党の合同、つまり自由民主党の結成のあと、最初の党首兼首相を務め、敗戦後、西欧列強の中ではただ一国日本を認めようとしなかったソ連と平和条約を結び、国連加入を実現させた功労者だ。

 しかし一見して外交通のように思われる鳩山一郎だが、実はその前の首相・吉田茂の根回し的外交手腕の成果の果実を貰ったに過ぎない。

 外交に関してはやはりタロー芋の方に軍配が上がるだろう。

 タローの後、タローが再任されるのか、それともユキオか、予断は許さないが、一時代前の祖父たちの時のように二党が合同か、再編するかして「みぞゆー」の国難に対処するような事態にならないとも限らない。もちろん「事態」といっても悪い方向ではなく、日本の国是が他国のモデルとなるような方向に進んで欲しい。

 繰り返し言う―「非核武装・永世中立平和国家」へ。

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「海運大国」日本の再確認

今日の夕方、毎週土曜日の6時ごろから放映されるNHK「週間こどもニュース」はよく見るテレビ番組のひとつだ。純真な小学生の、社会に向ける眼がどんなものかが感じられて面白くて見ている。

 今日は特集として「海運」があった。

 「海外から日本へたくさんの物資が輸入されるけれど、その時に海運が占める割合はどのくらいか分かる?」

 お父さん(最近キャスターが変わって若い人になった)がこう言っても、子供たちは予想さえできない。

 「99.7%なんだよ」

 お父さんがそう言うと、子供たちは「ええ!まじで?」とか何とか言いながらどよめく。小学校の高学年だったら日本の貿易の輸出・輸入の特徴や、例の「加工貿易」という言葉は学んでいるはずだ。

 ところが、輸出入にせよ「加工貿易」にせよ、それを成り立たせている「海運」については詳しく学んできていない。そしてその間の事情は海運会社や貿易商社にでも勤務しない限り、大人でも同じようなものなのである。509kouyama_020

(写真はNHK「週間子供ニュース」5月9日)のテレビ画面から撮影)

 小学生キャスターの女の子が実際に港へ行き、コンテナヤードとコンテナ船を取材しているところ。509kouyama_019

海上保安間の活躍を描いた映画「海猿」やソマリア沖の海賊船対策として海上自衛隊の駆逐艦が出動したことで、海への関心は高まりつつあるが、陸上生活中心のわれわれ一般国民は海の情報には極めて疎いのが現実である。509kouyama_018

クレーンによって荷積みされるコンテナ。

 記憶に間違いが無ければ、日本は年間10億トン近くの物資を輸入している。

 コンビニやスーパーマーケットに並ぶ商品の6、70パーセントは輸入物でそのほとんどが船で運ばれて来たのだが、消費者は「○○国産」には気を配るが、はるかな航路を経てそこに陳列されているのだ、なんてことは全く意識のほかだろう。

 それほど「海運」は日常から遠ざけられている。 

 そのことは「白村江の戦い」(663年)で九州島を中心とする航海系倭人が敗れて壊滅状態になった7世紀末の時代と、はるかに飛んでアメリカとの戦い(太平洋戦争)で「海軍大国・日本」が敗れて壊滅状態になった戦後に特にひどくなった。

 白村江戦役以後は、陸上の「米」を機軸とする「律令国家」構想が大和王権のコンセプトとなって中央集権国家を実現し、太平洋戦争後は、陸上の「工業生産」を機軸とする「加工貿易国家」構想が戦後のコンセプトになり、高度経済成長国家が実現されたのだが、どちらにしても「海運」は土台の部門として日の当たらない状態が続いてきた。

 その中で原油のタンカーだけは、生命線であるエネルギー資源の運搬ということで若干の注目は浴びたことがあったが、総体的に見て陸上部門の話題性にははるかに及ばなかったし、今でも、実情はこの番組が示した通りである。

 「海の日」(7月20日)が制定されてだいぶ経つが、海水浴をはじめとする海のレジャーを楽しむ日という風に矮小化されてしまっているのが現状だ。もう少し世界大の交易に眼を振り向けないといけないだろう。歴史のなぞも、海運を理解しないと解けないものが多いのである。

 

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アカメガシワ

我が家の庭のオオバベニガシワのことを最初「アカメガシワ」と思い込んでいて、その誤りに気付いたのだったが、件のアカメガシワが鹿屋市立図書館に行く途中の上谷川沿いに数本生えていた。504sendan_005

そんなに大きなものではなく、ガードレールの下のアスファルトと護岸のコンクリ^とのわずかな隙間から高さ2メートル余りにも伸びている。

 これも「根性物」に数えられるのか・・・。

 横への枝の張り出し方は見事なもので、庭のオオバベニガシワとは対照的だ。504sendan_004

 枝の先々には互生する柏に似た葉を広げ、先端に近い二段くらいが赤々としている。

 ただその赤い葉が下の緑の葉と比べて極端に小さいので、一見すると花のようにも見える。

 それで思い出したのが「ポインセチア」だ。クリスマスが近づくと決まって花屋の店先を彩る植物だが、あれも花と見まごうほどの見事なまでに赤い葉を、先端につける。

アカメガシワは構造的にそれとよく似ているが、ほんのりとした紅色と穏やかなグリーンのグラデーションが上品で涼しげに見える。

 近写してしげしげ眺めてみると、野に在る物もなかなかどうしてお洒落なものだ。

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根性コスモス

4,5日前は蕾だったのに、昨日、コスモスが花を開いた。430konjoukosumosu_005

去年の零れダネが芽を出したのだが、よくある事ながら、こんなに早く咲くのは初めてだ。

 タネを播くとすれば今ごろ播き、7月中旬前後から咲き始めるのが普通だ。

 3月の初旬から中旬にかけての高温と、4月も中旬まではかなり温度が高かったのが作用したのだろう。

 「秋桜」がコスモスの和名だが、これではずばり「春桜」になってしまう。異常気象もここまで来たかと怖れるほどだ。430konjoukosumosu_003

咲いたのは隣家との境界に近い二株だけかと思っていたら、何と、足元にも咲いていた。

 しかし、よく見て唖然とした。何という姿・・・・・。

 根元から2センチちょっとのところが無残にも90度折れ曲がり、10センチ弱右へ平行に伸びたあと、今度は首を垂直にもたげて伸び、その上に結構な大きさの花をつけている。

 いやあ、驚いた。しかも土壌は最悪に近い。シラスで造成した宅地だったので、乾燥した時に強風が吹くとシラス埃りがひどいので細かい砂利を敷き詰めたてあるのだが、その砂利の間から芽を出している。430konjoukosumosu_004

こんな姿勢のまま大輪の花を咲かせるなんて、見上げたものだ。

 世に「根性大根」「根性スイカ」など出現したが、この可憐さはないだろう。泣けるよな(最近、可憐な物にひどく弱くなっている・・・)。

 彼女(?)は、2センチほど伸びた頃に、車に踏んづけられたらしい(誰だ!)。それでもめげずに伸びた、横に。

そして早く咲かなくちゃ、と思ったのだろう、むんずと上体を起こそうとしたが、起こしきれないので、首だけをやっとこさ伸ばして花を咲かせた。

偉い!!「ど根性・クランク・コスモス」!!430konjoukosumosu_002

それにつけても、土壌はよく、日当たりもよく、何の不自由もなくスクスクと伸びまくった「オオバベニガシワ」の方は、ベニ(紅)を捨てて緑一色になろうとしている。

 名が体に現われておらんぞ「オオバベニガシワ」!

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オオバベニガシワ(3)

今日はオオバベニガシワを最初に写した日からちょうど一ヶ月目だ。このところ葉の成長が早く、あれよあれよと言う間に少年少女くらいな感じになってしまった。412oobabenigashiwa_001

葉に葉緑素が増えてきたのだろう、紅色がどんどん抜けていく。

 3㍍ほどもあるひょろりと伸びた天辺の方の葉のほうが大きく、数も多い。そっちのほうに緑色が目立つ。太陽に近いせいか?

 太陽といえば、午前中のテレビで、今年に入ってから百何十日か太陽の黒点が観測されない――という話題を取り上げていた。ここ何年かでは最も長い<黒点消失現象>だそうだ。

 黒点の数は周期的に変わっていて、増加のピークの年にしろ減少のピークの年にしろどちらの場合も「大きな地震の発生がある」というから不気味だ。ついこの間の月曜日にイタリアで大規模な地震があって200人以上が死んでいるが、それもカウントされるのかもしれない。

 それより、日本だったら・・・・・。東海地震、南海地震、相模湾地震などいつ起きてもおかしくない大地震が目白押しだ。いつ来てもいいように気を付けておかないといけない。つい三日前、こちらでは日向灘を震源とする震度4規模の地震があり、鹿屋でも震度は3だったが、久しぶりだったせいか、かなりの揺れを感じた。

 

 庭に出たついでに、菜園、花壇などの草刈りをビーバー(草刈機)で行い、汗を流す。気温はぐんぐん上がり、午後2時に寒暖計を見たらは24度を超えていた。412oobabenigashiwa_002

15歳の老犬ビータローも、昼ごろにはハアハアと暑そうだった。412oobabenigashiwa_003

昼飯のあと庭を覗くと、ビータローは頭を日陰に入れて爆睡中。尻が暑かろうに・・・。

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阿蘇神社「御田祭」の「うなり(宇奈利)」

図書館で借りたビデオを返す期限が明日に迫ったので、もう一度見ておくことにした。404asojinjagosinkou_001

その中で、一つ発見というか再確認したことがあった。

(写真は肥後国一の宮と言われた「阿蘇神社」)

阿蘇神社では毎年7月28日に「御田祭(おんださい)」が行われる。

 その模様を記録したビデオだが、神輿が4基も「出御(しゅつぎょ)」するのは、大社であるからいいとして、興味あるのは神輿行列の中に「うなり(宇奈利)」という女性の行列があることだ。404asojinjagosinkou_003

「うなり」は14人いて、すべて社家の関係者だそうである。詳しい紹介は無かったが、おそらく社人の妻や姉妹などの親族だと思う。404asojinjagosinkou_007

その出で立ちも興味をそそる。白装束に身を固め、顔まで白い布で覆っているうえ、古式の頭上運搬法で高膳に載せた「御櫃(おひつ)」を運んで行くのである。

 このまま「一の御仮屋」「二の御仮屋」を経て街中を、また田んぼの道を歩いて行く。なかなかの重労働だろう。

 お櫃の中には御仮屋で神々に供えられた物を入れているようだ。

 このようなしきたりは御田祭の開始当時からのものだそうで、他の祭礼ではまず見ることのできない貴重な祭礼風俗だろう。

 そのこともだが、私にとってうれしいのは運搬する女性たちが「うなり」と呼ばれていることだ。「うなり」は琉球では「おなり神」と言われる「女性(のうちでも、兄弟に対する姉妹)特有の霊力・霊感に優れた女(神)」と同じであろう。

 「う」も「お」も接頭語なので省くと、残りは「なり」である。「なり」と言えば、魏志倭人伝の中の倭人国の一つ「投馬国(つまこく)」の「官にミミ(彌彌)、副官にミミナリ(彌彌那利)がある」として登場する「国王ミミ(耳)と女王ミミナリ」の「ナリ」を想起する。

 私見では「帯方郡から南へ水行(船行)二十日」の所に「投馬国」があり、それこそは「曽の国(鹿児島・宮崎)」を指す、と考えている。

 旧阿蘇国はのちに肥後国の一部となるが、肥後国つまり今の熊本県は魏志倭人伝では「狗奴国(くなこく)」と記されるが、熊本・鹿児島・宮崎をひっくるめて古事記では「熊曽国を建日別(たけひわけ)といふ」とあり、同族であった。

 熊本の中でも古国に属する阿蘇国の大社の祭りに「う・なり」という「女性」が登場するのは、投馬国の「ミミ・ナリ(ミミのナリ=国王の妻・姉妹)」の「ナリ」と共通であり、私見の<投馬国=曽の国=熊曽国の一つ=鹿児島・宮崎>説を別の角度から裏付けてくれている。

 ちなみに阿蘇神社の祭神は「建磐竜(たけいわたつ)命」であるが、これにも熊曽国を意味する「建(たけ)」が付いているし、古事記の「神武天皇記」によれば、神武天皇の大和平定後に生まれた長子「神八井耳(かむやいみみ=ミミ)」の子孫は「意富臣(おおのおみ)、小子部連、坂合部連、火の君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連・・・・・(全部で19姓)」とあり、九州の君姓の支族を持ち、中でも「阿蘇君」は注目に値する。

 この「阿蘇君」の始祖が「建磐竜(たけいわたつ)命」であれば、神武東征とはやはり史実であり、南九州・熊曽国の中でも鹿児島・宮崎県側の「曽の国=投馬国」からのものであった、という私見を補強してくれる。

 ところでもう一つ、この「御田祭」の先導をする鉾に見えるのが、鹿児島の御田植え祭に必ず登場するサルタヒコ神、通称「鼻高どん」であるのには驚く。これも共通だ。404asojinjagosinkou_004

猿田彦神は国津神で、天孫二ニギが地上に降りてきたときに道案内をした神だが、こう各地の御田植え祭ごとに登場しては「天孫降臨の有難み」が薄れはしないかと心配になる。

 だが、こう考えたらどうだろう。

 つまり「豊葦原ナカツ国では御田植えこそが最も重要な行事であり、それは天孫降臨にも匹敵する祭事なのだ。御田植えの祭には祭神が田に降りてくる。それはまさに天孫降臨ならぬ祭神降臨であるから、サルタヒコを必要とする」と。

 この天狗のような「鼻高どん」はぎょっとするほど異様で、道案内と言うよりは「悪霊払い」の役回りと言っていいのかもしれないが・・・。

※写真は『九州民俗芸能ライブラリー・阿蘇神社の御田祭』(平成11年7月28日―発行・九州電力)を放映中に、テレビ画面より撮影。

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四国徳島の「邪馬台国説」などなど。

先々日、知人のS氏がやって来て「徳島の人で、邪馬台国はじめ魏志倭人伝に記された倭人国はすべて四国にあると言っている人がおり、その人はまた、剣山にユダヤの<契約の箱=アーク>が秘蔵されているとも言うんですが、どう思いますか?」ときた。

 「日本に失われたユダヤ10支族の一部が紀元前に渡来した――という説はよく聞くし、それがどうにも雲をつかむような話で、証拠は何一つないので、否定せざるを得ないよ。だから、無い話なのにそれを剣山に引き寄せて自論を展開した所で、所詮は<自己満足>、悪くすれば<狂信>だな。」

――それじゃ、邪馬台国四国説はどうです?

 「魏志倭人伝を正確に読み、朝鮮半島中西部の帯方郡から邪馬台国までの水行・陸行、日数、方角で表された行程記事を何一つ勝手に読み替えないでたどれば、九州島を出ることはないよ。つまり邪馬台国は九州にあったんだ。ただ、従来の九州説は<伊都国=糸島・前原市>とし、そこからは変えてはいけない方角を変えてしまった(東南陸行を東北陸行に)ために、畿内説と同じ過ちをおかし、畿内説が大手を振って<南を東に変えて、北部九州から東の畿内へ持って行っている>のを厳しくとがめられないでいるのさ。困ったもんだね。」

 その時はこんな話で、彼も引き下がったのだが、つい先日は『ムー』とかいう雑誌にあったと言って、やって来るや

――これ見てくださいよ。この前の<邪馬台国四国説>どころか<大和王朝の前身はすべて四国にあった>という説が載っているんですよ。どうなんですかねえ?

 雑誌を斜め読みすると、10ページくらいに亘って<阿波国史研究会><倭国(いのくに)研究会><古代阿波研究会>などの中心人物の話題が記されている。しばらく話を交わしたあと、その部分をコピーをさせてもらい、後日、考えをまとめてみるからと別れた。

 私が目を留めたのは、この『大和王朝阿波説と阿波風土記の謎』という論説を寄稿した著者の次の一文だった。

 ・・・邪馬台国はそれだけで古代史マニアを惹きつけ、熱狂させるテーマということだが、過激なまでの神秘的解釈と熱狂の度合いで、他の追随を許さない研究者が集まった地域といえば、阿波にとどめをさす。

 こういった熱狂的な研究者が、上に挙げた研究会を主催しているのだが、内容を読むと確かに熱狂的だ。狂熱的と言ってもよい。

 邪馬台国とユダヤのアーク渡来説については、もう済んだものとして横に置き、『大和王朝阿波説』についてだけ指摘しておきたい。

 この説を唱える岩利氏は、アマテラス(ヒルメ)を祭る神社があること、イズモという地名があること、隋書に書かれた倭国王の名(号)「阿輩鶏彌」を「阿波君」と読めること、また阿波風土記逸文に「天より降りおりたる山の、大きなるは阿波国に降り下りたるを、あめのもと山といい、その山の砕けて大和国に降り着きたるを、あめのかぐ山という」とあること――などから阿波こそは大和王朝の元の国である、としている。

 さらには、那賀川流域にあった「イズモ族」と、吉野川中下流域にあったヒルメ一族すなわち天皇族とが、吉野川上流域で出会い、もともといたニギハヤヒの一統(物部氏族)を女系に取り入れた天皇族がイズモ族をも従えることになった。その天皇こそは祟神天皇こと「ミマキ(美万城)イリヒコ」に他ならない、とする。

 つまりはイザナギからヒルメことアマテラスの誕生、イズモ族の恭順、大和王朝の誕生(祟神天皇)まで、すべて阿波国の出来事であった、と言う。いやそれどころか「天智天皇まで王朝は阿波にあった」のだから驚く。いや、驚きを通り越して呆れる。

 ここまで牽強付会が過ぎると、もう付いて行けない。

 記紀説話が記紀編纂時代の「偏向」により、「隠しておかなければならない史実」や「書き改めなければならない史実」や「誇張しなければならない史実」などが多々あり、そのことは記紀編纂の時代的要請があったからで、それを踏まえて記紀の文章を分析・検討・整理し、また考古学的資料などを参照しながら、史実を可能な限り客観視できるように読み取っていかなければならないことは、古代史・上代史(古代史以前)を研究する大前提である。

 思うに、四国は余りに記紀の記述から遠ざけられている。九州や畿内周辺の諸国、また中部地方に比べて、畿内に圧倒的に近いにもかかわらず、記載されること極めてわずかである(魏志倭人伝でも同じだ。もっとも倭人伝に関しては畿内も同じだが・・・)。

 そこのところが、四国の歴史研究者、とくに郷土史を研究する人々には何とも歯がゆいのだろう。まるで「シカト(無視)」されているような屈辱感があるのではないだろうか。そのコンプレックスが逆作用して、「熱狂的な四国阿波中心説」が唱えられるようになったのではないか。

 そこで思い出されるのが『古語拾遺』という「忌部氏の祭祀が余りに無視されるので、憤ってその思いの丈を吐露した神道論・歴史論」を展開した斎部広成(いんべのひろなり)のことだ。

 斎部広成は大同2年(807)、平城天皇二年に上記の書を著して、藤原氏(旧・中臣氏)の政治界のみならず神祇界における専横を厳しく糾弾している。もともとは天孫降臨に従ってきた五伴緒(いつとものお)の仲間(藤原氏は「天児屋根命」、忌部氏は「天太玉命」が始祖)であったが、律令制以降は藤原氏の専権の前にどんどん不遇となっていったのであった。

 同書は祭祀の面でいかに古例がないがしろにされ、自分たちが遠ざけられてきたかを「遺れることども11か条」を挙げて、綿々と訴えている。

 『古語拾遺』は神道論として、また記紀に漏れた史実を補うものとして、裨益するものが多々あるが、全体を貫くトーンは以上の様である。阿波は天太玉命の後裔「天富命」が率いて下った「天日鷲命」が国を治めたことから、「阿波忌部氏」が阿波の祭祀の中心となり、したがって斎部広成と同様に、中臣氏の後裔・藤原氏の専横がひどい大和王朝に対しては極めて批判的だった。

 『阿波風土記』なるものがもしあったとしたら、そのような反体制的な所論で貫かれていたであろうことは想像がつく。ある意味では完本の全くない『大隅風土記』『薩摩風土記』などもそういう類のものであったろう。しかし、今の世に出て来ていないものから歴史論は構築できようはずはなく、「大和王朝阿波(起源)説」は牽強付会の臆説と言うほかあるまい。

  ※以下のURLに「日本史のブラックホール・四国」と題して、上記の「何でも四国中心説」に対する詳細な評論(というか批判論)があります。参照されたし。

     http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/black.htm

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オオバベニガシワ(2)

325akamegasiwa_003_2 オオバベニガシワの葉が、二週間経ってほんのりと淡い緑色を呈してきた。

 生まれたての「赤子」から「嬰児(みどりご)」へと成長したようだ。

 今日は天気が良いが風はかなり吹く。街の中を通ると、ほとんどの桜が満開に近い。この強い風でせっかくの花びらが散ってしまわないか気がかりだ。

人間様のそんな心配をよそに、我が家の老犬ビータロー(15歳)は文字通りどこ吹く風だ。325akamegasiwa_001

ただ、最近になって、時に寝そべりながら耳から頭へと腕(?前足)でかなり激しくかきむしる動作を繰り返すようになった。

 たぶん・・・耳鳴りがするのだろう。耳が遠くなってきているのは事実だ。単車でブルブル音を言わせて帰ってきても気付かないことがある(役立たずじゃ・・・)。

 飼い主も5年ほど前から耳鳴りがし始め、最初は後頭部に何かセミでもひっ付いたのかと思い、うっかり手を当てることがあったから、飼い犬も同類(同病?)の現象に襲われているに違いない。・・・でも、食欲は旺盛だ。長生きしろよ。

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バラク・オバマと神武東征

アメリカ議会では与党の民主党、野党の共和党を問わず、政府の救援資金を受け取ってようやく息をついたAIGが、役員へ多額のボーナスを支給したことに対し、各党の議員が非常な剣幕で譴責してやまないが、どういう解決策をオバマ大統領が下すか見ものである。

 早い者勝ちのバクチ・いかさま金融が破綻して「百年に一度」と言われる経済危機が生じたわけだが、オバマ大統領はアメリカ経済の建て直しに、80年前のフーバー大統領の後継者ルーズベルトに学んで今回「グリーン・ニューディール」なるものを掲げてきた。

 国が環境に優しいクリーンエネルギー生産に大量投資をして、新規雇用を生み出し、もって国家の経済成長につなげよう――というわけだが、環境対策といえば同じアフリカに出自を持つワンガリ・マータイ女史を思い出す。

 不思議な符合だが、マータイ女史もバラク・オバマの父バラク・オバマ・シニアも同じケニアの出身だ。

 マータイさんはケニアの中央部、シニアはケニアの最西部出身の違いはあるが、アフリカのケニア出身者が、一方はノーベル平和賞(2004年度)という世界平和に資する最高の栄誉をかちえ、他方は息子ではあるがアメリカ大統領という世界の超大国の最高指導者に就任した。

 ケニアには国連環境計画という国際機関があり、環境には格別考慮を払っているからなのかもしれないが、マータイさんが緑化事業で平和賞を得た一方で、「ケニアの息子」はグリーンニューディールを標榜したのである。

 余りに出来過ぎていないか、と思うのは私だけか。

 ところで、オバマ大統領就任以後、今回で3度目のコメントを書くわけだが、アメリカにおける奴隷解放以来、140年にしてようやく黒人系の大統領が誕生したと同時に「百年に一度の経済危機」が生じたという、余りにも劇的な時代背景が重なった。われわれはまさに「百年、140年に一度」という時代の大転換に遭遇している――ということが、私をしてコメントを3度も繰り返させているゆえんだろう。

 好むと好まざるとに関わらず、われわれは大転換期にあるということを肝に銘じ、これからの地球規模の動きに注目していかなければならないのだ。

 閑話休題――つらつら思うに、このオバマ新大統領の就任はわが「神武東征」になぞらえられるのではないだろうか?

 え!何を言ってるんだ!と言い返されようが、「あの何もない素寒貧の南九州から大和へやって来て、列島の最高権力たる大和王朝など築けるわけがない。神武東征説話は南九州のクマソ・隼人という遅れた蛮族が大和王権に従わないで反抗するので、太古にさかのぼり、その昔は兄弟だったのだから、仲良くしようじゃないか――というコンセプトで創作し、書き上げたのが記紀であり、大和王朝は太古から大和にあって列島を統治していたのだ」と主張している「大和中心主義者」へのレクイエム(鎮魂歌)たり得るかもしれない。

 と言うのも、オバマ大統領の父親バラク・オバマ・シニアは先に述べたように、アフリカはケニアの出身である。しかもマータイさんと違ってケニア最西部のニャンザ州シアヤ県のニャンゴマ・コゲロ村という、いまだにテレビ放送もないような小さな農村の生まれだ。

 そのバラク・オバマ・シニアが、まあ成績は抜群だったのだろう、アメリカはハワイ州のハワイ大学へ留学した。そこで知り合ったのが白人の大学生アンであった。恋に落ちた二人は結婚し、バラク・オバマ・ジュニアすなわちオバマ大統領が生まれた。

 わずか3年で両親は離婚し、ジュニアは母方のアンの両親に育てられる。

 アンの再婚相手のインドネシア人と同居するため、ジュニアはインドネシアで5,6年を過ごすが、中学・高校生活はハワイで送り、その後はアメリカ本土に渡り、大学からロースクール大学院を出て弁護士という職業を経て、今日の大統領まで上り詰めたのである。

 アフリカの寒村に生まれた人物が、ハワイに行き、そこで知り合った現地白人と結ばれて生まれた子が、世界でもっとも文明の進んだアメリカの最高権力者になった――これはおとぎ話ではない、リアルタイムの現実の話だ。

 父のバラク・オバマ・シニアをニニギノミコトになぞらえると、ジュニアはホホデミノミコトだろう。そして母アンはカムアタツヒメになる。このあと記紀の日向神話ではウガヤフキアエズ、ワカミケヌ(のちの神武天皇)と二代続くが、いずれにしてもこのあとオバマはアメリカの最高指導者になり、南九州の日向から発った神武は大和の最高指導者になっている。

 わが日本では「何にもない素寒貧の南九州からの東征、そして大和王朝の創始などあり得ぬ」と言われる一方だが、現実の世界では「アフリカの何もない素寒貧のケニアのニャンゴマ・コゲロ村から東征した人物の子が、アメリカの最高指導者、つまりは世界の最高指導者になった」ことは認めざるを得ないではないか!

 素寒貧の南九州からの東征など有り得ない、おとぎ話だ――と主張する「大和中心主義的歴史観」に囚われた研究者は、この現実を見てどう考えるのか知りたいものだ。

 

 

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オバマは怒り心頭!

恥を知れ、呆れ果てた守銭奴め!

オバマ大統領が、もし日本語を知っていたら、こんなふうに言っただろう。

 公的資金を日本円で14兆円も注入されて破綻を救われていながら、AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)の役員たちが、日本円にして平均4000万円ものボーナス(本給とは別だ)を貰っていたことに対しての大統領声明が報道されていたが、そのときオバマ大統領はむせ返った。それをこう説明した。

「皆さん、どうも失礼。余りにも怒ったがために、むせ返ってしまいましたよ」――と。

 投資会社や保険会社の給与はもともと著しく高い。アメリカなどでは若くして、たとえば20代後半でそういう会社の役員になったとしたら、年齢に関係なく10億とかの年俸は例外ではないそうだ。

 アメリカで最も権力と権威を持つ大統領の年俸が3000万か4000万円くらいなのに、ふざけるなよ――とオバマ大統領は言いたいのか?いや、そうではないらしい。彼は

 <さしたるボーナスにも恵まれず、それでもいくばくかの税金を国に払っている勤労者のなけなしの金が含まれている公的資金を、お前たちは受け取りながら、感謝することもなくさも当然の分け前のように手にする感覚が理解できない――>

と、こう言いたいのだ。

 それに対して「自由主義経済」だから、いくら貰おうと自由だ、と役員たちが答えたとすれば、もう自由主義などやめたほうがましだ。金の分捕り合戦のあおりを受けて世の中はガタガタになる(今がまさにそうだ)。

 ところで自由主義をやめたら社会主義・共産主義になるのだろうか?

 そんなことはない。と言うのも日本では昔から何事においても自由であったためしはないが、社会主義にも共産主義にもならなかった。だいたい「自由民主党」の掲げる「自由」と「民主」など両立する筋合いのものではないのに、戦後60数年、ほぼ一党独裁でいられたのも、両立しないはずの「自由」と「民主」とをドッキングさせて来たからに他ならない。したたかと言うほかない。

 では本音として日本の主義主張は何であるかと言うと、私見では「自分自在主義」だ。「自分」とは「おのれの分限を知っていること」、「自在」とは「臨機応変、機に応じて変化してやまないこと」だから、別の言葉で言えば「おのれの立場をわきまえつつ、おのれを忘れて物事に対処するやり方」となろうか。「忘れて」を「捨てて」と置き換えてもよい。

こう書くと、よほどの修行を積んだ人間しかできない所業のように聞こえるが、実は身近な所では毎日、毎時行われている。それは何のことはない「子育て(育児)」がそれである。

 母親は幼い我が子のために毎日・毎時、自分つまり「○田○子」であることを「忘れて」、多忙極まりない「母親」に徹して育てている。といって抽象的な「母親」ではなく、やはり中身は「○田○子」であるし、余人を以っては替えがたい存在であることを十分知ってのうえで難儀な子育てをしている。

 仮に「○田○子」が高名な女優であっても、ピアニストであっても幼いわが子にとって何のことがあろうか、ということを十分承知の上で、言わばいったんはおのれを捨てて育児に孜々として励んでいるのである。

 こういう姿勢を「自分自在主義」と私は定義する。その時、その場で要求されるものを素直に受け入れ、臨機応変に身を以って対処する。そしてそれを充実感を持って受け止めていく――そういうやり方、生き方こそがこれからますます必要になってくるだろう。

 自由主義に名を借りた「自己中心主義の守銭奴たち」へのオバマ大統領の怒りは最もである。大統領声明でこういうことを堂々と糾弾する姿をまのあたりにする今日、われわれは地球規模での歴史の大きな転換点の真っ只中にいる、という感を深くする。

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オオバベニガシワ

【改定版=うろ覚えでこの木を「アカメガシワ(赤芽柏)」としてましたが、実は「オオバベニガシワ(大葉紅柏)」でした。同じ「トウダイグサ科」ではありますが、別種です。以下「オオバベニガシワ」に書き換えます=4月11日記】

 最初、手で軽く握れるくらいの苗の束だったオオバベニガシワがずいぶん増えた。今ちょうど新葉が次々に出てきつつあるが、その赤さと言ったらない。312akamegashiwa_003

よく見ると、真っ赤な葉の下につぼみらしきものが枝に、まるで昆虫の卵の塊のように付いている。

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赤いつぼみが割れて、中から粉を吹いたような黄色っぽい小さな花が顔をのぞかせている。312akamegashiwa_002

あと一ヶ月も経つと、葉もずっと大きくなって赤色が薄れて行き、淡いグリーンが主体となる。

 そのころまでは美しいと思うが、真夏になり早い台風でも来ようものなら葉がささくれ立ち、清楚なグリーンが茶色交じりの冴えない葉っぱとなってしまう。

 なんだか尾羽打ち枯らした鳥の羽のようで、「人生の悲哀」を感じてしまうほどだ。

 今年は我が家の庭に生えるこのオオバベニガシワを定点観測してみたい。

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限りなくレイムダックなイチロー

今をときめくイチローは二人いる(小沢一郎とイチロー選手)。

 後のイチローは先日のWBC戦の対中国戦では5打数ノーヒットで、あわやレイムダック化しそうになったが、次の韓国戦ではイチローらしさを取り戻して快勝した。

 いまや危ういのは、もう一人のイチロー「小沢一郎民主党代表」だ。

 公設秘書が逮捕され、今度またかっての秘書で現在は衆議院議員(民主党)となっている石川議員が、地検特捜部の事情聴取を受けたという。恩師である田中角栄元首相の轍は踏まぬと、献金についてはガラス張りにしてきたはずのイチローが、やはり身内には目が行き届かぬのか、甘いのか、西松建設からの迂回献金を12年にわたり、その総額3億円という巨額を受け取ってきたそうだ。

 時期が時期だけに「国策捜査」「検察権の濫用」という声が上がっているが、これは明らかに違法献金だろう。なにしろ長期にわたっているし、額も大きい。司直の手が入って当然だろう。

 田中角栄のころは、議員たるものたくさんの企業献金を集めることが親分たるゆえんだったが、政治資金規正法が強化されて以降、政党には「公的資金」が投入されているのだから、イチローがどう申し開きをしても言い逃れはできまい。

 イチローは「常在戦場(選挙)」がモットーの政治家で、変幻自在が似合うのだが、今度ばかりは「男を下げた」としか言いようがない。

「百年に一度の経済危機」が現在であれば、選挙などやっている暇はない。今くらい世界が「日本がどう出るか」に耳目を集めている時はないのではないか。

 思えば、かのジュンイチローが5年を務めてさっさと首相をやめてしまったときは「あれあれ、惜しいな」などと感じたものだが、もし続けていたら郵政民営化の嵐の中で「郵貯300兆円」が今度の金融クラッシュによって「紙切れ」とは言わないが、相当な損失をこうむっていたかもしれなかった。

 まずは一安心だ。この際はタローに衆智を集め、世界の注目のなか、粛々と日本流に経済危機を乗り切って行くべきだろう。そして世界が日本流を学ぶときではないだろうか。そう思われてならない。

 

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ピンポイント花粉弾?

やられた!――と言うのが精一杯。

 昨日の4時ごろ、『大隅』52号用の自分の原稿(校正)と表紙の写真の説明・寄贈図書の紹介・名簿・編集後記など、すべてが完了したので、印刷所まで持参したのだが、その帰り道、単車で走っていると、ある地点で急にくしゃみの連発が・・・。

 曇っていたし風も無かったので、まあ大丈夫だろうと油断したのがいけなかった。なにしろ印刷所までは8キロもあったのだ。当然マスクはしていたのだが、走れば隙間はできる。

 2月の14、15日のスギ花粉のピーク時も無事やり過ごし、17日、22日の田崎神社の祭礼見物でも影響のほとんど無かったのが、過信につながったのだろう。

 夕食後から、鼻水がするすると出始め、のども痛いしかすれて来た。早めに床についたが、マスクを掛けて寝る羽目になった(そうしないと眠りに入ってからの鼻づまりで口から息をするようになるため、のどや気管支が冷え込んで咳き込んでしまう)。

 やれやれ、やっぱり来たか花粉弾。

 皆さんくれぐれもご注意ください。今日は2度目のピーク。過信は禁物ですぞ。

 七時過ぎに2重にマスクをし、ビータロー(愛犬)に餌をやり、ついでに庭の野菜畑の写真を撮りに外に出ただけで、今日は「引きこもり」の一日に・・・。301yasainohana_001

 野菜の花。

 みんな同じように見えるけれど、右から白菜、水菜、ナバナ、チンゲンサイ、そして向こうにはターサイと、5種類ある。

 どれも黄色い菜の花系。水菜はセリ科と思っていたが、アブラナ科だったのか。

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森永卓郎講演会(09.2.05鹿屋市リナシティホール)

2月5日の夜、鹿屋市の中心部にあるリナシティのホールで経済評論家・森永卓郎氏の講演会があったので、聴きに行った。

 颯爽と、とはお世辞にも言いがたいテレビで見る通りの風貌で現れた森永氏は、話の枕によくテレビで共演するハマコーこと浜田幸一・元衆議院議員のことを持ち出した。

 いわく――「ハマコーさんは、よく、やくざが国会議員になったような男だ――と言われますが、やくざなんですよ、本当に。今でも自民党議員の集まりには顔を出して演説をぶっています。誰も聞いていないけれど、誰も止めることはできません。怖いですからね。」

 こう言って笑いを誘った後は、いま話題の「金融危機」の話に移る。

 いわく――「アメリカの金融がサブプライムローンの焦げ付きで危機に陥ったことは、皆さんよくご存知でしょうが、サブプライムローンが単独で証券化されて市場に出回ったとしたら誰も買いはしませんよ、危ないことは分かっていますから。でも<福袋>に入れられて他の金融商品と混ぜられて売られたんですね。」

 なるほど「福袋」か。それならみんな「お得だろう」と思って買うかもしれない。

 いわく――「格付け会社があるでしょ。皆さんあれは公的機関と思ってらっしゃるようですが、あれは純然たる民間機関なんです。その格付け機関がサブプライムローンを元とするどうしようもない証券化商品を入れたその<福袋>に、最上位のトリプルAと格付けしたんです」

 なるほど、そりゃひどい話だ。

 いわく――「要するにババ抜きのババですよ。それもうんとこさ混ぜられていたんです。だから、普通のババ抜きではプレイヤーのうちたった一人がババを引いて負けるだけなのですが、今度のは皆がババを引いてしまったと言うわけです。詐欺に引っかかったようなもんですよ」

 むむ、こうなるとハイリスク・ハイリターンという何とかファンドの遣り口が可愛く見えるよ。アメリカの仕組んだ国家的詐欺なのか?いや、アメリカ自身の投資ファンドが軒並みがたがたになっているところを見るとそうではないだろう。第一、格付け機関は「民間」だからな。

これで思い出したのが「耐震偽装問題」で槍玉に上がった日本の「建築基準お墨付け機関」だ。あれは――国が規制していると建築確認がやたらに遅くなるから、民間に任せればよい――という「民主的」発想から始まったのだったが、結局、それに便乗したマンション販売会社が耐震欠陥商品を売りまくり、問題が発覚し、自らの首をしめてしまった。

 金が金を生むのが金融の世界だが、金を動かすのも、使うのも結局は人間だ。人間が金の洪水に押し流されては元も子もなかろう。

  人が金を使う。(正常だが、分相応という限度がある)

  金が金を使う。(異常とまでは行かないが、限度がある)

  金が人を使う。(こうなると明らかに異常だ)

 最後に森永氏は江戸時代の「夜這い」を挙げてこう言う。

 いわく――「江戸時代には夜這いという風習がありました。これはある家の娘の所へ、何人かの若者が夜忍び込むわけです。そうすると子供を孕みますよね。誰の子かは分からないので、当の娘に相手を決めてもらうわけです。逆指名ですよ。女の方に夫を決める権利があったんです」

 夜這いの話はいったい何のために出したのか、よく分からない。あるいはこの講演会の副題が「男と女の共生」だったか「平等」だったか忘れたが、何かそのようなカテゴリーのことを話さないといけないと考えたのだろうか。

 まず、これについては反論をしておく。「夜這い」は決して氏の言うような「乱交」のようなものではない。

 鹿児島には「嫁盗み(嫁おっとい)」という風習があり、実は若衆宿でワイワイ、喧々諤々やっている時に「誰がどの娘を気に入っている」とか、その反対に「どこそこの娘が誰それを気に入っている」などという情報が飛び交い、ある程度めぼしを付けた上で忍び込むのだ。言わば「確信犯」なのである。しかし、もし娘の親がどうしても反対したら、仲間が娘を「盗んで(拉致して)」、相愛の若者のもとへ連れて行ってしまう、という風習である(結局、親が折れる)。

 「若衆宿」はのちの「学舎制度」につながる、村々の立派な「青年男女の教育・評議機関」だったのだ。学舎制度がイギリス発祥のボーイスカウトに多大な影響を与えたことは周知のことだが、その淵源はこの「若衆宿」にあったといっていい。

 ところで、森永氏が江戸時代に盛んになった「夜這い」が、実は男の一方的な仕組みではなく、女に(身ごもった子の男親の)選択権すらあったと述べたことで、何が言いたかったのか、を類推してみると――

 米の相場以外、すべてが「実体経済」に裏付けられていた江戸時代をもう一度考え直してみよう、これからの世界経済のモデルになるかもしれない。

――というのではなかろうか。

 サラリーが米で換算されたりして・・・・・。そこまでは無理にしても、サラリーの一部に米を当てるというのもいいかもしれない。米の評価は、即、農村の評価につながり、過疎地や限界集落の再建を促す助けにもなろう。

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日本人とユダヤ人

2月5日は面白い日だった。

 午前中で仕事が終り、午後、笠野原台地を走っているときに「照葉樹」の美しさに出会い、夕方からは「森永卓郎講演会」を聴いた。

 「森永卓郎講演会」については日を改めて書くことにするが、実はその講演会まで時間があったので古本屋に入り、適当な本を物色していたら『日本人とユダヤ人(大使が書いた、という前書きあり)』(青木偉作訳・中経出版発行・2006年8月刊)という本があったので買い求め、合間合間に読み継ぎ、今朝、読み終えたのだが、いろいろ考えさせられた。

 日本人とユダヤ人に関しては、一世を風靡した『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン=実名・山本七郎)以来、間欠泉的に世に問われるテーマで、「日猶同祖論」なる「異論」もひそかに囁かれることもあって、興味は尽きないのだが、今度の著者はすごい。

著者エリ・コーヘンという人物は現在59歳で、2006年の発刊当時は駐日イスラエル大使であり、専攻は数学・物理学だったが、ある市の副市長から国防大臣補佐になり、数企業の社長業を経て、国会議員となり、2006年当時は大使として日本に駐在した(著者履歴より)。

 多くの日本人による「ユダヤ人論」や「日猶同祖論・同文化論」が、どうも眉唾的な取り上げ方しかしていないのに比べ、こちらは本物のユダヤ人(イスラエル人でもある)が比較検証しているという点で、信頼が置けそうに思われた。

 しかも、「今度の著者はすごい」といった訳を言うと、もっと驚くだろう。

 エリ・コーヘンの「コーヘン」とは「ユダヤ教祭司」のことで、この人の家系は第二次大戦後のイスラエル建国(1947年)以後はたしかにイスラエルに住んでいるが、それ以前は地中海のアフリカ最北端の国家・チュニジアのジェルバ島というほんの小さな島(と言っても種子島くらいはありそうだが)にあった。

 ただ単純に「あった」のではなく、何とイスラエル(シオンとも言う)に築かれていたユダヤ王国の神殿がバビロニアの侵攻によって破壊され、ユダヤ人が信仰(ユダヤ教)ともども最初の離散を余儀なくされた時に、その小さな島へ移り住み、ユダヤ教に基づく生活を祭司として連綿と続けていた、という。

 バビロニア侵攻は紀元前722年のことであるから、1947年までの実に2669年を異国(異教)の地で過ごしていたことになる。今でもコーヘン家は祭司の家系であり続けているから、正確に言えば、コーヘン家は少なくとも2730年の歴史を持つ「祭司の家柄」である。

 このことと、神武東征以来の天皇家皇統が「2669年=平成21年現在)」の歴史を有することとを結びつけ、エリ・コーヘン氏は再々親近性を表明しているが、とにかくそれほどの長い歴史をユダヤ教が持っていることには驚かされる(注:天皇家の天皇としての歴史は2669年も無いことは常識であるが、ここでは指摘だけにとどめる)。

 コーヘン氏は、イスラエルと日本が遠く離れているにもかかわらず宗教上、慣習上にいろいろな共通点があることを挙げている。神社参拝のときに手水を使うこと。神道儀礼の際、酒・米・塩・水を欠かさないこと(ユダヤ教では酒=ぶどう酒・米=パン・塩・水)。神殿の造りには鉄などの金属を使わないこと(神社は白木造り・神殿は石造り)・・・など。

 しかし、氏は多くの日本人の手による「ユダヤ論」のようには、性急にあるいは興味本位的に「同祖だ」、とは言わない。

 ただ、あのバビロニア侵攻によるユダヤ王国の崩壊(紀元前722年)とそれに伴う「北部ユダヤ王国10支族」の消滅・離散後の行方について、一番日本に近いところではミャンマー国内にその一分派があったということを伝えるのみである。

 1947年のイスラエル建国(ユダヤ人によればシオンへの帰還=シオニズム)当時、約300万の人々が「われもユダヤ支族なり」として帰ってきたそうだが、その後も連綿として帰国者は続いており、今では本当にユダヤ人かどうかを認定するのが難しくなっているらしい。

ところが、その中に日本から「われはユダヤ人なり」として行った(帰還した)者はいないようである。

 もし遠い昔に「失われた10支族」の一分派が日本列島に来ていたとしたら、上で触れた「コーヘン家」のように、異郷に行ってもそのユダヤ族としての教えは厳密に、連綿と守り伝えるのが離散ユダヤ人のユダヤ人たるゆえんであるから、シオニズムがおおっぴらにできるようになった1947年のイスラエル建国の時に、待ってましたとばかり帰って行こうという人物なり家系なりがあってよさそうなものだが、現実にはいなかった。

 つまり、日本には、日本人による「ユダヤ論」でよく言われるような「失われた10支族の末裔の意図的な移住」――はなかったと考えるべきなのである。

 ではよく似た風俗・慣習はどうして存在するのか?

 それはコーヘン氏も言っているが、離散ユダヤ人は異郷(異教)の地でかたくなに離散当時の宗教と慣習を「唯一の神に選ばれた民として」、2700年もの間、連綿と伝えてきた。その一方で、日本人は四面が海に囲まれ、多民族からは隔絶された環境の下で驚くべき古代から(縄文時代からと言い換えられる)の宗教(神道という多神教、アミニズム)と慣習を、自然に伝えてきた。

 伝え方に「かたくなに」と「自然に」の違いはあるが、どちらもギリシャ・ローマ以降の近代文明に繋がる「人間中心主義」の悪弊に染まらなかった古い宗教・慣習を持ち伝えてきた――という共通性の故だろう。

 つまり、世界宗教であるキリスト教、仏教より以前の超古代の宗教・慣習は実はどこでも同じようなものだったのではないか―ーという結論に達するわけである

 ただし一つユダヤ教とは真っ向から対立する観念がある。それはユダヤ教の「モーゼの十戒」の第二戒の「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」という「唯一一神教」の根本教義である。これは日本神道の「八百万神=万神教」の教えと真反対の観念で、これあるが故にキリスト教とイスラム教との敵対・敵視のやむことがない、いわくつきの教義である。

 ただ、この本ではじめて知ったのだが、イスラム教を信仰しているアラブ人の祖先はユダヤ人の始祖アブラハムの子イサク・イシマエル兄弟の内の弟イシマエルであり、紀元前1700年前に今日のイスラエルに繋がるユダヤ王国を築いたヤコブ(イサクの子。この人の別名がイスラエルで、12支族の産みの親)の叔父に当たるそうだ。

 何のことは無い、イスラエルのユダヤ人と敵対しているイスラム教のアラブ人は、3800年ほど前は、ユダヤ人とは兄弟だったのである。

彼らは、このことを知っていてなおかつ敵対しているのだろうか?

 そうだとすれば太祖アブラハムに面目が立つまい。ここで思い出したことがある。それは記紀の天孫降臨神話で、皇祖ニニギノミコトの子供がホホデミ(海幸)とホオリ(山幸)で、二人は敵対したが結局弟のホオリが勝って皇孫を継ぐが、負けたホホデミは隼人の祖となり、以後は代々服従する、という話だ。つまり隼人は天孫降臨2代目でありながら、弟のホオリ系の皇統に一歩譲って臣従したのであった。何と奥ゆかしいことよ。

 この話をユダヤ人、アラブ人双方に言って聞かせたら、なんとか鉾を収めないだろうか。そんなこと言えば「隼人はなぜその時の敵討ちをしないのだ?」とアラブ人に言い返されてしまうだろうか。

著者エリ・コーヘン氏は「あとがき」で日本の役割をこう述べている(括弧は引用者の挿入)。

 『日本民族には古来、(ユダヤ人のように)自分たちは選民であり天孫民族である、という自覚があった(ここにもコーヘン氏はユダヤとの共通点を見ている)。そしてユダヤ人のように「他民族の光になろう」ということは言わないが、「和をもって尊しとなす」という言葉もあるように、日本人は民族間に平和のメッセージをもたらす使命をもった民族であると思う』

 まったくもって同感である。

 この際やはり「永世中立平和国家宣言」なるものを発して、世界の平和に大きく貢献することを宣言しておきたいものだ(頼むよ、タローさん)。

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オバマ大統領就任

忘れもしない中学2年生だった1963年11月23日の早朝、友達3人でハイキングへ行こうと友人宅へ迎えに行き、待っていると別の友人が来るなり、

 「まっちゃん(これが私の通称であった)、ケネディ大統領が暗殺されたんだって」

 「ええっ!」

 その友人は家を出る直前にテレビニュースを見て知ったと言う。まだ世界情勢も分からぬ少年にも、ケネディ大統領の新進気鋭の素晴しさのようなものは感じていたので、「アメリカっちゅう国は、何が起こるのやら・・・」と、一抹の不安のようなものを覚えたことだけは記憶に残っている。

 その頃のアメリカは、ベトナム戦争を抱えながら、他方ではソ連との確執(冷戦)の真っ只中にあり、英国の没落に変わって自由世界の旗手を自認していた絶頂期にあった。

 しかし国内では依然として黒人には自由を与えず、それでいてベトナム戦争の前線に黒人兵を送り続けていた。

 そんな状況の下、マーティン・ルーサー・キング牧師の「公民権運動」はいよいよ現実味を帯びてきていた。

 さもあらばあれ、翌年の1964年、ケネディの後任リンドン・ジョンソン大統領はついに黒人の「公民権」を認めた。

 ・・・・・だが、事態は変わらなかった。というより白人(特に南部の)による妨害が多発したのである。とうとう4年後の1968年4月には、指導者のキング牧師が暗殺されるという事件に発展した。

 だが、時代の潮流はとどめようがなく、公共のバス、トイレ、レストランなどなどから締め出されていた黒人たちは、次第に「自由に」利用できるようになっていった。

 第二次世界大戦、とりわけ太平洋戦争の結果、欧米各国から植民地支配を受けていたアジア・アフリカ諸国が続々と「自由」を獲得していったが、それは1960年代であった。ところが自由の本場であるアメリカ国内で黒人が真の自由を獲得したのは、1970年代半ば頃であった。なんという皮肉だろう。「自由、自由」と言っていたが、それはいったい誰の自由だったのだろうか、真相は明らかではないか。

 まだ黒人が不自由をかこっていた1961年に、バラク・フセイン・オバマはケニヤ人の父と、アメリカ人の母(白人)との間に生まれた。

 オバマ大統領がその就任演説の最後の方で

 「まだレストランに入ることを拒否されていたアフリカ移民の父のその子が、60年後の今、こうして大統領になれた。そういうアメリカの偉大さ・・・・・」120barackobama_003

オバマ氏は「そういうアメリカの偉大であり、ふところの深いことこそが、いかなる危機にもひるまぬ再生(リメイキング)をもたらす」という風に、強調したいのだろうが、私はようやく訪れた「真の人種差別撤廃」の方に重点を置いて聞いていた。

 1919年のベルサイユ講和会議で、日本の特使の副使(全権は西園寺公望)として望んだ牧野伸顕(大久保利通の次男)が提議した「人種差別撤廃動議」(賛成多数だったが、議長のアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンが、全会一致でなければ承認できぬ――と突っぱね、否決された)から、実に90年かかってようやく「自由の母国・アメリカ」で、人種によらぬ自由・平等が実現されたわけである。

 牧野伸顕も草葉の陰で大喜びしていよう。

オバマ大統領の進路には大きな試練が待ち受けていようが、どうかそれを乗り越えて進んでいってもらいたいものだ。

 それにしても、今度ファーストレディになったミシェル夫人はすごい人物だ。120barackobama_006

身長180センチというのもさりながら、プリンストン大学を出て、ハーバード大学の大学院に学んだという。

 日本でなら差し詰め「京都大学を出て、東大の大学院に学んだ才女」となる。

 あの黒人国務長官で才媛として名高いライスも、今度の長官ヒラリーも真っ青だろう。

 これに匹敵するのはもしかしたら、ハーバードを出た「雅子さま」か。皇室外交の出番が、意外にも廻ってくるかもしれない。

 

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姪の結婚式

22歳の姪が、縁あって沖縄出身の彼と結ばれた。

 二人とも東京に住んでいるが、結婚式は沖縄の、それもカトリック教会で行われた。姪も含めて、我が家は表向き仏教、内実は神道という日本では比較的ありふれた宗教事情にどっぷりと浸かっているのだが、彼の実家がカトリックなのだそうだ。111okinawa_072

父である兄は初めての花嫁の父となり、バージンロードで娘と腕を組むのが気まずそうだ。111okinawa_064

バージンロードの先に待っている婿にバトンタッチ。111okinawa_065

永遠に続けばいいと思っていただろうバージンロードも、父親にとってはあっという間。111okinawa_066

司祭によっておごそかに式が始まった。

 周りにいる4人は新郎・新婦それぞれの「証人」(契約不履行は許さぬぞ―というお目付け役)だ。111okinawa_086

新郎新婦の家族一同。

新郎の父親はフィリッピン人。船の機関長上がりで、今は車の販売の仕事をしている。111okinawa_077

晴れやかな二人を祝福する!

 式次第の中に「共同祈願」というのがあり、司祭はじめ、参会者が唱える言葉がある。

 その中でも新郎新婦の言葉がいい。

曰く「私たちが育てられた家庭、お世話になった方々に、いつも変わらない感謝の心を保つことができますように111okinawa_083

教会からのことば。

新しい門出にあったって、神がふたりの上に豊かな祝福を与え、これからの道を守ってくださいますように

 このあと近くのホテルに移り、祝宴となった。

 

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ダンベル体操

五十肩はとっくに過ぎて忘れていたが、去年右肩を再発したので、百均ストアで購入した水入れダンベルを持ってラジオ体操をすることにした(ある健康増進機関ですすめられた)。

 右肩だけと思い、やってみると左肩も油切れだったようで、チクリチクリと痛む箇所がある。どっちにしても無理しないように痛みを余り感じない範囲で、そうっとやることにしている。

 一ヶ月目のころ、そのダンベルを交差したときに互いをぶつけてしまい、水漏れがするようになった。そこで水の代わりに、正月の門松を作ったときに余った砂をいれてみた。110hinode_005

これなら水漏れの心配はない。重さも1キロ強と、水の時とほとんど変わらない。

 長続きしそうである(しなければならない)。

 折りしも遅い日の出が、肝属連山を覆う厚い雲の上にあがってきた。110hinode_006

数ヵ月後には痛みもとれ 、健康が保たれるようにとお願いしておいた。

 今日から三日間、姪の結婚式に出席するため沖縄に行く。家族四人揃っての十年ぶりくらいの旅行を兼ねて、行ってきます。

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門松をつくる

門松のいわれはともかく、大隅地方では松に加えて梅と竹を添えて「松竹梅」というめでたい組み合わせの門松を作るのが一般的だ。

 今年初めて、門松作りに挑戦してみた。たまたま出かけた国道沿いの道の駅で、きれいに切られた竹と、土台部分の割り竹のセットが売られていたのがきっかけになった(一対分で1000円也)。

 土台の割り竹の中に詰める土は、ほとんどの門松では大隅地方特有のシラスを使っているが、本来は海の砂ではないかと思い、昨日の夕方、高須海岸へ清浄な砂を採りに行った。1231kadomatu_004

折りしも、夕日が高須海水浴場の沖に浮かぶ、自称で「二見ヶ浦」の岩礁の間に落ちていくところだった。1231kadomatu_001

門松一対分で、肥料袋一杯あれば十分だが、重くなるので二袋に分けて入れる。

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そして今朝、朝一番で作り始めて1時間ほどで完成(向かって右)。

土台の割り竹には、具合良くすでに紐が編み掛けられていたので、砂を入れさえすれば適当に丸くなってくれた。こちらで竹一本一本に紐を掛けていったら、かなりの時間がかかったろう。1231kadomatu_009

向かって左。

他所のを見ると、松竹梅のほかに南天、千両、万両などを加えていたり、根元に違う花を置いていたりするが、そうなるとこの直径30センチでは足らなくなる。

 また、割り竹の代わりに藁縄で作った菰(こも)を巻くのが本格的らしいが、まあ、これくらいが我が家らしかろう。1231kadomatu_007

殺風景な入り口がそれなりにちょっと改まったか・・・。

 宅急便のドライバーに告ぐ――タイヤで踏み潰さないようにしてくれよ。

 それでは、皆さん、佳い年をお迎えください。

 

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誰が首相になっても・・・

麻生総理の支持率がついに16パーセント台になり、20パーセントのレッドゾーンを超え、政権の末期症状を呈している――という論調がマスコミをにぎわせているが、アメリカのサブプライムローンの焦げ付きに端を発し、連動してバクチ金融が見事に当てを外れた(外された)ために起こったクラッシュで不況に入ったわけで、こんな時、日本の首相の首がすげ替えられても何の役にも立つまい。

 確かにトヨタの利益の落ち込みはすさまじいの一言に尽きるが、年明け以来、ガソリンがえらく値上がりした時、金融経済に異変が起きているとは認識できなかったのだろうか。夏になると「ガソリンは十分供給されている」とのOPECの度々の声明があったにもかかわらず天井知らずの値上がりが生じたが、少なくともあの時点で気付き、早く手を打つべきだった。

 別の側面から見ると企業利益を侵食する円高は確かに輸出には不利だが、仕入れには有利だし「円が強い」ことの証でもある。また日本はかってのバブル期に、バクチ金融(ハゲタカファンド)の餌食になった苦い経験に耐えて今があり、今回の世界同時不況においては最小限の傷で済みそうである(もちろん相対的にの話だが)。

 世界でも、もっとも早くに「物づくり」の効率化をすすめたあのアメリカの巨大自動車産業も、怒涛のハゲタカの前に風前の灯になってしまったが、「京都議定書」を未だに批准しようとせず、相変わらずガソリン無駄食いの高級車ばかり造ってきたとうとうそのツケが回ってきたのだと皮肉りたくもなる。

 オバマ次期大統領の采配が待たれるところだが、ツケは大きく、荷は重くなりそうだ。

 何でもあけすけに言う日本のタローがイニシアチブをどう執るかも見ものだ。外交はイチローでは役不足だろうから、この際、たとえ支持率が3パーセントになっても来年の任期までやってもらいたいと思う。

 もう一つ続投を願う理由は、消費税上げをはっきり「2011年度には行う」と明言していることだ。今のまま高齢化・高医療化が進めば5パーセントではとてもやっていけないことは分かっていながら、小泉・安部・福田の各総理は言い出せないでいた。その課題をズバリと明言する勇気は見上げたものだ。自身の支持率なんかより「国策」に重きを置いている証拠と言ってよい。

 祖父の吉田茂のような、あの外国人に対しても臆せずものを言う気風を身に付け、内を固めつつ、世界金融危機に立ち向かうことを期待したい。

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ぶっこわす人

今朝の何とかというテレビで、福田内閣で特命(制度改革担当)大臣を務めていた渡辺喜美代議士が、麻生総理にはもうついていけない――というようなことを言っていた。多くの自民党代議士が同じような不満を口にしているらしい。

 その理由は「考えに筋がない」「何をやろうとしているのか分からない」「選挙には勝てない」というもののようだ。

 もっともその前の福田康夫首相も同じようだった。洞爺湖サミットだけが成果といえば成果ぐらいで、国策として目新しいものは何もなかった。

 その前の安倍首相にはまだしも「美しい日本を取り戻す」というキャッチフレーズがあった。あの変人・小泉純一郎首相の後継として、まずまずの滑り出しだったが、農林水産大臣の自殺問題が結局尾を引いた形になり、突然辞任してしまったのは記憶に新しい。

 やっと回ってきた総理の座。麻生太郎という人にとっては母方の祖父・吉田茂を強く意識せざるを得まい。終戦後の混乱期に今日の自民党体制(55年体制)の根幹を造った人物で、よくも悪しくも言われ続けている人だ。

 福田康夫前総理と総裁選を戦ったときは、国民人気の太郎より康夫のほうが現役議員票では圧倒的に多かったが、それだけ「反太郎」が根強いことを如実に示した。つまり議員の間では、祖父の威光が余りに大きい太郎への嫉妬のような感情が強かったのだろう。

 太郎はまた、祖父の吉田茂の妻(祖母)が牧野伸顕の娘であり、牧野は大久保利通の実の息子(次男)であるから、4代前が大久保利通ということになり、母系ではあるが明治維新の元勲と、戦後体制の功労者の両方の血を持つ我が国政界の真のサラブレッドと言ってよい。

 このサラブレッドは「沈黙しない」のがモットーのようである。物言えば唇寒し、とは以心伝心の時代の話で、今日はやはり物申さねば分からない時代だ。特に外国との交渉では「腹をくくって話してなんぼ」なのだから、金を出し口も出すべきだろう。

 今回の金融危機は明らかにアメリカの失政だ。そのことはちゃんと指摘すべきで、あいまいさは許されない。フランスのサルコジ大統領などは、もうアメリカの金融体制から離れ、新たな枠組みが必要と公言している。おそらく日本が何を言っても彼は「日本なんかアメリカの言うがままで、そんな国の話を聞く必要はない」くらいに思っているはずだ。

 昔は「アメリカ(経済)が風邪を引くと、日本(経済)は肺炎になる」と言われたものだが、今やそんな主従関係は過去のものになった。そのことを今回の金融危機は教えてくれた。

日本もいい加減、アメリカに追従するのはやめることだ。ブッシュからオバマに変わるとその点、かなり可能性は出てこよう。一番大事なのは、日本がこれからどのような立場で世界全体の平和に対処していくか、その理念を高らかに謳うことではないだろうか。

 太郎にそのことを期待しているのだが、もう無理だろうか。

 「自民党をぶっこわす」と言って、結局ぶっこわさなかった小泉純一郎元首相だったが(息子はやはり自民党で出馬するのだろうか。悪い冗談でなければいいが・・・)、太郎は実のところ本当は「ぶっこわし」に掛かっているのかもしれない。

 その上で、アメリカとの戦後関係を清算し、新たな国際関係を築いてほしいものだ。私見では「永世中立国」になるのが一番いい。ただしスイスのように国連とは距離を置く、というのはどうかと思うが、といって国連にすべてを預ける必要はない。 

 ゆめゆめ安保理の常任理事国などになろうと思ってはならない。なにしろ国連安保理は旧戦勝国でがっちり固めてあるのだから・・・。

 

 

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奇なるかな(パートⅡ)

庭の東北の隅、犬走りの角にナント「黄色い菊」が一輪咲いていた。121kikutoshimo_003

「日の出菊」の分化らしいクリーム色とは違い、こちらは正真正銘の黄色だ。

 近くには五年前に初めて植えた、我が家庭(やにわ)での菊の原種「藤色の菊」があるばかりなのだが・・・。121kikutoshimo_005

藤色の菊は2年越しだから丈が高くなっているが、このこぼれ種なのか?それにしては色が違いすぎる。

 写真の右手は家の裏で、すぐにそこにプロパンガスのボンベが設置されている。近々来るであろうボンベ交換の際に、踏んづけられてはかわいそう、と、移植することにした。

 ところが、掘ってみると・・・・・ 1204kiironokiku_002

少なくとも一度は、すでに踏んづけられていた。根に近い生え際にくしゃくしゃと小さく葉の塊があり、それと主幹の株との間はひん曲がっている。

 それより驚いたのが、土の中の石だ。あたかも根が石を抱きかかえるように伸びている。よくまあ、こんな場所を選んで芽生えたものだ。

「根性・石抱き・犬走り角・黄色菊」と名付けることにした。

 こんな危うい育ちなので自ら「イエローカード」を切ったのか、菊に聞いてみたい。1204kiironokiku_003

――ともあれ安住の地として、例の「日の出菊」の「奇なる分化仲間たち」のすぐ後ろに植え替えておく。

 来年はこの一本から挿し芽を取って殖やしてみよう。

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初霜(2008年)

12月に入ったと思ったら、早速の初霜だ。去年は12月6日だったから、5日早くやって来た。121kikutoshimo_001

昨日定植したばかりの「クリサンセマム(菊)」の苗が寒そうだ。121kikutoshimo_002

一昨日は夏の名残りのカンナを球根ごと掘り返して片隅に積んでおいたのだが、その上にも霜が降りている。

 隣には残しておいたカンナがまだ青々と元気にしている。枯れる気配はない。暖冬なんだか、カンナが強すぎるのか、訳が分からない・・・。

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肝属山地と御来光

一昨日から今日にかけて、かなりの西風が吹く。「木枯らし」には違いないのだが、まだ紅葉も黄葉も途中なので、木々の葉がかさこそと音を立てて落ちるまでには行かない。

 でも空模様は正直だ。木枯らしの吹く頃、きまって「御来光」を見せてくれる。1129furuechoukaiwai_002

肝属山地の屏風の向こうに太陽が昇る直前に見せる朝焼けと御来光。

 肝属山地は右端のピーク「甫余志岳(ほよしだけ=969m)」を最高峰とする、高さの割には結構ふところの深い山地だ。水は清く、滝も多い。なにしろ全山これ花崗岩だから、水がやわらかでくせがないのが特徴である。

 そんな肝属山地の山懐に根を張った豪族が「肝付氏」で、伴姓というからかの政治家であり歌人でもあった大伴家持と同族だ。いや彼は同族どころか祖先のひとりでもある。

 この「きもつき」の語に漢字を当てた最も古い例は、『続日本紀』文武天皇4年(700)6月条に登場する「肝衝難波(きもつき・なにわ)」という人物名だ。地名としての「きもつき」は13年後の元明天皇時代・和銅6(713)年4月に日向国の4郡を分割して「大隅国」を創設した時のその4郡(肝坏・曽於・大隅・姶羅)の「肝坏」として現れる。

 地名より人名のほうが先だということは、後の「肝付氏」が入部する以前、すでに古族「肝衝氏」がいたからに他ならず、では古族「肝衝氏」の「きもつき」とはどうしてそう名付けられたかに興味が至る。

 私見ではそれは「鴨着き(かもつき)」からで、これを「かもどく(島)」と詠んだのが皇孫二代目のホホデミノミコト(山幸彦)だった。

 「鴨(かも)」は「鹿児(かこ=舵子)」と同義であり、大隅国分立以前の古日向からは、鴨の属性(冬鳥で半島から沿海州までを往来する)になぞらえられる「鹿児(かこ=航海民)」が輩出した所であるがゆえに後世「鹿児島」と呼ばれるようになった。

 したがって「きもつき(鴨着き)」も「鹿児島」も歴史的に見れば、ほとんど同義語といってよいことになる。

律令制制定後、大隅半島で最初に認識された人物「肝衝難波(きもつき・なにわ)」は薩摩半島の頴娃郡の豪族らと共に「肥人を従えて覓国使(ベッコクシ・くにまぎのつかい)刑部真木らに乱暴した」というから、大隅きっての豪族で、薩摩半島などへの海上交通をも支配していたようである。

 やはりそこには「鹿児(航海民)」の姿がちらつく。

 その一方で伴姓の後の「肝付氏」自身には「航海民性」はない。

 肝衝難波一党のその後の状況は皆目分からないが、2~30年後に登場する「加志君・和多利(かしのきみ・わたり)」や「佐須岐君・ヤマトククメ」などの豪族に取って代わられたのだろうか?

 しかし前者の「加志君・ワタリ」などはいかにも「航海民」を連想させる名だ。後者にしても「佐須岐」とあるからには「佐須」の「岐」つまり「佐須」の「港」を支配する、これまた「海人」の類なのかもしれない。とすれば主は代わったが海人としての属性を持つことは変わらなかったことになり、大隅半島の風俗がいかに海洋性に富んでいたかの証拠となる。

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奇なるかな

現れてしまった。

何が・・・って、新種ですな。1122kikunokyouen_002

真ん中の小ぶりな菊。クリーム色をしている。この色は左下に見える自称「日の出菊」を親として分化したらしく、茎をたどると地中の地下根から分化したようだ。

 写真でははっきり分からないが、色はちょうど「日の出菊」の外輪の色である。1122kikunokyouen_003

親子の饗宴(競演?)のようで、面白い。

 下が親、右側は最初に生まれた(ように見えた)ピンク菊。左上が今度現れたクリーム菊。十数株ある「日の出菊」の一株だけがこんな分化現象を演じてくれた。

 目出度い(芽出度い・愛でたい)のか、奇なのか(気なのか・機なのか)はよく分からない。

奇と言えば、この人・・・・・九州生まれの本格派首相タローを想起する。

その祖父(母方)はもっと奇なるあの吉田茂だ。

「定額給付金」などという「あめ玉」を、堂々と掲げるとは、おいおいナニ考えているのだ、そんなはした金をばら撒くより、フリーターとかニート対策にドンとぶちまけてくれ。

高速道路の休日利用は「一律1000円」――もガソリンのばら撒きで環境に悪かろう。そんな金があったら、もっと環境問題に資する対策にドンと使ってくれ。日本が最も世界にアピールできる分野のはずだ。

国際金融危機に対処すべく「10兆円を出す容易がある」とは、大見得を切ったものだ。本当に大丈夫か?やはり日本は金だけか――と言われないように、この際、お得意の「タロー節」を唸りまくって「さすがあの戦後の外交通の名首相・吉田の孫だ」と国際社会で評価される働きをしてもらいたいものだ。

田中真紀子の言う「軍人・凡人・変人」に加えて「奇人」首相の誕生なら面白い(軍人「梶山静六」は首相にはなれなかったが)・・・・・。

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歴史認識――とくに太平洋戦争の――

田母神航空自衛隊幕僚長が「定年退職」扱いになって結局はやめさせられたことについて、やれ退職金を返納せよ、とか、なぜ依願退職にしなかったのか――と例によってマスコミはかまびすしいが、かっての守屋外務事務次官とは次元が違うだろう。

 守屋氏は明らかに業者との癒着があり賄賂を貰っていたので、これは堂々たる刑事事件による強制退職で、退職金も法的に支払われなかった事案であった。

 田母神氏の場合は刑事罰など何もない。ないのに依願退職させられたり、退職金を返還させられたりしたら、北朝鮮のような思想統一の独裁国家と何ら変わりはなくなろう。

 それでは、氏のどこが悪かったかというと、「政府の歴史認識と違っているのが<国家公務員として誤りである>」ということに尽きるようだ。

 だが、そもそも政府の歴史認識とは何か。あの太平洋戦争に関しては「ポツダム宣言」を受諾し、サンフランシスコ平和条約を締結し、極東軍事裁判および各国におけるA級・B級・C級戦犯の訴追と実刑判決を受けたことで法的には済んでいるのに、中国に行っては向こうの言い分に「ご無理ごもっとも」、韓国に対しても「すみません、すみません」と低姿勢はいいが、相手の言い分にただ平身低頭しているばかりだ。

 政府の歴史認識については、外務省のホームページの一部に特集的にQ&A形式で書かれているので、それを参照してみたい。

 1995年の戦後五十年「村山総理大臣談話」と、2005年の戦後六十年「小泉総理大臣談話」が平行して載せられてある。

 小泉総理の談話は、村山総理の談話を下敷きにしていることは明らかで、問題は村山談話だ。おそらくこれが日本国家の行政府の太平洋戦争に関する歴史認識なのだろう。読んでみると、太平洋戦争は「過去の一時期に誤った国策で、国民を塗炭の苦しみに投げ入れ、侵略と植民地政策で中国、韓国はじめ近隣諸国に多大の損害を与えた」戦争であるとしている。

 なるほど「侵略」と「植民地」が出てくる。日本の植民地に関しては、確かに「朝鮮」と、それに準ずるものとして「満州」があげられるが、満州も朝鮮も、当時ほうっておけばロシアの植民地になっていたことは明らかで、ために日本の朝鮮併合を当時の欧米の国際社会は許したのであった。その背景に、欧米のアジア・アフリカにおける植民地争奪が当たり前、という時代状況があったことを忘れてはなるまい。

 また、満州については朝鮮と同じ「併合」なら当時の通常の植民地政策であり、共産ロシアへの堅固な防波堤としての評価を得たのであろうが、「五族協和をコンセプトとした独立国家=満州帝国」などそれまでの侵略的欧米植民地主義には無い概念だったので、おどろいた欧米(特に英国)の反感を買った。それがリットン調査団派遣による「ノー」という裁定に表れたのである。

 要するに日本は、欧米の植民地争奪という世界分割(分捕り)合戦の真っ只中に割って入った唯一の非欧米(非白人)国家だったのであり、相も変わらぬ白人優位の「人種差別主義」の根幹を揺すぶったがために、目の敵にされた――これが太平洋戦争の真因である。

 これが「歴史認識」というものである。

 英国の歴史・文明学者A・トインビーは、文明間の「挑戦と応戦」を説いているが、それに従えば、太平洋戦争はまさに西洋植民地侵略・奴隷化文明に対する東洋的日本文明の応戦だったと言えるだろう。この観点をゆめゆめ忘れてはなるまい。

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また菊の新品種!

ワケが分からないとは、この頃の庭の菊だ。おととい辺り、つぼみが膨らんだとき、なんか違うなァと感じていたのだが、開いてみると明らかに違う。これまでにない色合いで、上品な淡いピンクが現れた。1112kikunoshinshu_002

おととし現れた自称「日の出菊」の株から20本ばかりの挿し芽を採取し、根を出した15,6本を、今年の6月ごろ、庭の一角に並べて植えたのだったが、その中の一本がこうなった。

 色自体は今年の他の新株にも出てきているが、そっちは花の形がごく普通の野路菊のタイプだが、これは違う。ラッパ型に咲いている。

 このラッパ型は「日の出菊」の遺伝そのものだ。1112kikunoshinshu_001

手前がラッパ型「日の出菊」。奥が新種のラッパ型「淡いピンク菊」。

 今年はこれでもう新種の打ち止めかと思う。原種を入れると通算で6種類にもなった。

来年がマジ 楽しみだ・・・。

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五族協和な菊たち!

日がぐっと短くなり、朝の最低気温が10度を下回ろうかという頃から、庭の菊が咲き始めた。あちこちに植えたり、自然に種が飛んだりしてここ五年でずいぶん増えたが、面白いことに、元は薄い赤紫色だった数株が、今は自然交配と先祖帰りによって五色に変化している。1106kikunogohenge_001

左下が最初の薄い赤紫系(日が射しているため藤色に見える)の株。

 その上が濃い赤紫系、右下はピンクがかった薄い藤色系、その上がおそらく先祖帰りと思われるサツマ野路菊系の白色。

 真ん中の毛色の違ったのが、自称「日の出菊」。遺伝的には「キメラ型」と言うのだろうか、真ん中が濃い赤紫で、周りはやや赤味がかったクリーム色の色分けが鮮やかだ。1106kikunogohenge_005

最初に「分化」して先祖帰りしたと思われる真っ白な野路菊がこれ。

フェンス沿いの土壌条件の良くない所に優勢だ。1106kikunogohenge_009

その次に現れたのが、濃い赤紫系で、日当たりには左右されず、肥沃な場所に咲き出した。

 写真では野路菊系の叢生の中に、一株だけ顔を出している。1106kikunogohenge_004

一昨年、2,3株現れたのがこれ。今年はそれから挿し芽を採って、10数株に増やした。

まだ満開にはなっていないが、直径が6~7センチにもなる大輪系だ。

 自称で「日の出菊」。1106kikunogohenge_003

今年のニューフェイス「ピンク系の藤色」菊。

玄関前の余り肥沃とはいえない場所に現れた。結構な大輪だ。1106kikunogohenge_006

以上の4色の菊たちの元がこれ。

 小菊の種類で、一株が勝手に(剪定もせずに)丸い形になってくれるのが、有り難かったが、やはり三年目くらいからは、夏の頃に強く剪定しておかなければいけないようだ。

 (写真のはその三年株で、かなりばらけて来ている。)

 最後に紹介した「原種」が、いつの間にか五年経って、五つの色合いの菊に分化し、あるいは融合して増えてきた。

 歴史好きだからこれを「五族協和」の姿に譬える。歌なら「どの花もいい」か。

 折りしも、次期アメリカ大統領に初の黒人バラク・オバマが選ばれた。黒人と言っても母親が白人だからハーフで、それだったら分化ではなく「融合」だ。

 アメリカは褐色系モンゴロイドのインディアンを蹴散らして白人が国を開き、黒人を奴隷として働かせて食料大国となり、その後多くの人種が移住して工業、文化、文明を築き、ここ半世紀余り、世界をリードしてきた。しかし今や浪費文化(日常的にも、軍事的にも)と言われる文明の成れの果ての様相を呈してきている。

 「変革」――が確かに必要だ。その旗手が白人ではなく黒人とのハーフというところに、今度の人選の深い意味があるように思われてならない。

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日本の侵略度

憲法以下の法律を持ち、為政者が民意を反映し、軍事力の行使も民意による制限(シビリアン・コントロール)の下に置かれている国家を近代(市民)国家と呼ぶならば、第二次世界大戦以前の東洋おいては、日本以外に近代国家は無かった。

 と言うと、韓国人は「1910年に日本が合併という非道な侵略体制化に置いたから、朝鮮半島に近代国家ができなかったのだ」と非を鳴らすに違いない。

 しかし問題はそれ以前にあった。日本が欧米列強の進出を受けて世界情勢に目覚め、国内では攘夷派、開国派に分かれて争い、討幕運動の流れの中で多くの志士たちが苦悩し、時に血を流し合ってようやく国論を「王政復古」「文明開化」「四民平等」に纏め上げていたころ、朝鮮半島では李王朝の「尊王攘夷」のみで、いたずらに旧体制にしがみついていた。

 李王朝の両班(リャンバン)と呼ばれる「文官・武官」の貴族的官僚制は、王朝の蔭に自らの権益維持のみを願っており、西洋の進出に背を向けたまま、新しい世の創造を怠っていた。それでも一部の「志士」は、日本が李王朝の宗主国である清王朝を海戦で打破した頃(日清戦争)から、ようやく目覚め始め、日本をモデルに「維新」を遂行しようとしたが、結局のところ、「志士」たちは日本に亡命したり殺されたりで、ついに朝鮮人自らの手による「維新」は頓挫してしまった。

 だが、民衆の間に起こった「東学党」が叛乱を起こすに及んで、李王朝も体制の刷新を図らざるを得なくなり、王朝内部に軋みが出た時、あろうことか内院君派はロシアと手を結ぼうとしたのであった。満州瀋陽まで南下して来ていたロシアが、もし朝鮮半島をも掌中に入れれば、日本との衝突は時間の問題であったのだ。これを心配したのが英国で、ために日英同盟協約が結ばれることになった(1902年1月)。

 一方、その八年前の日清戦争に敗れた清王朝は弱体化の一途をたどり、「義和団」という排外主義団体が屋台骨を揺さぶっていた中国大陸では、欧米列強、中でもロシアが進出し、義和団鎮圧後も協定を無視して北京に軍隊を置いたままであった。

 2年後に日本はついにそのロシアとの戦いに臨んだ。世界中の誰しも強国ロシアの前に、小国日本が勝てるとは思わなかったのだが、何と、案に相違して日本は勝利を収めたのであった。米国の仲介で結ばれたポーツマス条約こそ、日本が欧米列強に伍して名実共に「近代国家」の仲間入りをした記念すべき条約であったと言える。

 結果として、先の日清戦争は清王朝の没落を早め、後の日露戦争はロマノフ王朝の落日を誘った。したがって日本は好むと好まざるとにかかわらず、現中国政府、現ロシア政府の出現と確立の手助けをしたことになる(恩義を感じろとは言わないが・・・)。

 強大(に見えた)清に勝ち、もっと強大だったロシアにも勝ったことで、日本がやや傲慢になったのは事実だろう。しかし世界の植民地獲得競争のリーダーたる欧米の牙城の中に、東洋の小国が割り込んだのも事実であった。

 以後、東アジアにおいては欧米列強の思惑通りには行かなくなった。そのことが列強の危機感をあおり、折りしも勃発した第一次世界大戦がドイツの降服で終結し、その時に開かれたパリ講和会議の席上で、日本の全権次席大使として臨んでいた牧野伸顕(大l久保利通の次男で、牧野家へ養子に入った)が「人種差別の撤廃」を動議し採決にかけたところ、何と、賛成多数という結果になった。

 驚いたのが議長をしていたアメリカの大統領ウィルソンであった。彼は、他の議題については多数決で衆議を決しながら、この結果についてだけは「満場一致でなければならぬ」と、せっかくの表決を無視した上、早々とアメリカに帰ってしまったのである。何という傲慢であろうか!

 かくて、人種問題をめぐり、日米は抜き差しならぬ確執の状態に入っていったのである。<黄禍論>(黄色人種が災いをもたらすという偏見思想)が盛んに唱えられたのも、この頃からである。アメリカは、はっきりと日本を仮想敵国とみなし始めたのであった。

 その結果としての日米開戦であったことを忘れてはなるまい。

 戦争の勝敗はアメリカに微笑み、日本は惨敗を喫したが、その結果、世界中で<植民地解放><民族の自立>の大きなうねりが高まり、多くの植民地が解放されたのである。

 日本も台湾・朝鮮・満州を植民地にしていたのだ、そんなことが言えるものか――多くの戦後知識人およびマスコミの論調はこうであった。

 勿論、台湾・朝鮮――それと一応独立国家ではあったが満州帝国も――たしかに紛れもなく日本の「植民地」であった。だが、欧米の経営する植民地とはまったく違っていた。もっとも大きな違いは教育制度であったろう。

 なにしろ台湾にも朝鮮にも「帝大」と「師範学校」が設立され、台湾および朝鮮が自立的に成り立っていく基礎造りに、日本が明治以降そうしたような同じ教育政策が採用されたのであった。他方、欧米列強の植民地政策では、現地民の首長クラスの子弟のみを自国の高等教育機関に入学させ、いわば「洗脳」したあと母国に帰らせ、欧米植民地政策の代理人にさせるというシステムを採ったのである。

 日本が侵略と搾取を目的として、台湾や朝鮮に進出したとしたら、現地に自国と同じような教育制度を設立するというそんな金のかかる、暇もかかる制度を扶植する必要はサラサラなかったであろう。

 今度更迭された防衛省航空幕僚長・田母神氏の論文は、そのような点を強調した客観的な論文であると思う。

 今日の夕方のニュースでも取り上げられていたが、更迭の理由として航空自衛隊に対する信頼を失墜させたから」が挙げられていたが、歴史認識としては全くまともな議論がそう言われるのは腑に落ちない。

 それを言うなら「航空自衛隊に対するマスコミへの信頼を失墜させた」に過ぎず、多くの良識ある国民はそんなことは感じていないはずだ。

 マスコミと戦後知識人の「勝てば官軍(アメリカの同盟国)、負ければ賊軍(日本)」史観はもういい加減に脱却するときだろう。

 

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金融危機とノーベル賞

アメリカ発の金融クラッシュがついに世界を席捲しはじめた。G7からG20まで拡大会議が開かれ、ブッシュは「何とかする、何とかする」と大童だ。

 自由主義的資本主義(市場原理最優先主義)を採用していたはずの本家本元のアメリカが、経営破たんした金融機関はその市場原理に基づくなら「勝手に潰れてくれ」と言うべきはずが、巨額の公的資金(国の金=税金)で救済するという事態にまで陥ったのだから、時代は変わったと言うのが正しいのか、市場原理が間違っていたと言うのが正しいのか、素人にはよく分からない。

 ただ、それほど金融証券市場が超巨大化していた、つまり金の流れが巨大化しすぎていたために、いったん誤って金の流れの川が氾濫したり、逆に枯渇したりするととんでもない事態に陥るということはよく分かった。自然の河川ダムは、今日、環境がらみで受け容れられないようだが、金の流れの川にはやはり適切なダム(タイムリーな規制)は必要だろう。

 だいたいこういった金融機関の社員の賃金は高すぎると聞く。アメリカなどでは経営者(いわゆる社長)となると平均的に高い平社員のさらに150倍とかの給与を得ているそうだ。破産した場合、こんな人たちはどうするのだろう。給与を返還した上でさらに損害金まで取られるのだろうか、知りたいものだ。

 日本でも保険・金融分野は給料が高い、ということで理科系の大卒者までが畑違いの業界に就職するケースが多いらしい。これが「理工系離れ」の大きな要因のようだが、今年から流れが変わるだろう。ノーベル賞受賞者が4人も出たのだから。

 物理学賞に3人、化学賞に1人だが、いずれも大学教授で、対象となった業績は30年から40年も前に発見したものばかりだ。ノーベル賞の対象者は欧米人が圧倒的に多いが、非欧米人のすぐれた業績は後回しにされているのではないか、などという邪推もできる。

 それより不可解なのは、経済学賞だ。理工系のノーベル賞には珍しく文科系だが、数学を駆使するような経済論が隆盛になったので設けられたのだろうか、これはアメリカの受賞者が他を圧して多い。ほいとんど一人勝ちと言ってもよい。

 そのノーベル経済学賞最多国アメリカが、今、経済危機に陥っているとは何とも皮肉な話ではないか。「経済が間違っているのではない。政治が間違っている」のだろうか?

 経済に関しては東洋の方が断然すぐれている。「経世済民」という考えを持っているからだ。ノーベル経済学賞をやめて、「ノーベル経世済民賞」を創設してはくれまいか

 

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バクチ金融の破綻

 経済や金融など全くの素人だが、その素人目で見てもアメリカの金融危機は行くべきところへ行ったとしか思えない。

 サブプライムローンと言うのも分かりにくいが、要するにこれまでだったらローンを組めない所得層や借金を抱えている人たちに「貸してやるから家を建てなさい」と言って、ローン契約をさせたが、担保である住宅(土地も?)の値上がりがしなかったために担保価値が下がって、ついに破産(抵当流れ)してしまった、ということか。

 こんなのは国が政策的にやるはずのものだが(日本ではそうだろうと思う)、そこは「自由主義経済の総本山アメリカ」のことだから、規制なしに何でもかんでも業界にやらせた。

かれら金融投資業者にしてみれば、サブだろうが何だろうが要するにローンを組むことで金が流れ込んでくればしめたもので、あとは巨大な資金をどう回して利ざやを稼ぐか、で、売り抜けたあとはどうなろうと構わない。ヘッジファンド(マネーゲーム)の通ったあとは草も生えなくなる。

 といって金を借りて家を建てた一般的アメリカ人の考え方もいまいち分からない。「住宅が値上がりしたら、売り払ってローンを返し?、その差額が儲けになる」というのだそうだが、そもそも一度住んだ住宅が値上がりするものなのか、住めば即中古住宅になり、普通は値下がりするはずではないか。土地の値上がり――というのであれば日本人としては理解できないこともないが・・・。

 いずれにしてもアメリカの経済はいびつすぎる。

 日本はアメリカに輸出するばかりで、製品を買わない(原材料なら小麦・大豆・とうもろこしと相当買っている。武器・兵器も)と言われるが、そもそもアメリカが製造業に力を入れず、安い製品を世界中から買いまくって済ませているからだ。巨大なコストの割には利益率の低い製造業より、手っ取り早く稼げる金融に走ってしまっているからだ。

 その貿易赤字は相当なものなのに、金融と多国籍企業の存在がなんとか均衡を保たせているのが実情で、それというのもアメリカが決済通貨のドルを握り、これに基づいた「アメリカ国債」をどんどん発行して相手国に買わせることが可能だからだろう。こんなことがいつまで続くものやら、ヨーロッパ諸国ではもう見放し始めているとも聞く。

 おもえば、アメリカで強いのは生産では農業、経済では金融だ。しかし今回の金融危機は一つの壁が崩れたことを示している。農業も温暖化の影響によっては崩れる可能性がある。

 そうなると残るのは「自由主義総本山アメリカ」という信仰にも似た主義主張と、それを世界に流布するという使命感と軍事力そしてそれに関連した産業しかない。クワバラ、クワバラ、こんなアメリカのやり方に付いて行くなよタローさん。

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麻生太郎総理誕生

 戦後の九州出身では3人目の内閣総理大臣が誕生した。吉田茂の孫・麻生財閥の御曹司、ご存知麻生太郎だ。

 毛並みの良さの割には「舌禍」が多く、自民党本流からは支持されにくかったタローが、去年の安部政権投げ出しと全くよく似た福田政権の退陣によって、ようやくお鉢が回ってきた。

 小泉・薩摩―安部・長州―福田・上州―麻生・?という流れだが、麻生氏は祖父・吉田茂から言えば土佐なのだが、気性的には玄界灘の荒波だろうから、やはり小倉藩、つまり筑前か。

 九州出身で先に総理になったのは本籍が熊本の細川護熙と大分の村山富市の二人だったが、どちらも本人のやる気よりも、わけの分からない危ういバランスの中で就任したので、ほとんど印象に残っていない。

 今度のタローは福田首相が投げ出したという僥倖で総理の座が転がり込んだと言うより、満を持して登場したという感が強い。本人の口から新閣僚を発表するという異例の意気込みで記者会見に臨んでいたが、大臣の紹介と総理としての期待感を述べる口ぶりは、立て板に水そのものだった。

 九州発初の「本格政権」に成るや否や、去就が問われよう。

 もっとも衆議院の解散総選挙がすぐそこに控えており、本格的なことをやる前にあの老練かつ粘り腰のイチローこと小沢一郎にしてやられるような気もして、短命で終わる可能性もある。

 イチローは東北は岩手の出身で、戦後の岩手出身の首相には鈴木善幸がいる。面白いことにこの鈴木の娘がタローの嫁だ。何とも妙なつながりがあったものである。今はこういう言葉は使わないが「閨閥」をフルに使えば、タローは岩手を味方に付けることができるかもしれない。

 アメリカの大統領選挙も混沌としている。あちらは民主党のオバマが勝てば、初の黒人系大統領、共和党のマケインが勝てば初の女性副大統領が誕生する。

 タローの言うように「日米同盟を強固にする」のであれば、共和党政権のほうがいいだろうが、予断は許さない。案外アメリカ国民は、野球でおなじみの「イチロー」のほうを喜ぶかもしれない。これも予断は許さない。

 

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大相撲を再検討せよ

 ロシア系の力士3人、若ノ鵬、露鵬、白露山が大麻の吸引により解雇された。

 その責任を取って(財)日本相撲協会トップの北の湖理事長が辞任した。当然と言えば当然、白露山は北の湖部屋の力士であるから、まずは自身の親方としての監督責任があり、本来なら親方としての進退にも言及されてしかるべき問題だ。

 だが、理事長の職を辞するだけで済ませるようだ。まあ、いまどき、外人力士の存在がないと大相撲もやっていけないので、むしろそういう力士を育てています、ということが、相撲部屋の親方としてはステータスが上がり、多少の悪事も必要悪、というご時勢なのだろう。

 情けないことだ。いまさら「心、技、体」と言っても始まらないが、しかし多くの(本物の)相撲ファンが期待しているのは、勝ち負けにこだわらず正々堂々と一心不乱に取るという「けれんみのない」取り口のはずだ。

 勝ち負けにこだわらず――と言ったが、勝敗によって昇進か転落かが決まるのだから、勝つに越したことはない。ただ、逃げの手や卑怯な手では勝って欲しくないのが(本物の)相撲ファンであろう。

 その大前提として「相撲は神事」というのがある。神々に奉納する相撲――だから、そう見られるようになった。その具体的な由来ははっきりしないが、少なくとも「相撲の節会(せちえ)」が恒例化した平安時代からであることは間違いない。

 それより古い『日本書紀』から相撲記事を拾うと

    当麻の蹴速(けはや)と出雲の野見宿禰とが、相撲(原文では角力)を取り、野見宿禰が勝った(垂仁天皇7年)

    采女を集めてふんどしをさせ、皆の前で相撲を取らせた(雄略天皇13年)

    健児(ちからびと)に命じて、堯岐(ギョウキ=百済からの使者)の前で相撲を取らせた(皇極天皇元年)

    秋七月三日、隼人多く来たりて、方物を貢ぐ。この日、大隅隼人と阿多隼人とが朝廷に相撲を取る。大隅隼人が勝った(天武天皇11年=682年)

 などがあるが、最後の天武天皇11年七月三日の「朝廷に相撲を取る」というあたりが、「天覧相撲」的なものを思わせる。このころに今日まで続く神事的な相撲の萌芽があったと見てもいいようだ。といってその行事が具体的にどんな内容のものであったかは不明である。

 私見では、このような神事を担った「相撲」はたんなるスポーツではなく、したがって大相撲を目指す子供は中学、もしくは高校、大学を出て、いきなり親方の相撲部屋に入門させるのではなく、「相撲学校」というような機関を作り、まず希望者をすべてそこに収容した上で、「神事としての相撲」を学ぶ機会を与えるようにする。

 まず3年ぐらいは、相撲取りとしての心構え(心)、技量(技)、体力(体)の基礎を作り、希望者はそこから高校、大学などに進学できるようにすればよい。その後(卒業後)、はじめてそれぞれの相撲部屋に所属し、これまで通りの相撲界に入るようにする。

 ここまではもちろん「コテコテの伝統相撲(神事に基く相撲)」の世界で、これは今まで通りの日本相撲協会が担任・運営する。

 私見では、これに加えて「国際相撲協会」を日本主導で設立し、世界のスモウ・レスリングに発展させる。神事抜き、相撲部屋抜き、それにマワシ(ふんどし)はやめて、擬似ふんどし(マワシ付きパンツ)なるものの使用を認めればよい。要するに、純粋にスポーツとしての相撲を構築する。

 以上のように、相撲を「神事としての伝統相撲」と「勝ち負けのみのスポーツとしての相撲」とに完全分離し、それぞれを継続・発展させれば、本物の伝統相撲ファンもほっと安堵するだろう。

 因みに、今月14日は旧暦の8月15日。あちこちの集落で「神事相撲」の元祖・隼人の後裔たちが、十五夜綱引きの神事に引き続いて「十五夜大相撲」を披露してくれるはずである。

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天気、異常あり

9月に入り、ようやく梅雨から抜け出た気がする。

そのくらい8月は雨が多かった。

 鹿屋では――おおむね鹿児島全体の傾向でもあったが、4月が多雨、5月は晴れの日が多く、6月は近年にない「梅雨らしい梅雨」で、少し早く明けたなと思ったら、7月は一転して快晴続きの猛暑、そして8月は雨、雨、雨の毎日。一ヶ月ごとに雨季と乾季が交代したような塩梅だった。

 その伝で行くと、この9月は「乾季」だが、どうだろうか。台風を気にしないで済む天気なら、乾季でも雨季でもどっちでもいいが、そうは問屋がおろすまい。11月初めに来た台風もあるから油断禁物。

 それにしても、東日本の豪雨は猛烈だ。まさに言葉の正しい使い方の「集中豪雨」が、あちこちで繰り返された。本家本元、西日本の太平洋側の降り方が引っ越して行った感じがする。

 いや、感じがしただけではなく、もしかしたら本当に東日本が西日本の天候に変わりつつあるのかも知れない。7月に入り、こちらが早い梅雨明けでかんかん照りの頃に北陸での集中豪雨があったと報道されたとき、

 「梅雨末期の(人が死なないと終わらない、と言われている)鹿児島の豪雨が、向こうで降っているじゃないか!」

 と、思ったものだ。

 しかも、それが一過性のものではなく、次々に、まるで連鎖反応のように東日本各地で起こっている。2ヶ月たった今も、まだそれが続いているといってよい。「ゲリラ豪雨」と名づけられているが、言い得て妙だ。

 しかし、言い得て妙だ、などと感心してはいられない。私には何かの前触れに思えてならない。それは――

 天変地異の前触れ――だ。

 天変地異といえば、日本列島では政府公認の「東海、南海における海底トラフのひずみの解消」つまり「東海大地震」「南海大地震」が喫緊に迫っていることがあげられる。地震学者や物の本ではそれが「いつ起きてもおかしくない時期に入っている」そうだ。

 だから、明日起きたとしても、なんら不思議ではないし、天罰でもない。

 しかし「天気」とは中世の古文書では「天皇の御気(ご機嫌)」を表す言葉だ。中世、天皇制は衰微・疲弊したとは言え、それでも天皇は神事を司る精神的支柱であった。つまり物質的(現世的)な実力はないが、神々に通じる「何か」を体現した存在としては尊重されていたのである。

 天気が異常――と言うことは、その意味では神々の警告に他ならない。天変地異の前に、神々が、「もうすぐやって来るから、心しておくように」という知らせを、誰にでも分かる「ゲリラ豪雨」という形で示して見せた――ととってもいいように思われる。

 とくに雨は水であるわけで、水と言えば「禊(みそぎ)」とつながってくる。

 そう捉えると神々が人々に、「今度の天変地異は特別であるから、到来する前に、禊をしておきなさい。そうすれば天変地異の際に、生き残って全てを失ってもうろたえることなく、死んでもうろたえることが無いだろう」とゲリラ豪雨によって教えてくれているのでは、と思えてくる。

 ここまでは私の勝手な思い込みかも知れぬが、とにかく「東海大地震」「南海大地震」(学者によっては二つが同時にと言う人もいる)が間もなくやって来ることは衆目の一致するところで、そこをどう生き延びるか(あるいは他界するか)は、結局は人それぞれの対処法と心に懸かっている。

 

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遠来の客人

 鹿児島実業対宮崎商業という隣県同士の甲子園対決は、1対1のまま延長戦に入り、12回表に鹿実が3点を入れて突き放し、勝利を収めた。

 延長戦以降は宮崎商業が毎回走者を出し、一打同点あるいは逆転かと薄氷を踏むような戦いだったが、鹿実はなんとか接戦を制した。

 鹿児島の戦いとしては近年に無い好カードだった。この粘りで3回戦以降も頑張って欲しいものだ。

 その勝利に沸き立っている頃、電話が鳴った。取ると電話の主が「今、垂水にいるが、鹿屋で所用を済ませたら大隅史談会のことで話がしたい」。そんな旨の用件だった。

 3時半頃、その電話の主はやって来た。

 車を運転していたのはF氏で、助手席に若いご婦人がいる。家に招じ入れて聞けばお嬢さんとのこと。

 F氏一家は福岡在住だが、ご本人はKDDIにお勤めで、東京に単身赴任中の由。ところがルーツは鹿屋にあり、今回は盆休みの一週間ほどの予定で墓参り方々、興味ある箇所を回っていると言う。

 大隅史談会に興味を持ったのは、自分のルーツ探しの途上で出くわしたから(ネットで)とおっしゃる。

 氏によると、F氏のルーツは垂水の島津以前の領主・伊地知氏の所縁らしい。「その辺りのことを書いた史談会誌はありませんか?」と言われたが、すぐには思いつかない。そこで何人かの郷土史家の名を挙げて、その先生方の書いた物を参考にされたら、と示唆をさせていただく。0810yurinohana_003

 「今回は時間も無いので、いずれまた、来ます」とのことで、そそくさと帰られたが、お嬢さんはとても印象に残る人だった。0810yurinohana

 人柄が素直そうな、楚楚とした美人であった。この頃、庭に増えだしたテッポウユリに譬えられるかもしれない。来年は就職で、就職先は広告業界ではあのD通とならぶH報堂だというから才媛でもあるのだろう。

球根を植え分けたわけでもないのに、庭の思いがけない所にユリが咲いている。はて、種が飛んだのかいな・・・。

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「やには(家庭)」は見えず

近頃、続発する家族がらみの事件。

 アキバでは25歳の若者が、「両親は他人だ」と、心から安らぐ家庭を亡くして自暴自棄となり、何の落ち度もない人々を殺傷し

 東名高速を走る路線バス内では、わずか14歳の中学2年生が、「両親の人生をメチャメチャにしてやる」と、家庭を抜け出して、何の落ち度もないバスの運転手や乗客を人質に取って脅し

 東京八王子では33歳の男が、「家族は何の相談にも乗ってくれなかった」と、これも家庭に居場所をなくしてやけになり、何の落ち度もない22歳のアルバイト女子大生を刺殺し

 相前後するように、埼玉県川口市では、中学3年の女子が、母親から見ても仲の悪そうには見えなかったという父親を刺殺した。

 家族がらみ――と言ったが、本当は家庭がらみというべき内容である。

 世間では「北の家族」とか「○○家族」といったテーマばやりだが、本当に大切なのは「家庭」なのだ。

 家族というのは単に遺伝子の結びつきに過ぎない。だから動物にも家族はいる。サラブレッドは競馬専用の馬だが、「サラ(thorough=完全な)血(bred)」つまり純血の家系(馬系?)ということで、文字通り「血の一滴」いや「精液の一滴」まで人間によって管理されて、繁殖している(させられている?)。イギリスでアラビア種が導入されて以来400年間、完璧なまでにその繁殖は人間によってコントロールされている。

 おそらく「万世一系」を誇るわが天皇一家も、その家系の完璧さでは(つまり庶子が全くいないという点では)、サラブレッドには適わないだろう(もしかしたら嫡子がいないことはあり得ないという点においても)。

 だが、人間には馬には無いものがある。「家庭」だ。サラブレッドがどんなに強固な「家系(家族のつながり)」を誇っていても、彼らには「家庭」はない。人間にもっとも近いチンパンジーの世界にも「家庭」だけはない。たとえわが子を身体にぶら下げて歩いたり、おっぱいをやったりしていても、離乳して自らエサを採りはじめれば、あとはハイさよならの世界なのである。

 ただ、ハイさよならをしても、血のつながりのあることに変わりは無い。だから、特に動物園のような飼育所では、擬似的にいつまでも「チンパンジーA子の母親のB子」と言ったりするが、本人(本猿?)同士がそう思っているわけではない。

 もう一度言おう。人間には他の動物や生物が持っていないものがある。それは「家庭」だ。「家庭」に居場所が無いということが、すべての人間の子どもにとって、それがどういう理由によってそうなったかを詮索する前にまずは「最悪の状態」と言っていいだろう

 子どもにはどうしてそうなったか理屈では分からない場合が多い。だから受け容れざるを得ない。分からなければ文句の言いようが無い。いわば泣き寝入りだ。親はそれをイイコトに、つまり本当の子どもの心に耳を傾けないまま、自分の欲求をぶつけてくる。あるいは逆に無関心になる。

 どっちにしても、それは「家庭」の中で行われる。本来、居心地の良かるべき「家庭」が、そのように機能していない家族が多いし、一層多くなったようだ。

 上で挙げた最後の事例は、ちょっと不可解だが、やはり成績のことが引き金になったのだろうか?成績の落ちたことを苦にして自殺、ならむしろ理解できるのだが・・・。中1で英検3級というのは早すぎる、おそらく小学校の5,6年から勉強させていたのだろう。中高一貫校だそうだから、これも中学受験のため5,6年の頃から勉強の毎日だったのかもしれない。

 ところで「家庭」「家庭」とくどいほど書いてきたが、「家庭」の初出は『古事記』の応神天皇の段にある。

 応神天皇が宇治を越えて近江に出かける途中、とある高み(峠か?)に立った時に、はるか京都の葛野方面を見渡したら、すばらしい眺めだった――という歌が載っている。

    ちば(千葉)の かづぬ(葛野)をみれば 

      もも(百)ち(千)たる やには(家庭)も見ゆ くにのほ(穂)も見ゆ 

  (青葉・若葉なす葛野地方を眺めると 百も千もの家庭が見える。 素晴らしい国であることよ)

 1600年もの昔、こう謡われた「家庭」は文字通り、「家」と「庭(菜園)」を備えた施設であった。時代がどんなに変わろうと、子を生み育てる場所は当時も今も「家庭」である。

 当時には無くて、今はあるもの、それは「成績至上主義」と「金銭万能主義」だろう。人間は無駄な物を増やしすぎた。もう一度、子育ての原点に還るべきではなかろうか?

 

 

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止まらぬ少子化

今日(7月9日)、NHK夜7時半からのクローズアップ現代を見ていて衝撃を覚えた。

 内容は、これまで中国にどんどん進出していた日本の企業の中で、中国での賃金上昇と通貨「元」の切り上げで利益が落ち込んだので中国本土からベトナムへ転出する企業が増えている――というものだが、私が衝撃を感じたのはそういう工場移転ということではない。

 そもそも低コストを追求してより賃金の安いほうへ流れるのは企業活動の常道で、今に始まったことではない。

 衝撃を感じたというのは、ベトナムの青少年(25歳未満)の人口に占める割合が過半数を超えている――というコメントだ。ホントかいな、というのが最初の反応だった。ベトナムの人口は8500万というから単純に半分として、約4300万の「若者」がいることになる。

 これに対して日本はどうか。今やなんと総人口に占める割合は25パーセント余り。つまり総人口が1億3000万として、25歳未満の「若者」の実数は3200万ほどなのだ。人口は4000万多いのに若者は1000万も少ない。平成12年にはまだ35パーセント弱あったのに、たったの7年でこの有様は、目を覆いたくなる。

 さらに昔をたどると、昭和25年当時は実に62パーセント(総人口8200万のうち5100万)もあったから、いまのベトナムより子沢山だった。

 その頃の出生率は4.32人。一家に4~5人が普通だったのだ。その出生率が今や1.3人だから、50年余りで女性が一生涯に産む子どもの数はあのころの30パーセントに減ってしまった。おまけに未婚者も多い。

 ここまで少子にした原因は分かりきっている。「男女平等」だ。

 こうずばり言うとたちまち反感・嫌悪が、とくに女性陣にはむらむらと起こって来るだろうが、真実だからしょうがない。

 だいたい「男女平等」をもっとも遮るものは何かと言えば、「出産と育児」に他ならない。つまり「出産と育児」は女性が男性と同じ仕事をしていく上で、物理的にも心理的にも一番の障害なのだ。

 したがって「男女同一賃金・雇用機会均等」を貫くならば、女性はそんな障害は招かざるにしかず、だろう。当然の話ではないか。だから未婚化・晩婚化・少子化は必然の流れとなる。

 政府もこれまでさんざん「平等と同一賃金」を喧伝してきた手前、「早く結婚して家庭に入り、たくさん子どもを産んでくれ」とは言えぬ。いや、言ったとしても「何だこの二枚舌め」と鼻であしらわれよう。

何だか、あの人の言ったことを思い出した。あの人とは小泉内閣で初の女性外務大臣になった「田中真紀子」のことだ。彼女は外相を更迭された時こう言った。

  あたしが一生懸命(外務省改革のために)やろうと思って、(小泉首相も)「やれやれ」というので頑張って一歩踏み出そうとすると、後ろからあたしのスカートを踏んづける人がいる。あれっと思って後ろを振り返ると当のその人じゃないですか(シクシク)。

 「女の涙にはかなわない」と、小泉首相があとでコメントしたことで忘れられないシーンだったが、女性が結婚して子どもを産み家庭経営に専念しようとすると、政府が「女性はもっとキャリアを積もう」、マスコミは「女性が家に入るとせっかくのキャリアが無駄になる・世の中の動きから取り残される」とか何とか書き立てて女性の不安をあおる。

 結局のところ、政官民一致して女性が女性固有のかけがえの無い大切な「出産と育児」に向かおうとするスカートを踏んづけてきたのだ。その結果が今日の超少子化に他ならぬ。

 極論かもしれないが、こうなってはどこかから「子どもを移入」しなければ国が持たないかもしれない。アジア・アフリカの貧困と食糧難にあえぐ子どもたちは沢山いる。困った子達を救い、成人したら希望者は日本人として受け入れる。そんな時代が来てもおかしくない。人類みな兄弟なのだから。

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梅雨明けの庭

今日(7月6日)、九州は梅雨が開けた。おなじみの梅雨末期の豪雨が無かったなんて珍しいことだ。

 昼過ぎの気温は玄関のところで32℃を越えた。まだ、地面がたっぷり水分を含んでいるせいで、熱せられた地面から蒸気が立ち昇るのだろう、蒸し暑いことおびただしい。

梅雨明けの空がまぶしく、青さが目に沁みる。こんな天気が3日も続けばカラッとしてくるはずだ。0706tuyuake_007

気持ち的には浮き立つが、菜園の草が目立つ。とらねばなるまい。

 だが、まだ地面の水分が多すぎる。こんな時に抜くと、根っこに土が付きすぎていて、振り落とすのに手がべたべたになってしまう。

 やはり2,3日乾かしてからのほうがよい。雑草さん、少しの間だが、おおいに太陽とさわやかな風を楽しみたまえ。

 菜園では真夏の野菜「オクラ」が成長の盛りだ。3日ほど前に初収穫したのにもう、二番果が付いている。0706tuyuake_002_2

 なんたって、花がいい。

 芙蓉とかタチアオイ、ムクゲそれにハイビスカスなどと同じ仲間らしい。きれいなはずだ。

 野菜の仲間の花では、食用菊と並んで美しいと思う(シュンギクも入るか)。

 で、他の野菜を見回すと咲いている、咲いている。最後の一種類を除いて、みな、お天道様大好き、暑いの大歓迎の野菜たちである。

 きゅうり、ナス、ニガウリだが、お分かりかな?0706tuyuake_004

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午後の銭湯

 朝方までの雨が上がり、昼食後、一番で散髪に行き、その足で銭湯に入る。

 理髪店のあとは銭湯へ――というのが、ここ4、5年のパターンになった。

 理髪店は決まったところだが、そのあとの温泉は二ヶ所のうちのどちらかだ。このところ首や手にあせものようなかぶれが出ていて痒みがあるので、天然温泉のほうにした。

 ただ、天然温泉の方は隣町にあって、理髪店からだと5キロ。もう一箇所よりも3キロも遠い。だが、背に腹は替えられない。Sentou

 入湯税、消費税込みの300円也で券売機で券を買い、受付に置く。

 ここには貴重品入れの小型デジタルロッカーがあり、財布や車のキーなどを入れるようになっている。

 脱衣所は昔ながらの籐のかごだ。

 中に入ると、駐車場に停められた車の数の割には空いている。ガラガラと言ってもよい。

 日曜の午後、もう田植えもほとんど終わり、また、ハウス野菜のピーマン、イチゴなども農閑期に入っているはずなのに、こんなに空いていていいのかと思う。

 いつでも多く入っている老人は別として、この時間帯で目に付くのが家族連れだ。お父さんが子供をふたりつれて入ってくるというパターンが多い。

 男の子ふたりもあれば、男の子と女の子の兄妹、その逆の姉弟のふたりの場合と様々だ。見ているとお父さんはなかなか手際がよい。子供がキャッキャッ騒いでいても、ちょいと力づくでさっさと洗い、自分も素早く洗ってしまう。そして湯船へドボン。

 ははあ、これが父親流スキンシップの極意だな

 これが母親だとそうは行かない。何しろ口うるさい。おとなしくしなさい。ほら、人に迷惑でしょ――と、洗ってんだか、躾てんだかわけが分からない。どうせ裸なんだからお行儀もへったくれもないよな、と、子供は洗うのは早く済ませてあちこち行きたいのだ。

 その反対に、母親自身はせっかくの温泉なんだからゆっくり入りたいし、洗いたい。さらに知人でもそこに居ようものなら、例の何とか会議が始まること請け合い。子供のテンポに合わない事おびただしい。

 というわけで、お父さん頼みますよと子供を預けられ、子供もお父さんだといやな洗濯も素早く済ませてくれるので、せいせいのびのび出来てうれしい。

 スキンシップは午後の銭湯に限る――の一席、これにて。

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秋葉原大量殺人事件

 秋葉原はいつも通り過ぎるばかりで、ほとんど駅を降りたためしはない。たしか山際電気は一度くらい訪れた気がする。それも、もう40年近く前の話だ。

 最近の「アキバ」なんて全く知る由もないが、映った交差点を見て昔を思い出した。しかし、まさかここで大量殺人が行われるとは・・・・・。Akiba7ninsatujinjiken

 写真はYahoo!ニュースより(6月11日)。

 犯行の動機は、本人が携帯サイトで明らかにしている。

「誰でもいいから殺したかった」

 要するに自暴自棄の道連れに、他者の命を奪ったのだ。

 この三月にも茨城県で似たような連続殺人事件があった。

 去年は、家族の内部での殺人事件が多発したが、今年はアメリカでよく見られる銃乱射事件のように、自己本位の巻き添え殺人が増えている。

 日本もアメリカ並みになったのだ、などと言ってはいられない。

 犯人にこのような殺人動機をもたらした真因は、これも本人がサイトで言っていた。

 「中学に入ってから、親から捨てられた」

 子供にとっては最も大きい喪失感だろう。彼の場合、親が死んでしまったわけではない、いわば親から以前のようには相手にされなくなった。それも「弟の方が成績が良くて、自分が次第に・・・」というもののようだ。

 報道は、派遣の仕事を辞めさせられるかもしれないという危機感・挫折感が動機だった、という見方をしているようだが、そうしたら同じ職場の同じ境遇にある派遣社員は、みな殺人事件を起こしてもおかしくない。

 真因は、本人が言っているように、家庭内喪失感、換言すれば「家庭内の居場所からの脱落感」であろう。今流行のスペースシャトルを例に取ると、親というブースターロケット(燃料ロケット)が、シャトルを軌道に乗せるはるか手前で「ハイさよなら」とばかり、シャトルから離れていってしまったようなものだ。

 シャトルは正常な軌道には乗れず、乱飛行を繰り返しながら宇宙空間を漂うか、悪くすれば再び地上に向かい激突炎上することになる。今度の殺人者の彼は、もうこれ以上漂うのはやめて、地上に激突する道を選んでしまったのだろう、人を巻き添えにして。

 つくづく思うのは、両親が、「中学に入ってから、親に捨てられた」という彼の心情をなぜ汲んでやれなかったのか、うすうす気づきながらなぜ「軌道修正」できなかったか、ということだ。成績至上主義?がそうさせなかったとしたら、なんともバカな親だ。バカ親の典型だ。(バカ親についてはこちら

 多くの無辜の人々の死によって、容疑者の自暴自棄(と、親の成績至上主義=しつけとおしつけ)には終止符が打たれたが、なんともやりきれない思いばかりが残る。

 提案だが、検定ばやりの昨今、すべての親を対象に「親検定」を設けたらどうか。合格点に達しない親は有無を言わせず、学校や教育委員会が査察に入るようにすれば、虐待、ネグレクト、過干渉を減らすことができよう。

 少なくとも、家庭を密室にしない方策が必要だ。

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アジサイとビータロウ

よくしたもので、入梅とほぼ同時に咲き始めたアジサイ。Bitaroutoajisai_007 

がくアジサイの種類で、去年まで薄紅色のがくアジサイもあったのだが、なぜか枯れてしまった。

 紅色の花は数多いが、青色の花は少ない。

 で、まあしょうがないかと高を括る。

 巷でも青、薄紅、白と色とりどりに咲きはじめているので、通りすがりに楽しめるのは有難い。

 Bitaroutoajisai_010 このアジサイ、我が家の番犬「ビータロウ」の小屋のすぐそばに咲いている。

 今朝、餌をやった後に、「ビータロウ、ほら見てみろ、きれいだろう」と目を向けさせようとするのだが、向いてくれぬ。

 根競べの結果がこれ。

 Bitaroutoajisai_003

ビータロウ、本名は「Bタロー」。戸籍(?)ではこう届けたのだが、役場で「B」の入力変換が面倒だったのか、狂犬病予防注射の案内にはいつも「ビータロウ」となっていて、こっちも面倒だから変更依頼など出さずじまい。

 今ではすっかり「ビータロウ」だ。本人(本犬?)も気にしている風でもないし・・・。

 平成6年の秋生まれだから、今年の秋で満14歳。

 一説によると、犬は「最初の一年で大人になるから、その一年は人間の20歳。その後は一年が6歳に相当するそうだから、〈20+6×13=98〉で、今年なんと98歳の超高齢犬になる予定。

 二年前の春に、一時「けなえた」が、見事に立ち直って今年を迎えた。耳がだいぶ遠くなったけれども、鼻は艶やかだし、食欲も旺盛。長生きしそうだ。  

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頼むから辞めてくれ朝青龍

大相撲5月場所最後の大一番――と期待したのがいけなかったのか・・・。

なんとも後味の悪い勝負だった。Yokodunanoniramiai (写真はyahoo!スポーツより転載)

 取組み後のビデオを何度見ても、朝青龍が、手を付いて四つんばいになったあとの白鳳を、ムキニなって「コノヤロウ」と両手で押そうとしているのは明らかだ。

 その直後、白鳳も「何をするんだ、こっちはもう両手を付いているじゃないか」とばかり、立ち上がると同時に朝青龍を右肩で譴責した。

 それだけを相撲協会の北の湖理事長は取り上げ、白鳳に「横綱としての品位を保つように」と注意したという。 

 アホか――と思ったのは私だけではあるまい。

 喧嘩両成敗ならまだしも、これでは納得がいかぬ。

 だいたい天下の横綱の取り組みだったら「がっぷり四つになってなんぼ」だろう。まして千秋楽の最後を飾る大一番なのだ。勝負の美学というものがあるではないか。

 もう朝青龍は辞めて欲しい。あんなの横綱でもなんでもない。勝って金が欲しいだけにしか見えぬ。

 同時に、北の湖理事長も辞めるべきだ。朝青龍の「仮病事件」や「時津風部屋力士リンチ死事件」でも、後手後手に回るだけでうやむやに済まそうとして、何の責任も取っていない。

 早く「国技法」を制定して、ゴチゴチの「伝統的・美学的・勝敗二の次的」大相撲に立ち返るべきだ。

 ハワイ系のあの「巨漢主義」も大相撲に大きなしこりを残したが、今度の「モンゴル拝金主義」も要らぬ。

 そういうのが好きな手合いには「国際大相撲協会」を別途作って対応したらよかろう。国際貢献になる。

 天武天皇11年(682)秋7月3日、はるばる南九州から朝貢してきた隼人が

   「この日、大隅の隼人、阿多の隼人とが朝廷において相撲をとる。大隅の隼人勝ちぬ」

 と「日本書紀」に記述されているほど古い「相撲」。

 勝ったからといって、褒美を貰ったとは書かれず、それどころか同じ7月の27日に

   「隼人らを、飛鳥寺の西に饗す(もてなす)。種々の楽を発す(舞楽を演奏する)。よりて禄を賜うこ       と、おのおの差あり」

 とあって、相撲よりも舞楽の方を重んじ、これには褒美を与えている。

 1326年前にすでにあった「勝ち負けのことより、皆がひとつになれる楽のほうが上」という美学を忘れ果ててしまった今日の体たらくはナサケナイ。天武天皇も泣いている。隼人も泣いている。

    

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中世史研究会で発表(鹿児島市)

 鹿児島市の黎明館で中世史研究会(小園公雄会長)月例会で、去年同様、新刊の「大隅(51号)」誌の販売0524kagoshima_003_2 兼ねて発表をさせてもらった(例会は毎月第4土曜日、午後2時~5時)。

 これも去年同様、駐車場の管理者に「3階まで運び込む荷物があるので、一番近いところに入らせて」と頼む。やはり、裏口へ案内された。

0524kagoshima_002 鹿児島は折りしも本格的な雨、トラックの入るような納品口だったので、こちらも車を入れて冊子を濡らさずに済んだ。

 冊子とはいえ、220ページの本。40冊はけっこう重い。それでもエレベーターが利用できたのでだいぶ楽だった。

0524kagoshima_001 「雨がたたったナ」と会長の小園先生。

 なるほど、去年は25、6名は来ていたのに、今回はちょうど10名。少数精鋭とばかり、話し始める。

 出発間際までかかってプリントした資料は10ページ。内容は

1肝付家譜(本流) 2肝付家譜(兼光流) 3禰寝家譜(小松流) 4肝付氏のルーツと「きもつき」 5禰寝氏のルーツと「ねじめ」 6島津氏のルーツと「これむね(惟宗)」 7天皇家の「姓」は何?

 話の枕に、篤姫・小松帯刀・坂本竜馬という同い年3人の人物像を表にして、比較検討。

 途中、休憩を入れるのも忘れ(実際には5分ほどとったが)、話し終えたら4時半を回っていた。質問の応答後の時計はジャスト5時。これにて終了。おっと、「大隅」を買ってとお願いしたら、やっと4冊売れた。

 去年は20冊近く売れたのに、とぼやきつつ黎明館を後にする。

 ここで、大隅史談会の運営を確認。

 大隅史談会は「会費なし」という世にも珍しい団体だ。入会金1000円也を払って会員になると、その後の費用負担は一切無し。会則には「会員は会誌を購入するものとする」と書いてあるが、買わなければならぬという義務条項ではない。

 会誌の販売収入が、即、次回の会誌の製本費用になる、という言わば「自転車操業」。販売が役員の主な仕事になってしまった。本来の郷土史研究はだいぶ前から「後回し」の状態が続いている。役員は自分でも会誌に書く人がほとんどだが、投稿でもらえるのは一冊だけ。売れないから自分で数十冊を買い取り、それで何とか「自転車が倒れない」で済んでいる。

 どげんかせんと――と思いつつも、名案は浮かばない。書店で売るにしても「定価2200円」では、財布の紐がゆるまないのが現状(去年、ある郊外書店に置いたが、2ヶ月近く経って売れたのは2冊だった・・・・・)。

 0524kagoshima_004 帰りに、ドルフィンポートの「篤姫館」に寄ってみた。

 と、5時半だったので、もう切符の販売はしていない。仕方なく館に入って受付嬢に頼んだところ、OK。開館は6時まで、観覧料500円とある。うむ、ちょっと高いと思い、300円でどうだと向けたが、これには応じなかったhappy02

 江戸城内部の作りが再現されており、たしか4つのコーナーに分かれていた。中でも、大奥の篤姫の間のセットでは、篤姫の着たようなあでやかな着物を身にまとって撮影ができるという特典があり人気があった。0524kagoshima_006

当然、男客の恩恵にあずかれるところではない。

 女客だけ高くしろ、いや、男客の入場料を安くしろと言いたいところだが、そこは紳士たるもの、勿論、おくびにも出すはずはなく、黙って見ていたが・・・。0524kagoshima_007

最後のほうで、篤姫役の宮崎あおいのサイン色紙以下、6人の俳優の色紙のコーナーがあった。

 若さあふれる宮崎あおい(上)と、老練な高橋英樹(下)のサイン色紙

0524kagoshima_008

 

 

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天変地異か天罰か?

 妨害されたり、ブーイングが興ったりとさんざん注目を集めた北京五輪の聖火リレーが、ようやく他国を回り終えて自国に入った途端に起きた5月12日の「四川省大地震」。

 あるニュースによると、地元のチベット少数民族の間では、5月初旬から「何か大変なことが起きる」といううわさが流れていたのだが、当局はそれを一蹴していたそうだ。

 地震予知のうわさとすれば、たいしたもので、その後にヒキガエルの大移動が見られたというから、間違いなくその予知能力は本物だろう。ただ、うわさの出どころがあの暴動の震源地チベットと同じチベット族というところが、出来過ぎていてちょっと引っ掛かるが、この地震で件のチベット少数民も被害を受けているのだから、そこは考え過ぎかもしれない。

 被害といえばずいぶん大きなものだ。死者はすでに2万を越え、行方不明まで併せると5万になろうかという。温家宝首相がおっとり刀で駆けつけて救出の総指揮を執り、報道が逐一その姿を追って公表しているのも、これまでにない中国当局の姿勢で、好感は持てる。昨日はついに胡錦涛国家主席も現地入りし、温家宝首相と合流した。

 北京五輪に向けて、いかに中国が威信をかけて成功させようかという意気込みがよく分かる。ここはどうしても強力なイニシアチブで乗り切って、五輪を大成功させ、かって日本が東京五輪を成功させたことで発展の確かな基礎を築き上げたのに倣おうというのだろう。

 「毒入りギョーザ」事件が象徴するように、中国への信頼感が失せ果てた今、日本をはじめ数カ国の救助チームを受け入れたが、中国も面子を捨てて来つつあるという気もする。北京五輪が無事開催されるかどうか分からないが、五輪後の中国がどういう国になっていくのか注目せざるを得ない。

 しかし、中国の大地震で影が薄れたが、もっと酷いことになっているのが南隣りのミャンマーだ。

 5月2日のサイクロン被害は滅茶苦茶で、死者6万弱、行方不明7万余りと、軍政府が公式に発表した。その軍事政府は、援助物資は受け入れるが、人的支援は受けぬ――という。まさに北朝鮮にも劣る閉鎖性とちゃっかり性には呆れて物が言えない。

 軍事政府はもう長くないだろう。日本降伏後、再び英国寄りに軌道修正したとはいえ、近代ビルマ建国の父・アウンサン将軍の娘スーチーの復権する日がやがて来るに違いない。

 ところで東南アジアから北の中国大陸にかけて、3年半前のスマトラ大地震以来、今度の地震で一連の大規模災害が続いたことになる。南のオーストラリアの大干ばつもその一環と考えると、日本を含む東経100度台の天地が揺さぶられていると言ってもいい。

 地質学的に見ると5年、10年の単位は「秒読み段階」だ。それで言うと、東海地震がいつ起きてもおかしくはない。南海地震かも知れぬ。明日はわが身と考える癖を付けた方が「勝ち組」になるかもしれない。少なくとも「命あっての物種」「生きていれば丸儲け」という教訓は学んでおいて損はしないだろう(一般的な処世術としても)。

 

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高千穂は何県か?

 平成20年1月17日に掲載した当ブログ「高千穂遠望」に対して、次のようなコメントを貰った。

   高千穂峰はどちらも宮崎県だ と。

 なるほど、高千穂町の高千穂も、霧島連山の高千穂峰もどちらも宮崎県にあるが、後者の高千穂峰は微妙だ。

 というのも確かに1594メートルのピーク自体は宮崎県都城市に属しているが、すぐ西側にある火口の御鉢は鹿児島県霧島市に属している。

 ピークだけを高千穂峰だとすれば、お説の通り両方とも宮崎県だ。

 だが、御鉢を含む山容全体を高千穂峰と考えれば(むしろこれが普通の山の捉え方だろう)鹿児島県に属しているとも言える。

 しかもブログでは、一方的に「霧島連峰の高千穂は宮崎ではなく鹿児島県に属している」などとは書いていない。高千穂町の高千穂に対して、「鹿児島側の」「鹿児島に近い方の」というニュアンスで書いたつもりだ。

 コメントはありがたく頂戴しておきたい。ただ欲を言えば内容についてのコメントが欲しかった。

 

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しつけとおしつけ

 しつけとは(和製漢字だが)「躾」と書き、もともとは衣類を仕立てる時の「仕付け(糸)」のことで、子供を仕立てる(育てる)際に必要な「定点」だったはず。

 「だった」と過去形にしたのは、近頃とみにこの「定点」が、ぶれて来てしまっていると思うからである。

 その最たるものがしつけならぬ「おしつけ」だ。別に幼稚園や小学校の「お受験」に倣ったわけではなく、この場合は全く別の言葉、つまり「押し付け」のこと。

 たいていオヤジが子供のしつけに口を挟むと、「おしつけ」になる。というのも、一般的に言ってオヤジの方が社会歴は長く、それだけ多くの浮き沈み・毀誉褒貶の事例を見てきているので、ついつい先走ってしまうのだろう。つまり待てないのだ。子供がゆっくり子供として必要な時を過ごす――なんてことは見ているだけで、もどかしく目に映ってしまうのだろう。こんなんじゃ、一人前の大人にはなれぬ。世間に通用せぬ、とか何とか・・・。

 そこへ持って来て、もしオヤジが(オフクロの場合もあるが)子供の頃、成績が良かったり、身体能力が優れていたりしたら大変だ。「何だ、この成績は!何だこのざまは!」ともどかしさを通り越して、叱咤激励に励むことになる。それも激励ならまだいいが、「これでは駄目だ!」と叱咤のダメ押しだ。

 いやはや、子供の立つ瀬はない。人格の否定だ。だから子供はふてくされて何もやらなくなるか、暴発する。

 子供が育つ道理というものがある。一言でいえば「一人前の子供に育てる」ことだ。こう書くと「一人前の大人」の誤りだろうと思われるかもしれない。

 言いたいことは、誰も大人になる前は子供だったということ、つまり、子供時代には子供らしい体験が必要だということで、乳児には乳児体験、幼児には幼児体験、少年には少年体験・・・というように、それぞれの人生ステージに見合った育てられかたをして初めて一人前の大人に育っていく(巣立っていく)。

 前にも書いたが、小学校の学習が十分でなければ、中学校で苦労し、中学校の学習が十分でなければ、高校で難儀をする――というのと同じだろう。子供の心もその通り。

 子育てには原理(道理)はあるが、マニュアルはない。だからつい世間的な評価を導入することになる。それも時にはある程度必要だが、世間に当てはめすぎては肝腎かなめのの子供が見えなくなってしまう。本末転倒だ。わが子といえども「子供には子供の世界があってこそ、大人になって行く」。

 これを「定点」とし、愛情をもって見守りつつ、子供を「一人前の子供」に育てよう。決して大人の世間的評価で「おしつけ(押し付け)」ぬように。

 

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メジロと乙女椿

 奇跡なんてものは信じない方だが、もしかしたらこれは奇跡か。

 昨日の朝、西の和室からガラス戸を開けて、乙女椿を撮影したら、開けている時間がちょっと長かったので、スギ花粉が舞い込み、くしゃみを連発した――と書いた。

 そして、最後に、この乙女椿には何度かメジロの群れが蜜を吸いにやってきているが、写真を撮るためにじっと待っている根性はない・・・とも書き加えた。

 ところが、ところが、向こうからこの根性なしめ、とばかりサービスに来てくれちゃったのだ。

 例によって、朝の7時過ぎ、和室にしつらえた神座兼仏座(こてこての神仏混淆)の前で、32歳で若死にした弟と、63でやや早死にした父と、83というまずまずの寿命で逝った母と、その他ご先祖様もろもろに祈りを捧げるべく、ごにょごにょとやっている時、チチッという鳴き声が耳に。

 おや、と顔を窓外に向けると、「おう、来たな」。メジロだった。せわしなく乙女椿の中をあっち行き、こっち行きしている。朝、同じ時間帯に見るのは、これでもう5,6回だろうが、いつもは集団で来ているので蜜を吸う時間はあっという間で、あれよあれよという間に飛び去ってしまう。だから写真など撮る暇はなかった。

 ところが、である。今朝はよく見るとつがいだった。つまりたったの二羽。ということは「ははあ、彼女(彼氏)が決まったんだ。巣作りの前なんだな」。ごにょごにょを終えても、やっこさんたち――いや失礼―お二人さんは、まだ、貪欲に吸い回っている。

もしかしたら、とそっと立ち上がり、隣の部屋へ、デジカメを取りに。

 急いで帰って窓を見る。いない!「あいた、しもた、行ってしもたわい」――とがっかり。

「やっぱり、立ち上がる姿が丸見えだったものな。気づいて驚いて逃げたんだ」

 ところが、どっこい、ここからが奇跡。二羽のうち一羽が舞い戻って、また、あちこち枝を渡り始めたのだ。「ようし、ズームを目いっぱいにして、片っ端から」というわけで、ガラス越しに何枚かメクラ撮りしたら、ようやくその一枚に彼女か彼氏か分からぬが、写っていた。何とかというお笑い芸人でなくても「フォー」と言いたくなるうれしさだ。0312mejiro

こいつは春から縁起が良いぞ、フォー。

 

 

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乙女椿

 いつも和室に寝ているが、ベッドではないので布団の上げ下ろしをする。そのとき雨でない限りは、北の小窓と西の大窓を開けてほこりを出すようにするのだが、この頃はできるだけ短い時間で済ませる。と言うのもスギ花粉がショウケツを極めているからだ。

 ところが今朝に限り、西側に植えた乙女椿の落花が余りに見事なので撮っておこうと考え、隣の部屋からデジカメを持って来て写したのはいいが、案の定、くしゃみを連発してしまった。デジカメを取りに行くとき、マスクをしたほうがいいかな、と一瞬頭をよぎったのだが、ほんの何十秒かの時間だからと甘く見たのがいけなかった。

 それでも、貫禄と余裕の三連発で済んだのは本当にお手柄だ、というに尽きる。19年の花粉症キャリアも堂に入ったものだ。花粉症は一に予防、二にも予防。それでもだめならアキラメヨウ――などと言うなかれ。きっと良くなるサ。0311tubaki_001

三本並んだ乙女椿。こんなに花を着けるとは思わなかった

0311tubaki_004  隣の家の軒の高さまで伸びている。

 3年前に4キロ余り離れた園芸店で売られていた時は、人の背丈くらいだったのを、ミニバイクの股座(またぐら)に挟むようにしてようやく運んできたのだったが、今は軽トラックでも乗り切らぬほどに成長した。

0311tubaki_006  あれだけ落としているのに、まだまだ蕾もたくさんある。

 時おり、メジロが群れでやって来る。待ち構えて撮るだけの根性は、残念!持ち合わせぬ・・・。

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春愁や 今年も来たか 花粉弾

 ヤフーの花粉情報を調べたら、ここ2,3日で鹿児島県内は「多い」から「非常に多い」という表現に変わった。

 来たなあ、来ましたなあ、律儀なもんですな。台風でもこうは行かない。

 1平方センチメートル当たり、50個を越えると「非常に多い」になるらしい。親指の先くらいの面積で50個だから、畳一枚に換算するとおよそ81万個ということで、いやはや大変だ。

 これで驚いていてはいけない。まだこの上に「猛烈に多い」というレベルがあるそうで、こうなると上限知らずだろう。計測不能か?こうなりゃ、最高記録を観測して各地でコンクールでもやりますか。ギネスに載せるのもいいかもしれない。

 花粉症歴19年という当方を含め、御同症の皆さん、かく笑い飛ばしつつ、辛抱、辛抱の春をやり過ごそう。

 それでも当方は、7~8年前の症状のピーク時から比べると、今は格段に良くなっている。その秘訣は徹底的な予防策にあります。

 まず、花粉の飛散開始を2月上旬として、少なくともその1週間前から耳鼻科(耳鼻科以外でも薬の処方箋は出してくれる)で、予防になる抗アレルギー薬をもらって飲み始める。

 これと同時に外出時に必ずマスクを着用する。風邪を引いてもないのにマスクを――などと思わず、空気の冷たさと乾燥から鼻やのどや気管を守るというつもりで徹底的に着用を守る。私なんかは、この時期、犬に餌をやるだけにほんの1,2分庭に出るときでさえ面倒でもマスクをする。

 最近のマスクはガーゼマスクと違って着脱が楽で、苦にならない。私の場合、薄手のと厚手のと2種類用意して、長時間出るときは厚手の物を、庭に出るくらいの短時間の外出なら薄手と使い分けている。ただし花粉が「多い」レベルになったら、日中の外出時にはどんな時でも厚手のマスクをする。さらにマスクの内部にガーゼ(包帯でもよい)を入れ、鼻に入る空気を「ろ過」すれば万全だ。

幸いなことに、当方は目には症状を持っていないので、上のやり方でOKだったが、目にも来てしまう人は、ゴーグルの着用も必要だろう。ご同情申し上げます。

 ところで、『令義解(りょうのぎげ)』という平安時代初期に書かれた律令の「令」についての解説書(清原夏野ら編纂)を見ていたら、面白い祭りに出くわした。「神祇令の第六」に出てくる春先に行われる祭りで、今でも県内各地の神社で行われる「祈年祭(としごいまつり)」の次の祭り「鎮花祭」である。

  これは「はなしずめのまつり」と読むが、こう解説してある(直訳ではない)。

  鎮花祭・・・大神(おおみわ)神社、狭井(さい)神社の両所の祭り。春の花が飛散する時において、厄神分           散して癘(れい)を行う。その鎮圧のために、必ずこの祭りがある。ゆえに鎮花(はなしずめ)と言 う。

 大神神社は通称「三輪大明神」で奈良県の桜井市にあり、「大物主神」を祭神とする古社中の古社である。狭井神社は三輪明神から山辺の道を北上してほど近い小社だ。確か、三枝(さいぐさ)という百合の花から採られた神社名と聞く。

 解説によると、春に花が咲き、飛び散る頃になると、疫病神がそれに乗っかって「癘(れい)を行う」という悪さをするので、この2社において厄病(神)退散の祈念(祭り)を執り行う、という。

 癘(れい)とは「悪性のはやり病い」のことで、流行病と言い換えられる。

 何のことはない、これぞ「花粉症」のことではありはせぬか? 「春の花が飛散する」とは花びらが飛び散るのではなく、花粉が飛び散るということだろう。当時でも症状の重い人々は、まるで集団の風邪かインフルエンザにかかったかのように、あっちでもクシュン、こっちでもクシュンとやらかしていたに違いない。

 そういえばかっては「木の芽時」と言って、この季節に体調を崩す人が多かったことも併せてみると、「花粉の飛散」からくる変調は、昔から大事だったと言えるかもしれない。

 今日、特に花粉症と特定され、原因の大部分を占める杉が目の敵にされるが、日本国中で「鎮花祭」を行うか、今でも多分行われているであろう三輪明神と狭井神社へ祈願参拝したら、意外に流行は止み、花粉症の人たちが解放される日のやってくることが、ないことは、ないことは、ないことは・・・ない(sign02)。

     春愁や 今年も来たか 花粉弾(やくびょうがみ)

 

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梅と日の出

3日続いた氷点下から、今日やっと解放された。

一ヶ月前から始めた庭での体操(ラジオ体操を自己流にアレンジ)も、今朝はちょっと楽だった。

 7時10分過ぎ、遠くの肝付三山から、日が昇り始めた。必ずしもすっきりとは晴れていない東の空だったが、庭の梅の間に上ってくるのは見ものだった。

梅はもう2週間以上開花を続けている。寒さにはめっぽう強いと、いつもながら感心する。

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画面左手の両こぶの山が国見山塊で、向かって右手はレーダー観測所のあるピーク。左のピークが高屋山上陵(ホホデミノミコト)伝承のある国見岳。

 画面右手の高まりの先には黒尊岳があり、さらに稜線をたどると、肝属山地最高峰の甫余志岳(968m)に至る。

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梅に鶯ならぬお天道様。ウグイスはまだ見ていない。メジロならもう3度ほど集団が庭を通過していった。

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