冬至のビータロー

冬至の日。今朝の寒さはこの冬2番目か、朝7時に玄関先の温度計は氷点下1、5度を示していた。庭の菜園の大きなタアサイが真っ白になっている。1222toujitobiitarou_003

 日課の体操をしたあと、老犬ビータローに給餌。今日は温めた牛乳をかけて食べさせた。1222toujitobiitarou_001

 犬は犬舌だが、買い餌の方は冷たいので、ちょうどぬるくて食べやすいようだ。

 手前の白っぽいガラスのようなものは、ビータローの給水バケツに張っていた氷。1222toujitobiitarou_004

 食べ終わった空の器に氷を入れてみる。

・・・な、何ですかな、これは。

―氷だよ。向こうに見えるお前の水バケツに張っていたんだ。1222toujitobiitarou_005

・・・ヒャー、驚いたね、どうも。こんなもの食べられるんですかい?

―そんなに大袈裟に腰を抜かさないでくれよビータロー。お前は何でも食うのが健康の秘訣だって、言って・・いや、行動で示していたじゃないか。

(これまで、大根や人参なんか、よく食べたよな)1222toujitobiitarou_006

―ほら!

・・・どれ、どれ、ほう、匂いはあまりしないけどね。

 と口にくわえ、ちょっと齧ってみせたビータローであった。

 (もうすぐ、年が明ければ17歳になる愛犬ビータロー)

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崩れつつある「邪馬台国畿内説」

畿内大和では最も古いと言われ、卑弥呼の死亡年代の3世紀半ばに築造されたと認定されている奈良県桜井市の「ホケノ山古墳」。

 そのすぐ東隣りにある「堂ノ後(どうのうしろ)古墳」は4年前のレーダー探査により前方後円墳であることが分かり、しかも、ホケノ山古墳の周濠の造成で一部が削り取られているため、ホケノ山古墳よりさらに古い――と、当時、一大発見視された。(ニュース1

 しかし、今年になって桜井市教育委員会の発掘調査で、前方部から「葺き石」と「埴輪」などが見つかり、その製作年代からは5世紀後半であることが確実になった。(ニュース2

「ニュース2」の産経新聞の記事では、堂ノ後古墳を一部削り取って造成したホケノ山古墳と近くの纏向(まきむく)石塚古墳とを挙げて

<これによって、最古の前方後円墳は、ホケノ山古墳をはじめ、約1キロ北西にある纏向石塚古墳などに絞られることになった。>

 と書くが、ホケノ山古墳は記事にもあるように、堂ノ後古墳を削っているのだから、堂ノ後古墳より新しくなければなるまい。つまり5世紀後半をさかのぼることはない古墳だということがはっきりしたわけで、なぜ「堂ノ後古墳はホケノ山古墳より200年以上新しいことが分かった」とするのだろう。まだ、「ホケノ山は最古級」という先入観が記者の頭にこびりついて離れないようだ。学問的(客観的)ではない。

 こびりついて離れない――と言えば、「箸墓古墳は卑弥呼時代のもの。それどころか卑弥呼の墓そのもの」という先入観も邪馬台国畿内説を支持する研究者やファンの頭にデンと居座っている。

 そもそも「魏志倭人伝」の道程記事を行程と日数と方向を改変せずに読む限り、邪馬台国が九州島を離れることはありえない。

 それなのに、「大和(やまと)=ヤマタイ」としたい「大和王朝畿内自生論」を大前提とした畿内説は、どうしても自説を補強したいがために考古学を援用し、「最古の列島の王者の墓、つまりホケノ山古墳などのような最古の前方後円墳が畿内大和にあるじゃないか」と言い続けてきたが、今回その支え柱の一角が崩れることになった。

 「いや、まだ箸墓はじめ纏向石塚古墳などがある」と強弁は可能だが、ホケノ山古墳の築造年代の決め手となった周濠などで発見される木の一部の「年輪年代法による測定」も、果たして正確なのかどうかあやしくなってきた。

 私見は九州説で、邪馬台国は福岡県八女市周辺だろうと考えている。八女市には3世紀の巨大古墳も、たいした発掘物もあるわけではないが、それは南の熊本県にあった狗奴国によって併呑されたが故に、暴かれて破壊され、持ち去られたと考えることもできる。

 そして投馬国という戸数5万戸の国が「古日向」にあったとも考えている。古日向とは今の鹿児島県と宮崎県を併せた領域である。とてつもなく広いが故に5万戸もあったのだ。さらに言えば、その火山性風土のため、どうしても交易(海上交易)が欠かせなかった国で、航海的生業に突出した国柄であった。そのことが「鴨着く島(かもどくしま)」と言われたゆえんである。

 いずれにしても、邪馬台国は畿内にはなかった。「じゃあ、なぜ、大和(やまと)?」と言われるかもしれないが、逆に質問したい。

 「なぜ、大和(タイワ)が、や・ま・と、なのか」と。

 大和の前身は「大倭(タイワ)」であり、その大倭(国)は北九州にあった。倭人伝には「市が立って国々は交易をしているが、その監視をしているのが大倭であった」というふうに書いてある。「大倭」の謂れは書いてないが、おそらく「倭人国家連合」のようなものだろう。

 それを当事者の倭人たちが「われわれは大倭だ」と言ったのか、倭人伝を書いた陳寿のような史官が造語したのかの判断はつきかねるが、その大倭こそが朝鮮半島に帯方郡が置かれ、魏王朝の圧制の南下が企てられた頃(3世紀半ば)に、九州北部から畿内大和へ王権を遷した。それゆえ大和地方に「大倭王権」が誕生し、のちに「倭」を「和」と変えたのである。

 さて、その「大和(タイワ)」を「やまと」と呼んだのは、邪馬台国(の女王・卑弥呼)にちなんでいる。これについては大和王権畿内自生説論者と変わるところはない。

 九州で狗奴国に併呑されて滅んだとはいえ、邪馬台国は当時最大の王朝・魏から「親魏倭王」という倭人では最高級の王権であると認められたのである。その「ヤマタイ(→ヤマト)」を残したのだろう。襲名した、と言ってもよい。

 で、「ヤマタイ」とは何か?

 私見では「アマツヒ」という倭語の「漢語訳」である。「アマツヒ」とは漢字で書けば「天津日」であり、ようするに「太陽になぞらえられる天上の日」のことで、「日」は「霊」と置き換えてもよい。この「amatuhi」の語頭に「y」が付けられて「yamatuhi」と発音され、漢字で「邪馬台」と卑字的に表現されたのだ。

 「yamatuhi」と発音したのは、当時の中国人使者だったか、倭人伝を書いた史官だったかは不明だが、とにかく倭人の「アマツヒ」が「ヤマツヒ」となり「ヤマト」と変化した。そして、畿内大和に遷った北部九州の「大倭王権」が自らを「タイワ」ではなく「ヤマト」と呼ぶようになり、漢字も「大倭」から「大和」と、好字に改めたのである。

 以上が私見の概要だが、よく言われるような「九州北部の邪馬台国そのものが畿内大和に遷った」という「邪馬台国東遷説」を私は採らない。あくまでも邪馬台国とは別に北部九州にあった「大倭」(倭人国家連合)が遷ったという考えである。この年代は3世紀後半で、記紀では「祟神天皇(ミマキイリヒコイソニヱ)」がその当事者であったろう。

 またこれより先に南九州から畿内への移住者集団がいた。その主体は投馬国(古日向)であった。これを記紀は「神武東征」と描くが、その時の王こそ神武天皇の皇子と書かれた投馬国王・タギシミミである。タギシミミとは「タギシ」の「ミミ」で、「タギシ」は「船の舵(かじ)」、「ミミ」は倭人伝にあるように「投馬国の王」で、併せてみると「(投馬国の)船舵王」つまり「航海王」を意味する。船団を組んで移住するには、うってつけの王であり、王名でもある。

 この点について、賛同者は少ない。なにしろ五万戸もある投馬国が「素寒貧のあの南九州」にあるわけがない、というおなじみの「南九州=クマソ国=大和王権に逆らうソジシの空っぽの貧しい地域」という先入観が頑として受け付けないでいる。

 もうそろそろ目を覚まして欲しい。海からの視点で歴史を振り返るべきだ。なにしろ大陸からあるいは半島から「高文化がやって来た」としながら、それが航海民を仲介としなければやって来るはずもないのに、その航海民について「そんなの関係ねー」では済まないだろう。

 そのような航海民を束ねる王者は、南九州発祥の「鴨族」、北部九州の「安曇族」「宗像(胸形)族」など、九州島の海民たちの中から輩出している。その一人が古日向の投馬国王・タギシミミであった。(未完だが、今日はここまで)

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桜島の「屁」の臭い!

数日前のこと、朝、家内が庭へ野菜を採りに行って戻ってくるなり、

 「お父さん、何か臭うのよね」

―何が臭う?

 「硫黄みたいな臭いが・・・」

―う、・・・・・。(しまった!―しかし、何で?)

(まさか、そんなに鼻がいいとは思わなかったな・・・。)

 いつものように朝の6時半頃から「バーベル負荷付きラジオ体操」をしている。第一、第二と約10分間を、この12月で1年経過したのであるが(すごい!けれども、肝心の五十肩は治っていない)、体操の途中でよくあることだが、例のガスを噴出したのであった。

 ごく稀であるが、かなり臭いやつも出る。たいてい前の日に飲みすぎたり、ご馳走を食べ過ぎたりが原因だが、それでも、その朝は、放ってから5、6分は経っていたはずだ。

(それが、まだ、残っていたのかよ・・・)

 と、その時、「このごろ、よく同じ臭いがするんだわ」と家内。

―よくって、昨日もか?

 「うん}

―本当に?

 「うん」

(それは、変だ。昨日は断じてしていない!・・・ああ、そうか!)

―分かった。桜島だ!昨日はずい分降って、道路にうっすら積もっていたよ。灰の臭いだな。

 「なるほど、灰(へ)の臭いなんだ」

 家内も納得したようであった。(やれやれ、嫌疑は晴れたぞ)

 鹿児島弁では「灰(はい)」は「へ」と発音する。ちなみに「蠅(はえ)」も「へ」だ。

 桜島は今日もまた「屁(へ)」をこき、北西の風で大隅半島に「へ(灰)」を送り届けている。

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オバマ大統領のオスロ演説

ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーのオスロで行われ、アメリカのオバマ大統領が受賞者演説を行ったが、「平和より戦争を容認している」とのクレームがついた。1211obamafusai_002

 写真は、授賞式が行われたオスロ市庁舎のバルコニーで観衆に手を振るオバマ大統領夫妻。(TBSテレビ画面より転写)

 「平和を実現するためには戦争も辞さない」という論法だが、これはかのクラウゼビッツの『戦争論』つまり「戦争は政治の一手段である」――を思い出させる。これが、帝国主義的世界大戦を引き起こした元凶とまでは行かないが、大きな促進要因となった史実がある。 

 おいおい、オバマさんよ、大丈夫かいな。場所を弁えろよ、と言いたくなるが、彼の受賞理由は「核廃絶宣言」(プラハ宣言)であったから、「プラハでは戦争に絶対、核は使わないために廃絶するとは言ったが、通常の戦争を止めるなんて一言も言っていない」と開き直ることは可能である。

 平和賞受賞決定後に「アフガンへの兵士増派3万人」を打ち出していながら、ノーベル平和賞の授賞取りやめなんてこともなかったので、オバマも調子に乗って文字通り開き直ったのだろう。

 鳩山総理の、母親からの寄付だか貸付なんだか分からない多額の資金流入に対して、経緯は十分承知しているくせに「調査の結果、寄付金であったと認定されたら、それなりの措置はします(加算税とやらを払いさえすればいいんでしょう)」と、開き直っているのと好一対だ。

 しかしこっちはみみっちい話だ。マザコンというだけの話ではないか。

 だが普天間基地移設問題では、相当にアメリカに対して開き直っている。これは歓迎する。そんなことをやってアメリカを怒らせたらどうする、という声が聞こえそうだが、アメリカが怒るとどうなるのだろうか?

 普天間はもとより沖縄からの米軍撤退を招く。

――そうなりゃ、沖縄人には最高だろう。

 いや、日本の安全保障上、極めて憂慮すべき状態になる。仮想敵国の中国・ロシアの侵攻を招く。

――じゃあ、聞くが、もしそうならアメリカが撤退した台湾なんてとっくの昔に中国に侵攻されて、中国の一省になっていそうなものだが・・・。中国は以前から「台湾は中国の一部である」と国際的にも宣言しているのだから、攻め込んでも「侵略」とは言われないだろう。なぜ、侵攻しないのだろう?

 台湾が核ミサイルを持っているからだ。

――核だけのことだろうか。もし中国が本気で攻めようと思えば「肉を切らせて骨を斬る」というように、相当の被害は覚悟の上で攻め込めば、陥落は訳もないだろう。中国が本当に怖いのは実は国際世論なのではないか。今日のように全世界的に情報の共有化が進んだ社会では理不尽な暴力か否かの判定は即座に知れ渡り、落ち度のない国(この場合は台湾)への侵攻は完全否定されるだろう。まして日本に対しては何の理由があって攻めてくるというのだろうか?<アメリカ様は共産主義の脅威から日本を守ってくれている。米軍がいなくなったらそれこそ大変だ>と洗脳され過ぎているのではないだろうか?

 だが、もしもということがある。その時はどうする?

――日本も非核は守りつつ、自国を守るための軍隊は整備し、万が一に備えるのは当然だ。そうした上で、もし、万が一、彼等が攻めてきたら、まずは緊急体制を敷いて防戦し、そうした上で国連安全保障理事会へ提訴する。

 提訴なんかしている間に完全制圧されてしまうよ!!

――いや、それでも提訴だけはしておかなくてはならない、たとえ制圧されても。日本に戦闘の意思がないのに攻め込むのは、完全な侵略だ。国際世論がそれを許すはずがない!!

 制圧されてからじゃ、遅いだろ。あんたには国を本当に守ろうっていう意志がないのかね。

――いや、アメリカに守ってもらおうっていう意志がないだけだ。自分の国は自分たちで守る!

 オバマ演説から、連想が連想を呼んでしまったが、私見では、アメリカが本当に中・露の侵攻から日本を守ってくれるのかというと、相当にあやしいと思う。

 なにしろ、米・中・露はかっての連合国の仲間で、国連では英・仏を加えた五大理事国のメンバーなのである。駐留米軍は日本を守るためにあるのではなく、かっての敵国として、再び軍事的に大きくならないための監視の意味合いが強いのだ。それを証明するのが、未だになくなっていない国連憲章上の「敵国条項」である。

「もう一度戦争をしてアメリカに勝てば、そんなのは消えてなくなる」という考えもあるが、そんなことはもう不可能だ。

 それより鳩山さん、開き直りついでに、オバマより大きく世界にこう言ってしまいなさい。

「2010年1月1日をもって、日本は武装永世中立国家となります」――と。アメリカが慌てても構わずに、国連に承認を求めなさい。国連加盟の多くの国は賛成するだろう。なぜなら、ふさわしいからだ。日本は戦後64年間、一度も他国へ侵攻したことも、それを匂わすようなことすら言ったことがないし、もちろんやったこともない世界でも稀な平和国家なのである。

 おそらく米英仏中露の常任理事国も積極的に「反対する」とは言わないだろう。いや、言えないだろう。なにしろ理由がないから。戦後の日本の実績をつぶさに検討したら、日本ほど全世界の中で、平和を基軸にして動いて来た国はない。堂々たる平和国家なのである。文句を言われる筋合いは微塵もない。

 その際、米軍に代わって「国連軍」の駐留を求めればよい。また、武装の内容も国連の査察に委ねればよい。やましいことは何にもないと堂々と披瀝すればよい。

 来年の初夢はこれで決まり。

 

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霜の朝

ここ一週間ほど、セキと痰に悩まされている。

 ことの始めは強烈な喉の痛みだった。唾を飲み込むのも痛いほどだったが、それは二日で取れた。しかしそのあと鼻から膿汁が出て、痰も絡むようになった。

 熱は平熱より1℃までは高くなるが、それ以上にはならない。悪寒は全く無い。だから仕事は普通にできるし、さほどの疲労感もない。

 「ただの鼻風邪くらいなのだ、心配するな」と心の中の強気な自分が言っている・・・ので、そういうことにしておこう。

 ところで、昨日は暦の上の「大雪」だった。それに合わせたかのように鹿屋地方は厳しい霜が降った。最低気温はこの冬初めて氷点下を記録した(気象台発表では-0.6℃)。惜しむらくは、写真に撮れなかったことだ。

 寒さのため、夜中に二度もトイレに起きてしまったtoilet。で、ご想像通りの朝寝坊think。大慌てで職場に向かう途中の畑の白さにびっくり、後悔しきり。

 今朝は6時半には起きて、すぐ庭に出てみると、はるか南側の畑がうっすらと白いではないか。老犬ビータローに餌をやるとすぐに走って行った。1208shimonoasa_001

 昨日ほどではないが、それでも十分に降っている。

 玄関先の寒暖計では4℃を超えているのにこの霜は、放射冷却のせいか。1208shimonoasa_002

 それにしても植物は強い。モチクサ(ヨモギ)の葉が一見すると雪の結晶のような鮮やかな縁取りを見せていた。

 去年の初霜はちょうど12月1日で、前半は寒い冬だった。今年もそんな気配がする。

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事業仕分け

民主党政権になって最大の見せ場が「事業仕分け」だ。

 予算計上された国の3000ほどの事業を「ムダはないか」の観点から、予算案が国会審議に付される前に、政治主導でやっておこうというもので、それ自体は素晴しいものである。

 なにしろ一般国民には目に入らなかった予算計上の合理性・不合理性を公開の場で「仕分け」しようというのだから、国民の耳目を引かずにはおかない。

 450くらいの仕分けが済んで、削り取った金額は一兆円規模になった。民主党は3兆円までは行けるだろうと意気込んでいたようだが、そこまでは無理だろう。

 ムダを省くというのは一般論としては歓迎するが、科学や教育振興の分野にはムダも必要だ。というのは、科学は膨大な実験や資料の集積があってはじめて成り立つ分野だからだ。その膨大な実験や資料の蒐集には、相当な金と暇がかかる。

 今回、科学者、中でもノーベル賞受賞者や大学学長などから批判が相次いでいる。当然のことだろう。

 もしこの事態が本当になれば、つまり「科学研究への投資はムダ」という事態になったら、喜ぶのは中国をはじめとする後発先進国だろう。というのは、予算が付かないことで日本の科学技術研究が遅れれば、その間に彼等が研究をどんどん先に進めるだろうからだ。

 しかし、それより怖いことがある。それは、日本の先端科学者の引き抜きである。

 「あなたの研究にたっぷり予算を付けてあげますから、わが国に来ませんか」と、中国をはじめインド、ブラジルなどの後発先進国が金の糸目をつけずに招聘を申し出たら、かなりの先端科学者は行くのではないだろうか?彼等はてぐすねを引いて結果を見守っているかもしれない。

 そんなことは杞憂であって欲しいが、世界が競い合っている先端技術の分野では、この先、何があってもおかしくない。かなり以前からそうだが、科学の分野に国境はなく、アメリカなどではそうやって優秀な科学者を集めたのである。

 あまりに近視眼的な事業仕分けは、日本の将来に禍根を残しはしないだろうか?

 

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卑弥呼の宮殿?

今夜のNHK『クローズアップ現代』では、今年になって奈良県の纒向遺跡で発掘された巨大な宮殿状の建物は邪馬台国の卑弥呼の宮殿ではないか、そう考えると邪馬台国は大和にあったという説が有力になる――との紹介を行っていた。1116himikonokyuuden_003

 キャスターの国谷裕子さんには悪いが、「NHKお前もか!」と叫びたくなる。

 朝日新聞を頂点とする大新聞は、おおむね邪馬台国は大和地方にあった、という説に傾いているのだが、NHKはこの手の発掘事象には距離を置いて「・・・という出土品は邪馬台国畿内説を裏付けるもの、などと研究者は言っています」というような冷静な報道をしていた。

 しかし、今夜は驚いた。有り得ようもない邪馬台国畿内説を、NHKが後押ししたかのような報道であった。1116himikonokyuuden_002

考古学者、とくに奈良、大阪の人たちは「邪馬台国は大和で決まり!発掘すればするほど証拠があがってくる」と執念を燃やしている(写真は現・兵庫県立考古博物館館長の石野博信氏)。

「ご当地ナショナリズム」の本家本元のようになっているのだが、奈良大和は古代史では紛れもなく「中心地」であったから、うっかりすると「それもそうだなあ」と引きずり込まれるてしまうが、邪馬台国は断じて大和ではない。1116himikonokyuuden_001

 写真は当時の纒向遺跡だが、ここを邪馬台国の中心としたい研究者は、右隅に見える「箸墓古墳」をどうしても卑弥呼の墓にしたいので、20年位前は4世紀前半の構築だとしていたのが、10年前には3世紀末、そして5年前になると3世紀半ばとどんどん時代を上げ、卑弥呼の時代に合わせて行った。

 そして今度の発見であるから、鬼の首でもとったように「やはり邪馬台国は大和、それも纒向遺跡が中心」と大騒ぎだ。1116himikonokyuuden_004

 確かに復元した宮殿らしき建物は巨大である(横約20m、縦13mの80坪くらい)が、大きさだけで言えば、すでに縄文時代約4000年前の三内丸山遺跡でも同じような巨大な集会所的な建物が建てられていた。

 ここより300年近く古い佐賀県吉野ヶ里遺跡でも、大きさはこれほどではないが、宮殿様式の建物は存在している。1116himikonokyuuden_005

 <宮殿状の巨大な建物の他に、古代飛鳥で確立した「直列した宮殿」と同じプランで、4つの建物群が一直線で並んで建設されているから、これは王宮である>との説は受け入れるにしても、これが「邪馬台国女王・卑弥呼の宮殿」である必然性はない。

 九州島の邪馬台国だけでなく、当時列島の到るところに「卑弥呼もどきの女王(男王でもよい)」がいたと考えて何らおかしくはない。この宮殿もその「卑弥呼もどきの王」の宮殿であったのだろう。

 邪馬台国はなぜ畿内にはない、と言えるのか?

 それは『魏志倭人伝』の半島の帯方郡から邪馬台国までの行程(道順と所要日数)を素直に解釈すればそうなる。

 結論だけを言うと、「帯方郡から女王国までの総距離は1万2千里(=水行10日、陸行1月)」「帯方郡から九州北岸の末盧国までの総距離は1万里(=水行10日)」の二つの命題から、「九州北岸の末盧国から女王国までは2千里(陸行1月)」と解けるからで、末盧国からはもう水行はしない、つまり陸行2千里の距離のところにあり、所要日数は1ヶ月であると言っている。すなわち、

 <九州北岸からは歩いて1ヶ月、距離にして2千里のところが「邪馬台国」の所在地

 これが『魏志倭人伝』による結論で、したがって九州島の内部にあるという事になる。であるから「畿内説」など成り立つ余地は全くない。

 どうしても畿内に3世紀の当時に立派な王朝があったと主張したいのであれば、ここはもう『魏志倭人伝』など無視して、あの本居宣長のように(正確に言えば弟子の鶴峰茂甲だが)「魏に使いしたのは九州の女酋長で、蛮夷でありながら、大和王朝をかたらって勝手に朝貢したのである。大和王朝はそれとは関係なく大和地方に厳然と存在した」(『襲国偽僣考』)というような説を唱えてもらいたいものだ。

 『魏志倭人伝』には、九州島の東、海を千里渡った所にも「倭種(人)」がいる、と書いてある。倭人は何も九州島だけに限ったものではない、とちゃんと触れている。ただ国交が無かったから詳しく書かなかっただけの話なのである。だから当時の九州島の邪馬台国はじめ狗奴国、投馬国に匹敵する王国が畿内初め諸処に存在したのであって、その中でも大和の纒向遺跡周辺にあった「○○王国」がかなりの国力を有していたことを否定するものではない。

 私見では、3世紀の九州島の邪馬台国に匹敵する当時の大和の王国は、『山城国風土記』にあるように南九州から渡っていった「鴨建角身(カモタケツヌミ)」の開いた葛城王国の分派だろうと考えている。1116himikonokyuuden_006

 今度の発掘では列島各地の土器とともに、「舟形木製品」が多数発見された。

 これなどはまさに、九州島から船で到来した記憶がつくらせた造形品ではなかろうか?

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更なる進化―七族協和?

朝日の中に匂う菊たち・・・と言っても、花粉症アレルギーの影響で著しく嗅覚が劣ってしまったわが鼻にはほとんど匂わないのだが、今朝、よく調べてみると、花弁の種類は五種をこえて七種になっていた。

 まずは、原種。11147shunokiku_001

 6年前、新築の家の庭に10本ほど植えたのが、この色の菊で、癒される藤色である。11147shunokiku_002

 2年後に現れたのが純白。清々しい。11147shunokiku_005 

 その翌年には、ツートンカラーの自称「日の出菊」が作出(?)された。

 真ん中部分は藤色の原種そのものだが、花弁の先端部は白。上の2種の自然交配かなと考えている。

 ところがよく見ると、下の4,5花は黄色に変化しつつある。真ん中の藤色が薄れて、先端に移行し、その結果先端の白を含め全体が黄色くなって行っている。11147shunokiku_004

 黄色はすでに去年の段階で作出されていた。

 これが去年からの株だが、隣りのピンク系に押されて、やや小ぶりの元気のない花を咲かせている。黄色と言うよりクリーム色と言ったほうが良い。

 で、そのピンクが今年は優勢だ。11147shunokiku_003

 ピンク色の菊が、かなり勢力を伸ばしてきた。11147shunokiku_007

 ピンク系は八重咲きも現れた。

 庭の水道の蛇口に近い犬走りのコンクリートと、砂利の間に落ちた種から伸びた株である。日当たりだけは良いが、逆境に近い環境から、よくぞここまで。

 「根性ピンク菊」と名付けるか・・・。11147shunokiku_006

 一方で、数は少ないが、濃厚な藤色もちらほら現出している。

 これは殖やしたい一品である。来年の春、挿し芽をしてみよう。 

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五族協和な菊たちー2009

おとといの夜、9時10分くらい前だったか、ブログを書こうとしていたら近所に落雷があって、インターネットが不通になってしまった。

 7時半頃から雨足が強くなり、遠くでかすかな雷鳴と光が見えていたが、まさか近所までやってくるとは思わなかった。しかもあと15分くらいは大丈夫だろう、10分してからコンセントを抜けばいい、と思っていた矢先にいきなりの轟音とともに光が走り、停電になった。

 幸いパソコンに異常はなく、その代わり電話回線の取り入れ口がやられたようだ。翌朝、NTTに連絡をいれ、夕方までには復旧した。隣家では電話回線だけでなく、家庭電源口までがやられたとのことで、今朝も電気工事業者がやってきている。雷は隣家を直撃したのかもしれない。

 今日は午前中、仕事が休みなので書いているが、おととい何を書こうとしていたか、テーマは思い出すのだが、どんな筋書きで書くはずだったのか忘れてしまった。・・・ので、朝、体操のついでに、庭の菊を撮ったのを載せることにし1112gozokukyouwakiku2009_003 た。

 ようやく菊日和、と言うには、この頃やけに雨が多いが、それでも順調に咲き始めている。今年は「日の出菊」(オリジナル命名)の中に純白の菊がちらほら見えている。去年は黄色のが現れたが、今年は白だ。

 花びらの形や付き加減は「日の出菊」とほぼ同じだが、色は真っ白。真黄色よりは気品が感じられる。1112gozokukyouwakiku2009_001

 玄関先に咲き揃いつつある五種類の菊。名付けて「五族協和の菊たち」がそれぞれの色や形を現している。1112gozokukyouwakiku2009_004

 これら五種は右手にある藤色の八重の菊が元になっている。

 写真では分かりにくいが、手前が「日の出菊」、その左上が色の濃い八重菊、さらにその左上の一叢が薄いピンク色、そして原種と濃い八重菊の間に7,8本の純白の菊が見えている。

 原種を入れて、都合、五種。オリンピックだ。オリンピックは肌の色を超えてともに汗を流し合おう――と始まった。

 日本の満州統治も、五種の民族(日本・朝鮮・漢・満州・蒙古)の違いを超えて仲良く発展しよう――が理念だった(日本が戦争に敗れたので、負ければ賊軍とばかり、あの統治を侵略だなんだかんだ、と言われるが、極東軍事法廷=東京裁判で、満州については何の罪にも問われなかった。調べても人種差別や虐待などなかったからだろう)。

 清々しい朝に、戦後の誤った戦前観を非難するのは本意ではないが・・・・・、あ、今、思い出した。

 あれだ、11月8日(日)の夜、NHKで放映された『秘録・北朝鮮の核をめぐる交渉』とかいう番組だった。

 小泉総理のとき、2回平壌を訪れて、北朝鮮最高指導者・金正日と結構長い会談を持ったが、その中で小泉総理が「核を放棄すれば、国際社会から相当な援助が期待できるのだから、是非そうしなさい」と言っていた。そのことは当然考えられる内容だが、私は次の総理の言葉に引っ掛かるものを感じたのである。

 「日本も、戦前は孤立化の道を歩み、そのために戦争を引き起こす羽目になった・・・」

 戦前、日本がことさら「孤立化の道」を歩んだなどと言うのは、全く歴史認識が誤っている。なぜなら1902年に結んだ「日英同盟」はちゃんと保持しているし、1941年の4月には「日ソ中立条約」を結んでいる。

 また、軍事的な交渉では、1921年にワシントン条約、1930年にはロンドン条約を締結している。

 今、北朝鮮がやっていること(というか条約や協定をそもそも結ぼうとしないこと)と戦前の日本が正式に交渉をしていたこととを、一緒にしてもらっては困るのだ。北朝鮮はクリントン国務長官が指摘したように「耳を貸そうとしない、駄々っ子」であって、戦前、日本が欧米流の外交交渉にまずは真面目に対応してきたのとは全く違っており、比較にすらならない問題なのである。

 むしろ戦前の日本は、欧米流の国際法なり外交交渉なりをちゃんと取り入れて発展したのだが、発展しすぎたために欧米(主流は英米だが)から非白人・非キリスト教という観点から異端視されたこともあり、「孤立化させられた」のである。

 「俺たちの植民地分捕りゲームに、東洋の黄色いおかしな野郎が入り込んできたが、あんなのつまみ出してやれ」とばかり、じわじわと包囲網が作られたのだ。

 早い話がこういうことであった。

 こんな真実も、対米戦争に負けたために、オセロゲームのごとく、すっかりひっくり返され「日本から進んで孤立したのだ」「日本から進んで侵略したのだ」という「すべて戦争への道を進めていったのは日本のせいだ歴史観」がまかり通っている。一国の総理にしてしかりだ。情けない。

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夫婦別姓

鳩山内閣の千葉景子法務大臣は「夫婦別姓」に非常に前向きと聞く。

 「夫婦別姓」の論議は、もう20年位前になるだろうか、ある大学教授だったか講師だったかは忘れたが、学会の発表論文などで結婚前の姓名が定着しているので自分はこれからも「旧姓」を通したい――という趣旨で裁判に訴えた女性研究者がいて、随分話題になった、と記憶する。あれから別姓論議がやかましくなったと思う。

 自民党政権では、「別姓にすると家族の一体感が薄れる」という考えが支配的で、結局日の目を見ることはなかったが、今度の法務大臣は違う。やる気まんまんのようだ。

 実は別姓論議にはフェミニストの後押しがある。千葉法務大臣の別姓へのモチベーションもそこに根拠があるのかもしれない。

 しかしよく考えて欲しい。現在の日本人の姓は確かに男系で、おそらく結婚したカップルの95パーセントは夫の姓を名乗っているし、妻の姓を名乗る場合でも、実はその姓は妻の父方の姓がほとんどなのだ。

 何のことはない、女性の側でも結局は男系であり、ただ自分が幼少のころから馴染んでいる姓だから、父方の姓をそのまま名乗りたいというだけに過ぎない。そこには自分の母方への配慮はない。母よ怒れ!

 もし、公平に姓を選択するのなら、夫方の父母の二つの姓と、妻方の父母の二つの姓の都合四つの姓から選択をしなければなるまい。

 それに子どもはどうする? たとえば20歳になって自分の希望の姓を選択するというのでは、もしそれまでと違った姓を選択した場合、彼(彼女)のそれまでは何だったの??という疑問にさいなまれるだろうし、親の希望と合わなかったりしたら親子喧嘩も頻発するだろう。まして「何とか相続」などが絡んでくると、紛争はより大きくなるだろう。

 そこまでして別姓にする意味が分からない。

 そもそも姓なんてそんなに大切なものなのだろうか?「いやあ、俺のうちはもと貴族でね。姓で分かるだろう?」というような手合いがはびこるだけではないか。だいいち日本国で最も高貴なる家系である天皇家には姓はない。

 明治になって万人に姓が付いたわけだが、その志やよし。どうしても別姓をという人には明治の造姓に見ならい「ペンネーム」(今ならブログのネームか)という形でどんどん名乗ったらいいのだ。わざわざ法制化する必要はあるまい。

 

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