かのやばら園2012春祭り(2)

 5月4日に出かけた時はまだ2~3分咲きだった薔薇が、今日行って見ると6、7分になっていた。見応えは十分だ。Cimg3541
 それにしても客の数は半端ではない。駐車場も芝生広場までびっしり埋まっていたが、入り口付近も人を掻き分けて歩くくらいの混雑であった。Cimg3542 Cimg3556 つるバラのアーチも来園者を歓迎するかのように色とりどりだ。Cimg3561 大輪のヨーロッパ系の改良種が圧巻である。Cimg3559 9日前に来た時はほとんど何も咲いていなかったイングリッシュ・ローズ園が1分咲きになっていた。ようやく花をほころばせ始めたようだ。改良種の大輪と違ってバラ本来のおっとりした色と形だ。Cimg3544 折しも野外ステージでは沖縄の太鼓踊りである「エイサー」が演じられていた。Cimg3546 沖縄の太鼓踊りは鹿児島のが「戦意高揚・士気を高める」という由緒なのに比べると、こちらは事の始まりは宗教的なものらしい。「弥勒世(絶対的平穏)をこの世に迎える」というようなコンセプトで、本土では「法華の太鼓」(念仏踊り)に該当するようである。Cimg3553 演奏しているのは「鹿屋エイサークラブ」といい、わずか9名の小さな同好会だが、ばら祭りでは春と秋に演奏し、そのほか学校やいろいろな所で太鼓踊りを演奏しているという。

 会員を募集中だそうだが、痩せたいと思う者にはいいかもしれない。それほど激しい踊りである。Cimg3564 かのやばら祭りは6月3日の日曜日まで続く。




















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神川大滝(かみかわおおたき=錦江町神川)

 十数年ぶりに神川大滝を訪れた。

 錦江町(旧大根占町)に所用があり、大根占の中心部から大根占運動公園を経由して宿利原(やどりばる)まで行き、そこから神川方面へ下りきると左手に神川大滝がある。

 以前と比べて違ったのは滝の手前に「茶屋」(食堂とそうめん流し)が設けられたことだ。Pt350227_3 神川に架かる「ふれあい橋」から望む「神川茶屋」(白壁と屋根が見えている)。Pt350225 神川茶屋から100㍍も行くと水量豊かな大滝が迫る。

 高さ35m、幅20mの、神川では最大の滝が水しぶきをあげ、マイナスイオンを撒き散らしながら轟々と落ちてくる。Pt350221 神川大滝公園からは螺旋階段などを登り、15分ほどで川の上空70㍍にに架かる人道橋(吊り橋)に登ることができる。

 130㍍の長さの橋の上からはまた違った大滝を眺めることができる。Pt350222 数万年前に噴出した阿多カルデラからの溶結凝灰岩を削り続け、神川海岸からここまで後退してきた大滝だが、滝の上はなだらかな凝灰岩の台地になっているのが見て取れる。

 滝壺のほど良い丸さが流れ落ちる滝の荒々しさと絶妙のハーモニーを醸し出している。自然の造形の妙がここにある。

















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かのやばら園2012春祭り(鹿屋市霧島ヶ丘公園)

今日は海上自衛隊鹿屋航空隊が主催する「エアーメモリアル2012」の開催日だったが、夕べから雨が明けても続き、おまけに北東の風がかなり強かったので航空ショーのほとんどが中止になった。

 昼からは少し天気も持ち直してきたので、ブルーインパルスのアクロバット飛行はあるかもしれないと、家から東へ2キロほどの霧島ヶ丘公園へ上がって眺めようと思ったが、やはり中止になったらしい。残念だが仕方あるまい。

 その足でかのやばら園に行ってみた。今年は寒さのため桜の開花も遅れたが、バラも例外ではなく3日前の27日に「2012年春のばら祭り」はオープンしたのだが、市のホームページで開花は三分程度、新しく整備された「イングリッシュローズガーデン」はほとんど咲いていないとのことだったので、連休の最後かその次の日曜日あたりに行ったほうがよいと思い、行くつもりはなかったのだが・・・・・、こうなればしょうがない。015 入り口まで来てみると、意外に入場者は多かった。航空ショーの見物客の流れだろうか。014 つるバラがお出迎えだ。012 なるほど三分咲きである。004 やはりプリンセスカノヤのコーナーに足が向く。ここは二分咲きというところだ。005 たしかに見ごたえのあるバラだ。010去年すさまじく枯れたバラであったが、その後イギリスから援助の手が差し伸べられ、新たにイングリッシュローズが数千本植えられた。011上から俯瞰してもほとんど花は見えない。009バラの女神像の近くまで行ってみると、ここは結構咲いていた。オールドローズが中心ということで、花模様は地味だが、確実に咲くだろう。

 整備をしていた職員に聞くと、花の周りにはすべてバーク堆肥(木の皮を発酵させたもの)を敷き詰めてあり、本園の鮮やかなバラが盛りを過ぎる頃に満開になるだろう、とのことであった。

 楽しみにして待つことにしよう。






















 

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『大隅55号』の発刊

大隅史談会の会誌『大隅』の55号が完成した。これを受けて4月22日(日)に監事を含めた役員7名が集まって役員会を開き、55号のお披露目と前年度の事業報告・決算と新年度の事業計画などが話し合われた。

 ここ3年、会誌の編集(メモリーへの印字)を大隅史談会事務局で行い、印刷所へ編集なったメモリーを持参して印刷・製本のみを依頼することにしたので、コストは大幅に軽減し、それに伴って毎年10万円くらいの余剰を見るようになった。

 会誌の発行以外に自由に使える資金が確保されたので、今年から事業として歴史家または考古学者などを招いて研修会や学習会を開催してはどうかと提案したところ、大方の賛同を得たので、今年秋には誰か講師を招いて大隅半島の歴史解明に前進したいと思う。

 人選と研修会のやり方はこれから煮詰めるとして、今年がその第一歩になり、新たに若い会員を獲得して行きたいものである。

 さて、以下に『大隅55号』の紹介をしたい。

 008 『大隅55号』

 平成24年4月発行

 発行者:大隅史談会

 

 【目次】

 1 古事記神話と南九州(1)                松下高明

 2 邪馬台国九州説の諸相(1)              松下高明

 3 象嵌装大刀と大隅隼人                 武田悦孝

 4 神功皇后の出自をめぐって               松下高明

 5 古日向について                      江口主計

 6 ハート文様の出現を植物文様から見る        隈元信一

 7 垂水市本城に復元された古石塔について 

         ― 本城石塔群との関係 ―        隈元信一

 8 平安末期から鎌倉時代の垂水の領主達       隈元信一

 9 道隆寺跡六地蔵原型復元                福谷 平

10 長能寺墓地今昔                     竹之井 敏

11 肝付氏歴代の墓地整備について           竹之井 敏

12 和泉式部・性空上人・内之浦              佐々木実然

13 伊能忠敬測量日記 ~大隅国内之浦郷岸良~  佐々木実然

14 舟木の記念碑建立について              佐々木実然

15 江口家起請文                       橋口 満

16 下甑島手打に「富ヶ尾・高山移住記念碑」が完成  橋口 満

17 「士踊り」について(其の二)               井原政純

18 水物語 ―高原の水道―                中島勇三

19 地名散歩(10)                       中島勇三

20 金剛寺住職 暉峻普瑞(テルオカ・フズイ)      閏野志郎

21 高須の「主(ぬし)とり ―御社あずかり」について  上原義史

22 国産ロケット生みの親・糸川教授と

              実験を支えた内之浦婦人会    橋本雅子

23 ある考察                          平石承一郎

24 お茶と情けは濃々と                    江口 ヨリ

25 南九州上代史に関する17の論点            松下高明

 以上が55号へ寄せられた論文の数々である。

 興味ある方は事務局あて郵便振替で代金を納入して下さい。

 

 【購入方法】

 下記あてに2290円をお振込み下さい。受納次第、すぐにお送りします。

 大隅55号 代金 2000円

        送料  290円      合計 2290円

 

 振込先  郵便振替 02000-2-11027(右詰め)

       〒893-0042

         鹿児島県鹿屋市池園町2245-5

            大隅史談会事務局

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鹿屋城址公園の桜と展望(鹿屋市北田町)

このところ西風が強い。これが東に移動し、関東や東北・北陸などでは「春の嵐」を通り越して春の台風のような風が吹きまくったようだ。

 今年は「春一番」が春分の季節の前には吹かなかったが、今度の風は肌寒いのでむしろ「花冷え」を感じさせる風である。

 桜は一昨日、昨日とほぼ満開を迎えたが、折からの強い風の中、散り急ぎ始めている。

 鹿屋では串良の平和公園や吾平山陵あたりが桜の名所だが、そこここにある公園にはたいてい桜が数本から数十本植えられており、それぞれ見頃を迎えている。

 鹿屋の中心部にほど近い北田池公園を見下ろす丘の上に「鹿屋城址」があり、そこにも20本くらいの桜が植えられ、いま満開になっている。001 鹿屋城は別名「亀鶴城」とも呼ばれ、築城主は津野四郎兵衛で鎌倉時代初期の承久年間(1219~1222)と言われている。串良の鶴亀城(現在の串良小学校辺り)を築城したのも津野氏らしいので、串良院・鹿屋院にまたがって勢力をふるった一族のようである。009 一昨年は城址の台地部分と比高40㍍はある崖面とを仕切っていた竹藪や雑木が払われ、去年は展望所の改良が実施されたので、公園としての面目は一新した。

 展望所はコンクリート製の2階建てだが、2階に上がってみて驚いたのは、窓から見える本丸方面の眺めである。004大きく横長に切り取られた壁面一杯に満開の桜とクス若葉が、一枚の絵巻のように見えるではないか。腰までの高さの壁面にサイケデリックなデザインで原色が使われているのがちょっと気になるが、外の風景はそれ以上に心に響く。005展望所の先端から南を望む。右手下に「北田池公園」があるが、ホテルが邪魔していて見えない。公園の横を旧国道220号線が左右(東西方向)に通じている。右へ行けば海上自衛隊鹿屋航空基地前を通って垂水方面へ。また左へ行けば北田交差点から旧市役所前を過ぎて笠野原大地に上がり、寿町から笠野原を通過して鹿屋バイパス(現在の国道220号線)と合流して志布志方面へ。

 右手から奥の方に連なるのはこの城山台地の流れで、平成3年に造られた新市役所まで次第に低くなりながら肝属川と下谷川の合流地点に到る尾根筋である。新市役所辺りには「古城」(国司山)があったようである。006東を望むと、その中心には平成19年に開業した「リナシティかのや」がある。旧国道220号線はこの建物の右側をすり抜けて向うの台地に上がるが、もっと右手から登って行く道があり、その道は「曽田トンネル」という名のトンネルをくぐって台地へと上がって行く。

 そのトンネルの手前の町を「曽田町」というが、江戸時代には「曽田門(そだかど)」と名付けられ、薩摩藩独特の門割(かどわり)制度下でもあった肝属川沿いの由緒ある地名である。007東から北東方面に眼を転じて肝属川上流方向を眺めると、ブラウン色のビルの先で肝属川は曽田町からリナシティ辺り(古前城町)まであった広々とした川沿いの田地が急に狭められ、大きく右手へ迂回する。

 そこには「和田井堰公園」がある(打馬町・王子町)。湧水が豊富な所で、公園の東南には「鹿屋元城」があった。この打馬地区も曽田地区と同様に広い田がひろがっており、古代から人の住みやすい場所であった。

 南九州の「曽の国」の中心があったともいえる地域に他なるまい。今後、解明を進めていきたいと思っている。














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初モンシロチョウとミツバチ(鹿屋市下堀町)

昨日の午後はスギ花粉が「非常に多い」の予報通り、外仕事をしていてくしゃみを何回もし、鼻水も出てきた。

 あと2週間もすればスギ花粉も下火になるのだが、なにしろスギは我が家が建っているようなシラス台地にも植林され、近隣の低い山々では頂上付近までスギ林であることも珍しくはない。

 こんな大隅で花粉症に悩まされるのは、外来種(外部からやって来た人間)しかいないようだ。現に職場には12名がいて自分以外はすべて大隅産、うち一人だけは鹿児島市からだが、誰ひとり花粉症を持っている者はいない。

 町を巡回していても高齢者ほどノーマスクが多い。若い主婦層で車を運転している者に意外とマスク着用が多く見受けられるが、あれは花粉症よりも子供の風邪やインフルエンザ対策なのかもしれない。

013 我が家の近くの下堀町の県道を車で走っていて、道辺に咲く菜の花を眺めているとモンシロチョウが目に入った。今年モンシロチョウを見るのは初めてだ。車を左端に寄せ、降りて近くまで行ってみる。014 よく見ると、モンシロチョウのすぐ近くにはミツバチがいて仲良く蜜を吸っている。

 ミツバチは他にも2,3匹飛び回っているが、彼らが飛び回るたびに足に着けた菜の花の花粉が飛び散るのか、花(花粉)の匂いがする。マスクをしているからくしゃみには繋がらないが、それでも匂うからには花粉より細かい香りの成分のせいか。

 いずれにしても、春が来たな―を実感する光景だった。

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ミツバツツジ、白モクレン(鹿屋市北田町、田崎町)

梅が終わり、並行して咲いていた椿も落花したが、この頃になってミツバツツジ・白モクレン・菜の花が盛りを迎えている。

 こちらで咲くミツバツツジは正確には「ハヤトミツバツツジ」と言うようであるが、樹木の態様に大きな違いがあるわけではない。葉に先立って見事な蓮華色の花をびっしりと咲かせる。001 鹿屋市中央公民館前のちょっとした庭園にかなり大きなミツバツツジがある。ここのは日当たりが良いせいか丸く枝を伸ばして上へはあまり伸びていない。それでも先端まで3㍍近い。003 光線を透かして見た花弁の色は、何とも言いようのない気品がある。002何かを記念して造成した庭園は「友愛の苑」と名付けられている。

 碑文を揮毫したのは15年ほど前まで市長だった蒲牟田喜之助という人物で、この人は元県庁職員。鹿屋の「高隈ダム(大隅湖)」の建設に奔走したあと、助役に採用され、のちに市長に担ぎ出された。鹿屋出身以外で市長になったのは多分この人だけだろう。それほど高隈ダムの造成は鹿屋(笠野原大地)の役に立った。

 ちなみに今の嶋田市長は鹿屋市出身だが、公務員を経験していない純民間出身者としてはおそらく初めての人だろう。その手腕が見どころである。

 さて帰り際に立ち寄った田崎親水公園。ここの駐車場には大きな白モクレンの木があり、ちょうど満開を迎えていた。004 高さは15メートルほど。一本だけだが、根元近くから枝分かれしていて大きく広がっている。005 下から天辺まで同じような花着きなので、木全体がイルミネーションのようだ。008 気品という点ではミツバツツジに負けていない。すがすがしい。

 それにしても先昨日(3月6日)のスギ花粉は猛烈だった。朝7時半頃、いつものように天気予報の中の「花粉情報」を見ていたら、何と、「極端に多い」という。

 花粉の飛散状態を表す言葉としては「少ない」から始まり、「やや多い」「多い」「非常に多い」「猛烈に多い」となり、最高は「猛烈に多い」かと思っていたのだが、「極端に多い」というレベルは初めてだった。

 別の言葉で言えば「メチャクチャに多い」ということだろうか。くわばら、くわばら。

 勤めを休み、一日引きこもったこと、言うまでもない。おかげで、くしゃみの連発や鼻水の噴水、さらには夜中の鼻づまりもほとんど無かった。レーザー治療の効果も大いにあるのだろう。アリガタや、アリガタや。

 「花」を語って、「鼻」で終わり。おそまつ!
















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平田靭負の子孫が講演(鹿屋市高須町)

鹿屋市高須町出身で、あの木曽川治水工事の総奉行(薩摩藩家老)であった平田靭負(ゆきえ)の9代目の母方の子孫という平田靭久氏の講演が高須学習センターの集会室で開かれた。

 ルーツは鹿児島市内伊敷町にあり、そこは靭負の子孫が代々いた所であったが、いつしか男子が絶え、鹿屋市の高須町の岩元家に嫁いだ娘の子で平田家に入籍したのがすなわち今日の講演者・平田靭久氏である。

 現在は姉の嫁ぎ先の大阪のバネ製造会社に役員として属し、かたわら木曽川治水を行い、辛酸のうちに完成させた「薩摩義士」の物語を説いて回っている。003_2 それも「紙芝居形式」を採用して、迫真の演技を見せてくれた。これなら歴史に関心の薄い小学生などにはもってこいのアイテムだ。004_2 開始直前、何を取り出すのかと思ったら武士の月代だった。001 今日は「開設30周年記念講演会」ということで、高須出身で平田靭負ゆかりの人を講師に呼んだということである。008 講演終了後、高須の「刀踊り保存会」会長が挨拶とお礼にマイクを握った。

 講演の骨子は「木曽川治水により薩摩藩はそれ以前にあった70万両という借金に加えてさらに40万両の借財を生じさせた責任を取り、総奉行・平田靭負は江戸幕府が完成の検分をし、これでよし、との回答を得た翌日、割腹して果てた。」というもの。

 江戸時代、幕府は外様で規模の大きい大名の力を削ぐべく、各地の治水や城の修築などに駆り出した。いわゆる「御手伝い普請」といい、この木曽川治水の規模は前代未聞の莫大なもので、出費した40万両は薩摩の自弁、幕府が出したのはわずか1万両ほどだったという。

 工事への度重なる嫌がらせ、食事の粗末・・・耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、という言葉通りの難事業だった。ゆえに幕吏への怒りを隠忍自重し、耐えられなくなって自害するもの53名、不衛生な食事によって赤痢などで命を落とすもの30余名という犠牲を払い、検分に来た幕府方役人をうならせるほどの出来栄えだったという。

 「全く自分の利益にならないことへ精力を注ぎ、その結果が他者の役に立つ」というのを「義」というが、薩摩藩士はその通りのことを成し遂げたのである。よく「赤穂義士」などと言うが、あれは「義士」ではない。わが家の恨みを晴らしたに過ぎない。たしかに2年余もかかって見事に主君・浅野内匠頭の敵討ちをした業績は認めるが、それはあくまで主君への忠節を貫いたということであって、仇討によって当事者以外の誰かが利益を得たわけではない。

 そこに「薩摩義士」との大きな違いがある。薩摩義士は自腹で本来地元である美濃・尾張の大名がやるべき治水をやらされ、見事に完遂した。その結果は薩摩藩に何の利益もない。まさに「義」を実行したのである。永遠に語り継がれるべき業績だろう。(合掌)

 追記:旧日本軍60万がソ連によって強制連行され、酷寒のシベリヤでインフラ整備や建設に従事した挙句、6万もの死者を出したのも、「義」だろう。木曽川治水とは規模も死者数も違うが、義挙であることに違いはない。それにしてもソ連とはひどい奴らだ。感謝も知らぬ。



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初梅(鹿屋市共栄町)

季節はいつの間にか春の兆しを運んでくれた。

思いがけなく、町の真ん中に梅が蕾を開いていた。今年目にする初梅である。025 旧専売公社の裏庭にある古木の梅の木が1分咲きだった。昨日の夕方から気温が上がって来たと感じていたが、梅の開花はまだまだだろうと思っていたのだ。024 我が家の梅は一輪すら咲いていないので、驚いた。と言うより得した気分になった。023 これから市内のあちこちで見事な梅を目にすることだろう。







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ヒメ・ヒコ公演(鹿屋市大手町リナシティかのや)

鹿屋高校出身で沖縄に長いこと過ごし、5年前に帰ってきた松永太郎氏演出の「ヒメとヒコーある王の物語」の5回目の公演があり、観に行ってきた。010

 場所はリナシティかのやの大ホール。450席ほどあるホールだがほぼ満席だった。昨日の土曜日には昼と夜の2回の公演があったそうだが、同じように活況だったようである。

 今回は鹿屋市吾平町の中尾遺跡(地下式横穴古墳群)で発見された「象嵌装太刀」をミュージカルの中に取り入れていたが、タイムリーな演出であったと思う。

( 象嵌装太刀の発見に触れたブログはすでにアップしてあるのでこちらを参照して下さい。)

 今回はおととしに観て以来2度目だが、演じる高校生の演技力・歌唱力どれをとっても数段の上達ぶりで、たっぷり堪能できたと思う。

 毎年演出が微妙に変化していくのも新鮮だ。出演の高校生(鹿屋女子高・鹿屋中央高・鹿屋高・鹿屋農業高・鹿屋工業高・国分中央高)も毎年メンバーの出入りがあるので、当然と言えば当然だろう。

 フィナーレは純な高校生に戻り、舞台の完結を歌って終わった。

 奄美のヒメと大隅のヒコが結ばれるというのが主題の演劇だが、大隅の高校生たちに、彼らの協同で成し遂げた思い出としてかなり大きなインパクトを与え続ける行事である。これからの継続と発展を願う。

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