このところ西風が強い。これが東に移動し、関東や東北・北陸などでは「春の嵐」を通り越して春の台風のような風が吹きまくったようだ。
今年は「春一番」が春分の季節の前には吹かなかったが、今度の風は肌寒いのでむしろ「花冷え」を感じさせる風である。
桜は一昨日、昨日とほぼ満開を迎えたが、折からの強い風の中、散り急ぎ始めている。
鹿屋では串良の平和公園や吾平山陵あたりが桜の名所だが、そこここにある公園にはたいてい桜が数本から数十本植えられており、それぞれ見頃を迎えている。
鹿屋の中心部にほど近い北田池公園を見下ろす丘の上に「鹿屋城址」があり、そこにも20本くらいの桜が植えられ、いま満開になっている。
鹿屋城は別名「亀鶴城」とも呼ばれ、築城主は津野四郎兵衛で鎌倉時代初期の承久年間(1219~1222)と言われている。串良の鶴亀城(現在の串良小学校辺り)を築城したのも津野氏らしいので、串良院・鹿屋院にまたがって勢力をふるった一族のようである。
一昨年は城址の台地部分と比高40㍍はある崖面とを仕切っていた竹藪や雑木が払われ、去年は展望所の改良が実施されたので、公園としての面目は一新した。
展望所はコンクリート製の2階建てだが、2階に上がってみて驚いたのは、窓から見える本丸方面の眺めである。
大きく横長に切り取られた壁面一杯に満開の桜とクス若葉が、一枚の絵巻のように見えるではないか。腰までの高さの壁面にサイケデリックなデザインで原色が使われているのがちょっと気になるが、外の風景はそれ以上に心に響く。
展望所の先端から南を望む。右手下に「北田池公園」があるが、ホテルが邪魔していて見えない。公園の横を旧国道220号線が左右(東西方向)に通じている。右へ行けば海上自衛隊鹿屋航空基地前を通って垂水方面へ。また左へ行けば北田交差点から旧市役所前を過ぎて笠野原大地に上がり、寿町から笠野原を通過して鹿屋バイパス(現在の国道220号線)と合流して志布志方面へ。
右手から奥の方に連なるのはこの城山台地の流れで、平成3年に造られた新市役所まで次第に低くなりながら肝属川と下谷川の合流地点に到る尾根筋である。新市役所辺りには「古城」(国司山)があったようである。
東を望むと、その中心には平成19年に開業した「リナシティかのや」がある。旧国道220号線はこの建物の右側をすり抜けて向うの台地に上がるが、もっと右手から登って行く道があり、その道は「曽田トンネル」という名のトンネルをくぐって台地へと上がって行く。
そのトンネルの手前の町を「曽田町」というが、江戸時代には「曽田門(そだかど)」と名付けられ、薩摩藩独特の門割(かどわり)制度下でもあった肝属川沿いの由緒ある地名である。
東から北東方面に眼を転じて肝属川上流方向を眺めると、ブラウン色のビルの先で肝属川は曽田町からリナシティ辺り(古前城町)まであった広々とした川沿いの田地が急に狭められ、大きく右手へ迂回する。
そこには「和田井堰公園」がある(打馬町・王子町)。湧水が豊富な所で、公園の東南には「鹿屋元城」があった。この打馬地区も曽田地区と同様に広い田がひろがっており、古代から人の住みやすい場所であった。
南九州の「曽の国」の中心があったともいえる地域に他なるまい。今後、解明を進めていきたいと思っている。
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