雄川の滝

 6月19日と23日は梅雨本番らしき結構な雨が降った。

 特に19日は台風襲来を思わせる強い西風とともに時間雨量で40ミリくらいの雨が4、5時間は降ったから、総雨量は200ミリを超えた。
 4日後の23日も強い雨が降ったが、この日は総量的には19日の半分くらいだった。

 合計すると300ミリから400ミリくらいで少ない量ではないが、同じ頃に種子島・屋久島などでは倍の量が降っており、さすがに降る量が違う。

 さて25日は朝から晴れ上がり、かねてから雄川の滝と整備されたと聞く周辺の様子を見たいと思っていたこともあって家内と行くことにした。

 根占川北の雄川橋手前の信号を左折し、「八島太郎生家」と看板のある道路をさらに400mほど進むと「雄川の滝入口」の道路標識があり、それに従って右折する。

 途中の分かれ道に高齢者が立っていて、車を止めるように指示され話を聞くと、雄川の滝への遊歩道は数日来の雨で一部が冠水しているため通行止めになっている――とのこと。

 せめて駐車場までは行きたいのだが、と押し切ってさらに滝への道をたどる。

 雄川の滝上流部の水を利用した雄川発電所を過ぎてから7、800mで、以前に比べるとかなり広くなった駐車場に到着(駐車場の直前で雄川の左岸側に渡る橋も見違えるほど広くなっていた)。

 家内を残して途中まで様子を見に歩いてみたところ何ら冠水の様子も見られないので、一緒に行くことにした。

 滝つぼまで1200mだが、確かに3分の2ほど歩いた箇所で冠水しているところがあった。囂々と流れる川がすぐそこを流れる場所で、余分な水が幅5メートル位、深さ20センチくらいで遊歩道を覆っていた。

 トレッキングシューズに近いものをはいていたので脱ぐのも面倒で、そのままじゃぶじゃぶと歩いたが、水の流れはほとんどないので危ういことは全くなかった。

 そこを過ぎると滝の上部が木立の上にわずかに見えたが、今日は発電用の水を取水して余った水(滝として落とす水)の量が「半端ない」ため、すさまじいほど白濁した川の水が頂上部から落下しているようだった。

 なるほどその通りであった。

 周辺整備事業で新たに作られた木製の展望テラス(2階建て)の向こうに、耳をつんざく滝の音と滝つぼから白煙となって湧き上がる水しぶきが怒涛の迫力で迫っていた。

 しばらく圧倒される思いで写真を撮ったり、スマホでビデオ撮影をしてから満足して帰路に就いたが、途中で地元の人に出会った。どうやら我々を心配して様子を見に来てくれたらしい。

 申し訳ないとは思ったが、ただ一箇所の冠水のために通行止めにするのは勿体ないとか、遊歩道の冠水しやすい箇所をコンクリートで嵩上げすればよいとか、今日は午後からは通行止め解除をしたらどうかとか、要望を言っておいた。

 案の定、帰路に二股地点で女性グループの乗った車が例の高齢者の係員に止められて戻されたのに出くわしたがが、どこから来たのかを問うと、鹿児島空港のある溝辺からだそうで、せっかく遠路はるばる来てこのありさまでは腹が立ったろう。

 昨日(24日)はいざ知らず、今日(25日)は朝から晴れ間が広がり、川の水量も減りこそすれ増えることはないのだから、ただの一箇所の冠水のために通行止めにしてしまうのはどうかと思った。そこに監視員を一人配置すればよいことで、あのド迫力の落水を目の当りにしたら感激すること間違いない。

 
 もっとも雄川の滝には、頂上部から川の水が落下するのを見ることのできる安全な場所がある。

 それは佐多中央線の「滝見大橋」から佐多方面に300mほど走り、道路標識に従って左折すればやはり300m位で「雄川の滝上部展望所」である。

 道路には駐車スペースがあり、左手へほんの30mも下りれば木製の展望デッキに出る。そこから見下ろす滝もダイナミックで、一風変わった滝の鑑賞が楽しめる。

 また、幅は優に50mはある石畳の雄川の広い流れが、阿多溶結凝灰岩が見事に切れ込んでいる頂上部で半分ほどに収斂して一気に流れ落ちる(というより飛び落ちる)様は息をのむほどだ。

 ここは高齢者でも幼児でも気軽に行ける場所で、6月19日のような大雨の降った直後に出かければ胸のすくような光景が目の当たりに見られるだろう(ただし、木製デッキなので濡れていたら滑りやすい)。

 

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鬼界カルデラが再噴火?

 5月30日の夜9時から放映されたNHK・BSプレミアム「鬼界カルデラの謎に迫る」は非常に興味ある特集だった。

 鹿児島の南の海に浮かぶ薩摩硫黄島は「鬼界カルデラ」の大噴火によって生まれた島で、そこの最高峰・硫黄岳は外輪山の一角をなしている。

 大噴火は今から7300年前のことで、噴火の規模はここ1万年に限ると地球上でもっとも大きかったという。

 その影響で南九州の大半が壊滅的な打撃を受け、特に高度な縄文早期の文明を誇っていた鹿児島地方ではそれらがいったんは滅び、再び人類が住めるようになるまで500年は要したろうと言われている。

 鬼界カルデラ大噴火の噴出物は遠く1500キロ離れた関東地方にまで降り積もっており、これがもし現代に起きていたらたとえ数センチの火山灰でも、東京など高度に発達した先端都市は機能がマヒするという。

 最近よく話題になる「富士山大噴火」だが、宝永の大噴火でも火山灰の及ぶ範囲はせいぜい100キロレベルだったことを考えると、いかに鬼界カルデラの噴火がすさまじかったかが分かる。

 噴出後に生まれたカルデラの直径は東西が22キロ、南北が18キロもあり、東京23区がすっぽり入る大きさである。

 そのカルデラの内部には現在の地球上でもっとも大きい「溶岩ドーム」が確認されており、神戸大学の研究チームが俳優の滝沢秀明に素潜りをさせて海面から30m下に山頂のあるドームの岩石を採取するという番組の目玉の調査を行った。

 その結果わかったことが恐ろしいものだった。

 鬼界カルデラの内部にある溶岩ドームの成因はどうやら、「大噴火後に生まれた陥没すなわちカルデラの底から新たなマグマが上昇して形成された」というのだ。

 溶岩ドームの岩石を採取・調査するまでは、7300年前の大噴火で出し切れなかった残りのマグマが盛り上がっただけなのかもしれない――という考えもあったのだが、今度の調査でカルデラの中央に盛り上がっている世界最大級の溶岩ドームは、7300年前以降に新たなマグマが上昇してできたものと判明したわけである。

 つまり7300年前の大陥没のあと、カルデラの底から新たに次々にマグマが上昇噴出して海面下30メートルの高さにまで成長したということで、いつ何時、カルデラの蓋になった溶岩ドームを吹き飛ばすような大爆発が起きるかもしれないのだ。

 同研究チームの専門家は「大噴火の確率は1パーセント」と言い、「たった1パーセントでも明日起こる可能性はある」そうで、どうしたらいいのかというと、前兆現象を捉えて情報を発信し早めに対処していく――と言うが、もし起きたら数百度の熱を持った火砕流によって南九州はほぼ壊滅だろう。

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吾平神野の春

 鹿屋市吾平町の神野地区は5年前に神野小学校が閉校となり、鹿屋市内で過疎化が最も進んだ地域だ。

 現有の人口は160人くらいで、高齢化率も優に50パーセントは越えている。

 三昔前はこのような地域では「田園まさに蕪(あれ)なんとす」の危惧の対象であったが、今は「集落営農」という考え方と、機械化のおかげで、何とか集落の田がが荒れてしまうのは避けられている。

 集落営農と言っても明確に組合的な農業法人のようなものを設立して運営しているわけではなく、「困った時はお互いさま」というような伝統的な考え方に基づいているわけで、もうこれ以上の過疎化はないだろうという一種の諦観にも似た共通の思いが人々のモチベーションになっている。

 過疎化の行きつく先は「集落崩壊」などという空恐ろしい論調も見られる昨今だが、この神野地区はそんなつまらぬ知性をやんわりと跳ね返す力を秘めているように見受けられる。


 天気が二日続き、2月の10日前後から始まったスギ花粉の飛散と、それに引き続くヒノキ花粉の飛散もほぼ終息したので、久しぶりにマスクを外して吾平郊外の森林地帯を訪れてみた。

 吾平自然公園に行ってみると「土日祝日のみ営業」とあり、例の「ウォーターパール館」は見られなかったが、圧倒的な新緑の中を歩き、すぐ近くを流れる清流・姶良川のせせらぎを聞くことができた。

 公園の中には楠・椎・カエデなどの樹間にシャクナゲが植えられている。残念ながら花を5つ6つ付け残しただけで大方は盛りを過ぎていた。ただ一株の高さ1メートルにも満たない若いシャクナゲがまだ満開の余韻を残しており、そこに二匹のマルハナバチがせわしそうに花から花へ飛び回っていた。

 公園を出てほんの少し上流に走ると道路の左手は広い田んぼ地帯だ。

 まだ田植えして10日くらいしかたっていないような田がずうっと広がり、向こうに見える吾平富士こと中岳(677m)が田面に影を写していた。吹く風はじつに爽やかである。

 こんな風景は永遠に残してほしいものだ。(※ホームページ『鴨着く島おおすみ』のトップページに写真あり)

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鯉のぼり

 去年の4月末に生まれた初の男孫を祝って、今年は5月5日の一か月前に鯉のぼりを立てた。

 立てたはいいが、今日はあいにくの雨で、しかも西風がかなり強かったので上げることを見合わせていた。

 しかし夕方になって晴れ間が見えたので、吹き流しだけでもとポールに取り付けてしばらくしたら、夕日が赤々と照らし出したではないか。

 見ると吹き流しは強い西風に負けじと、千切れるばかりに美しい五色の流れるような姿を見せている。

 五色は魔よけの意味を持っているらしいから、おおいに風に順応して我家と孫たちの安寧をもたらして欲しいものだ。

 ※ホームページ『鴨着く島おおすみ』のトップページに写真あり。

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ソメイヨシノの開花

 今朝のニュースで、宮崎市では昨日桜の開花宣言が出されたそうだ。

 鹿児島でもと思ったが、一日遅れるようである。

 大隅地区では田崎グラウンドゴルフ場の桜がすでに二日前から咲いていたが、鹿児島の標本木ではまだだったらしい。


 今日は昼前に仕事を終え、少し汗ばんだので高山のやぶさめ温泉に入りに行ったが、道路入り口から温泉施設までの100メートルほどある沿道の桜並木がちらほらと咲きはじめていた。

 青天に映えて初々しい限りだった。

 ここも一昨日くらいが開花日だったようである。

 
 昨年は三月に入ってからが寒く、開花は遅れに遅れ、統計を取り始めて最も遅い4月5日だったから、今年は実に3週間も早い開花宣言ということになる。

 もっとも、去年が遅すぎ、今年が早すぎたので極端に開花日の差がついたのである。

 花芽の休眠打破に必要な低温期間が、今年は非常(異常)に長かったのが原因だろう。何しろ去年の十二月から今年の2月までの間、ほぼ三日に一度の割合で霜が降ったのだから。

 鹿屋に住んで丸15年になるが、こんなに霜の降りた冬は初めてだった。

 三月になるとぐんと気温が上がり、霜も軽いのが5回ほどに減って、日中は汗ばむような日もあったので、今度は花芽が一気に膨らんだのだろう。


 気になるのは満開がいつかということだが、来週はやや低温がぶり返しそうなので開花のピッチは落ちるだろうから、10日後という見当だろうか?

 春休みには満開のもと、家族そろっての花見が楽しめそうだ。

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初メジロの到来

 3月に入っていわゆる「三寒四温」が続いている。

 昨日までの3日ほどは悪天候だったが、今日は一転して上天気になった。天気予報によると、この好天は4,5日続くらしい。

 春先で晴天が続くと困るのがスギ花粉だ。

 今年でもう28年目に入った花粉症だが、ここ10年くらいはスギ花粉が飛び始める一週間くらい前から予防的に抗アレルギー剤を飲むようにしているので、非常に楽になった。

 外出時、たとえ庭先に出るのにもマスク着用が必定なのは面倒といえるが、抗アレルギー剤のおかげで、今頃のような花粉飛来真っ盛りの時期でも晩酌ができるのはありがたい。

 予防的な薬をのむ以前は、花粉が飛散し始めてくしゃみを連発するようになってから慌てて耳鼻科に駆け込んでいたが、その頃は晩酌をすると鼻水が一層ひどくなり、寝る頃になって今度は鼻づまりに移行してしまい、寝苦しいこと尋常ではなかった。

 今は嘘のように楽で、酒飲みには助かっている。

 ところが今朝は珍しく鼻づまりで起きてしまった。喉も痛い。くしゃみとか悪寒はしないので風邪でないことは確かだ。思い当たるのは、昨日の午後、1時間ほど庭先にマスクをせずに出てちょっとした作業をしていたことだ。

 雨上がりの曇り空でスギ花粉が飛ぶ条件ではないと安心したのがいけなかったのか。たしかに風は強かった。スギはスギで花粉を飛ばすその日最後のチャンスだと思ったのだろう。してやられたな。

 というわけで、今朝は寝苦しさもあって寝坊し、午前中は庭を含めて家の外に出るのをやめることにした。

 久しぶりに朝日が良く当たり、そんな庭を眺めていたら、満開の寒の緋桜に今年初めてのメジロの姿が見えた。

 まだ山から下りて来たばかりなのか、どうやら夫婦(つがい)だけのようだ。下を向いた緋桜の花の中に頭を突っ込んでは枝から枝へと休みなく動き回っている。

 花は静の象徴、小鳥は動の象徴。そのコントラスト、そして色彩の妙は見ていて飽きない。

 一方で、乙女椿にはもう10日ほど前から満開を待ち切れずにヒヨドリが蜜を吸いに来ている。あの体で細い枝に掴まって花にくちばしを入れるのだが、吸い終って飛び立つときに大揺れになる枝からせっかくの花がポトリと落ちてしまう。ああ勿体ないぞ、ヒヨドリめ。

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新燃岳の再噴火

 霧島連峰の中央に位置する新燃岳(1395メートル)が2011年1月下旬以来、7年ぶりに本格的な噴火を始めた。

 3月1日から火山性微動や地震が多発し始めた矢先の、昨日(6日)の午後10時に噴煙の高さ2800メートル、また2時間後の7日午前零時には3000メートルの高さまで噴煙を上げ、同時に火口から半径900メートルにわたり噴石が飛んだという。

 7年前の1月26日の大噴火では、北西の風に乗り、、都城はもとより鬼塚山地を越えて日向灘に面する飫肥(日南市)にまで大量の火山灰を積もらせている。

 翌月13日に息子の結婚式が都城で行われ、式場となったホテルの駐車場に掃き寄せられた火山灰が山のようになっていたのが記憶に新しい。

 あの時は北西の風だったが、今度はいま北東風が強く、その風に乗って火山灰が霧島市方面に流れているようだ。

 NHKのテレビニュースでは霧島市の高千穂小学校の通学風景を写していたが、ヘルメットをかぶった上に傘をさして登校していたが、傘など役に立たない強い北東風で道路に落ちて溜まった火山灰が猛吹雪のように児童たちを包んでいた。

 鹿児島大学の火山学者の説では、新燃岳の今度の噴火活動は数十年から数百年に一度の規模が起こり得るそうで、7年前のあの大噴火も今度のと連動(同時の火山活動)しているらしい。

 同じ霧島連峰では、新燃岳より西のえびの高原スカイラインルート上にある硫黄山も火山性微動が多発しているし、また高千穂峰の鹿児島県側にある「御釜」噴火口でもやや噴気が上がったりして、トータルで見るとかなり火山活動が活発化している。

 また、広く鹿児島県全体の火山の活動を見ると、桜島も去年の夏以来の沈黙を破る小規模な爆発を始めたし、同じく去年の口永良部噴火、諏訪之瀬島の小規模噴火・・・と、徐々に活動を活発化させている。

 鹿児島県は霧島からえびの側に「加久藤カルデラ」、国分(霧島市)から桜島の間に「姶良カルデラ」、鹿児島湾の南部に「阿多カルデラ」、そして南海上の三島村の硫黄島をカルデラ火山とする「鬼界カルデラ」と、実に4つもの巨大カルデラを持っているカルデラ地形の見本のようなところである。

 この中の一つでも目が覚めて数万年から数千年に一回の大噴火を起こしたら、ほぼ鹿児島県は壊滅するだろう。新燃岳は加久藤カルデラの外輪山であるが、加久藤カルデラと姶良カルデラの両方の境界線(霧島連峰)上にあるので、注視しておかなければなるまい。

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3万年前からの地層

 鹿屋市吾平町の姶良川に架かる古市橋から肝付町高山方面への県道を200メートルほど行くと、両側から台地が迫って切り通しのカーブになっている箇所がある。

 去年の台風時の大雨でがけ崩れを起こし、いま年度末の改修完成に向けて工事が急ピッチで進められているのだが、のり面をきれいに削った結果、見事な地層が顕われている。

 上り坂なので道路と崖最上部との比高は平均で言うしかないが、目分量で平均は10メートル、のり面の長さは12メートルといったところだろう。

 ホームページ『鴨着く島おおすみ』の表紙に載せた現場写真で見ると、崖の最上部に近いのり面におそらく標高を一定に見通すためのものだと思うが、白っぽい板で✖点のように左右に直線状に打ち付けてあるのが見える。

 そしてその直線状の板に並行するようにオレンジ色の地層(幅は目分量で7~80センチ)が見えるが、あれが約7500年前に大噴火を起こした薩摩半島南部50キロばかりに位置する「鬼界カルデラ」由来の噴出物で、俗に「アカホヤ」火山灰と言われているものである。

 そのアカホヤ層は地表面から1メートル位と浅いものだ。その下には二つの火山灰層があるが、どちらも桜島由来の火山灰である。桜島がほぼ現在の姿になった約1万1千年前と、その何千年か前のものだろう。

 のり面の下半分は白い火山灰層だが、これが「シラス層」で、約27000年前の「姶良カルデラ」由来の噴出物である。大隅半島から宮崎県南部には相当な厚さで堆積しており、最も厚い所では100メートルに及ぶというから途轍もないカルデラ噴火による火砕流だった。

 また火山灰は偏西風に乗って、遠くは神奈川県の丹沢山塊でも5センチ位の堆積が見られるというから驚きだ。火山灰は拡散してチリ状になって空中高く舞い上がり、世界中を覆った可能性もあり、地球の気象に異変をもたらしたとも言われている。

 ところが、電信柱の向こうののり面の左右にシラス層が見えず、真っ黒い地層があるが、あれは大雨か何かでがけ崩れを起こしたのを埋め戻した新しい地層(?)だ。これはたぶん、昭和13年10月に大隅半島を襲って大災害をもたらした台風による大雨の時の鉄砲水的な土砂崩れの修復の跡だろう。

 先史時代の一万年単位の火山活動を示す跡(地層)と、現代に近い80年前の土石流災害の跡がコンパクトに同じ個所で見られるという非常に面白い眺めだと思う。

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SSー520ロケットの発射成功

 肝属郡肝付町内之浦にある「宇宙空間観測所」から2月3日午後2時3分に発射された超小型ロケット「SSー520」の5号機が見事に人工衛星を軌道に乗せた。

 天候は良かったもののやや風があって心配したが、去年の4号機が電気系統の不具合で失敗していたのを克服して超小型人工衛星の軌道投入に成功した。

 このSSー520機は全長がわずかに9.5m、直径が35センチというから、ちょうどどこにでも見られるコンクリート製の電信柱とほぼ同じ大きさだ。

 この中に搭載された東京大学の開発した人工衛星も超小型で、重さわずか3キロしかない。これで十分な機能を持っているのだろうかと誰でも思うが、なにしろ開発打ち上げ費用はたったの5億円だそうで、ピンポイントな役割には持って来いだろう。

 これまでのH2Aロケットだと開発打ち上げ費用が50億円もかかり、仮に失敗したとすると元を取るのに大変だ。ただ、搭載の人工衛星も大きなものなので、複数の役割を果たせる能力はあるが、一般企業ではおいそれと手が出せないだろう。

 そこへ行くと、今度のSSー520機は容易に手が届く。ホリエモンなら飛びつくだろう。何のために飛ばすかは分からないが・・・。

 いずれにしても、こんな小型ロケットなら、内之浦がこれからの打ち上げのメッカになるかもしれない。

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あいら木市

 今朝も相当に冷え込み、一月に入って5回目の降霜を見た。

 昨日(13日)から2日間、鹿屋市吾平町本通りでは恒例の植木市が開かれている。今年で25回か26回目になるという。

 昨日のちょうど昼の時間に行ってみたが、寒さの中なかなかの人出だった。露店で昼食用のものを買い、食後は植木などの露店を見て回った。

 植木では果樹が多く、購入したいと思うものもあったが、我が家の庭で定植する場所がほとんどなくなっているので、あきらめてベゴニアとヒヤシンスの鉢物を買った。

 そうこうするうちに本通りの真ん中あたり、鹿児島銀行の吾平支店駐車場に設けられた舞台で催し物が始まった。

 最初の出し物はエイサーで、カラオケ仲間の知人が参加していた。月に二回練習をしているという。足腰を鍛えるにはうってつけかもしれない。

 次は小学生による地元伝統の「そば切り踊り」で、明治時代だったか、薩摩半島の谷山から移住してきた人たちによって伝えられたそうだ。しばらく途絶えていたのを、2年前に小学生中心の子供会が練習の末に復活させたという。揃いの法被姿がりりしい。

 地元女性会の名舞台(迷演技?)はいつもながら笑わせてくれ、そのあとに今日のゲスト出演があった。

 「つむぎんちゅ」という奄美大島出身の男女ペアで、男性が福元、女性は肥後というプロである。どちらも大島的な姓ではないので、聞いてみると父親が鹿児島本土からの移住(?)者のようである。

 それはそれとして、男性の福元さんはお笑いの吉元に所属していたことがあり、本人の弁では「テレビ出演を果たしたが、視聴率を下げてしまい」、結局、やめて鹿児島に帰ったという。落ち込んでいる時に、蛇皮線が弾けることを武器に、二人組で演奏活動を始めたという。

 お笑い的な話は堂に入ったもので、観衆を盛り上げていく話術は貴重だと思った。

 木市は今日(14日)の15時頃まで。

 ※わがホームページ『鴨着く島おおすみ』のトップページにあいら木市の風景写真あり。

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