日米原子力協定の自動延長

 日本とアメリカの間で結ばれた「日米原子力協定」が自動延長された。

 この協定が最初に結ばれたのは1968年(昭和43年)であった。なぜ結ばれたのか?

 日本で昭和30年に原子力の平和利用を謳った「原子力基本法」が制定され、それが効力を発揮し始めた、つまり原子力発電所が建設されて発電が開始され、ウラン燃料が燃えたあとの変性廃棄物であるプルトニウムの「備蓄」が問題視され始めたからである。

 アメリカとしては原子力発電技術及び建設を売り込んだはいいが、日本がやたらに核兵器に転用される恐ろしいプルトニウムをため込んでしまうのは危険だ――との認識の下で規制をかけたわけである。

 何しろ、いまだに国連憲章上、連合国軍に逆らった枢軸国側の「旧敵国」なので、そういう国が容易に核兵器に転用できるプルトニウムをたくさん抱えたら、いつ何時また連合国側を脅しにかかるかわからない(ちょうど今のアメリカに対する北朝鮮がそれだ)ので、協定で日本を抑え込んでおくことにしたのだ。

 北朝鮮やイランが核開発を進めているのはそのような核保有国(主に国連安全保障理事会の常任理事国)への反発が大きい。

 これと同じことを「旧敵国」の日本にやられたのではとんでもないことになる――というのが根底にあるがゆえに、「日米原子力協定」で縛っておこうというのがアメリカの狙いだ。

 「緊密な」日米同盟がある以上、そんなことを日本がするわけがない(しようとしても「日米地位協定」「日米合同委員会」でたちまち葬り去られる)が、仮にもし日米安保が廃棄され米軍が日本から引き揚げても、日本の核武装はほぼ不可能になる。

 自分としては日本の「武装永世中立国」(日米安保廃棄が前提)が理想なのだが、プルトニウムによる核兵器生産・保有はいかなることがあってもするべきではないと考える。

 核使用の悲惨さを身をもって経験したのは日本だけであり、日本が永世中立国化した後で核廃絶をもっとも世界に訴えることができ、また世界の指導者たちの心に届く主張をすることのできるのも日本だけである。

 日本がこれまでの原子力発電によって貯め込んだプルトニウムは47トンだそうだ。これによって生産できるプルトニウム爆弾は6000発と言われ、これはアメリカ・ロシアに次ぐ量である。

 そのような核兵器を作らないとなれば、プルサーマル発電で使うしかない。すでにアメリカ側からプルトニウムをプルサーマルで消費しろと言ってきており、政府も「削減に努力します」と声明を出した。

 これから自民党政府は原子力発電の再開を許可していく方針のようだが、プルサーマル発電を行うはずだった不具合続きの「もんじゅ」の閉鎖が決まった。

 大地震・津波・火山噴火・大雨による大水害・山崩れなど平成になってから災害が相次いでおり、その極め付きの2011年(平成23年)の東日本大震災では東電福島原子力発電所が一歩間違えば炉心融解による大爆発で首都圏域まで汚染される事態になっていた。

 この山がちで狭く、火山噴火と地震の多発する国土の特性を考えれば、原子力発電は廃止した方がよい。ゼロでも5年もの間、言うところの「電力危機」は一度もなかった。

 いつ放射能汚染に曝されるかわからない――という不安感は子どもを育てていく上でのネックになり、より一層の「少子化」は避けられないだろう。

 

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沖縄慰霊の日

 沖縄戦終了の日が今年もやって来た。

 73年前の今日、前日に現地日本軍の司令官たちが自決し、組織としての戦闘は終わった。

 この日を記念して行われる「沖縄全戦没者慰霊祭」(正式名称は沖縄平和祈念式)の会場になっている摩文仁の丘の風景が流れる始めた時、ちょうど沖縄地方の梅雨が明けたというアナウンサーの声があった。

 空は晴れ上がり、遺族・来賓者席はテントで覆われているが、団扇や扇を使う人々が多かった。


 この6月23日、あるいはその前後の日に、沖縄では小学校を中心に『月桃の花』という歌が唄われることが多いようだ。

  
  月桃の花 (詞・曲 海勢頭 豊)

 1 月桃ゆれて 花咲けば 夏のたよりは 南風
   緑は萌える うりずんの ふるさとの夏

 2 月桃白い 花のかんざし 村の外れの 石垣に
   手に取る人も 今はいない ふるさとの夏

 3 摩文仁の丘の 祈りの歌に 夏の真昼は 青い空
   誓いの言葉 今も新たな ふるさとの夏

 4 海はまぶしい 喜屋武(きゃん)の岬に 寄せ来る波は 変わらねど
   変わる果て無い 浮世の情け ふるさとの夏

 5 六月二十三日待たず 月桃の花 散りました
   長い長い 煙たなびく ふるさとの夏

 6 香れよ香れ 月桃の花 永遠に咲く身の 花ごころ
   変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏 ふるさとの夏


 今日の慰霊の日の式典が行われているのが、3番の歌詞にある「摩文仁の丘」。

 またその丘から海への絶壁としてそそり立つのが、4番の詞にある「喜屋武の岬」。
 米軍の攻撃を逃れて摩文仁の丘に上がったはいいが、身を隠す余裕もなく、この岬から多くの人が海に身を投げた。

 沖縄戦は日本国内で初めての地上戦であり、同時にこれが最後の地上戦になった。当時の沖縄県民の25パーセントが戦闘・自決・巻き添えで亡くなったという大惨事だった。

 要するに本土の防護壁になったのである。その沖縄は今も日本(沖縄自身も含むとはいえ)の防衛最前線を担っている。その根拠が日米安保だ。

 日本中に点々と置かれている在日米軍基地の総面積の75パーセントを沖縄にある米軍基地が占めている現状は辛かろう。気の毒だ。

 在日米軍の再編成を促し、沖縄の基地負担軽減に努力している――などと安倍総理は式典で例のごとく挨拶していたが、単一の同盟国の軍隊(米軍)を置くこと自体が国連憲章に違反しているのだから、日米安保はもう廃止すべきだ。

 同時に永世中立も宣言する。そうすれば米軍を離れた日本が他の国と軍事同盟を結ぶのではないか――というアメリカ側からの疑心暗鬼も起こらないだろう。

 米軍がいなくなったら中国が攻めてくる、ロシアが北方領土を返すどころか一大軍事基地を置いて日本を威嚇する――などと言うアメリカ依存症に罹った人間はアメリカへ行ってくれ。そうしたら治るだろう。

 むしろ中国は新たな見直しで、日本と仲良くしようという機運が高まるし、ロシアは本気で北方領土交渉に乗ってくるだろう。(ただし、余りに対中・対露に打ち込み過ぎるとアメリカが不快になり、制裁などちらつかせるかもしれないからほどほどでなければならないが・・・)

 フリーになった日本外交は「永世中立国」というもっとも日本に相応しい看板で世界の引っ張り凧になる。中でも沖縄は世界最高のリゾートになること請け合いだ。

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日本は見捨てられる?

 昨日の「たけしのTVタックル」を見ていたら、6月12日の会談でトランプ大統領が金正恩に「米韓合同演習を中止する」「在韓米軍縮小・撤退も視野に入れている」という内容の話をしたことに関して、番組のテーマが「日本は見捨てられる」との論調に変わっていった。

 参加していた軍事ジャーナリストは、「在韓米軍がいなくなったら、日本は中国とロシアの二大軍事強国に囲まれてしまう。こんな危ない先進国は日本だけだ」と血相を変えてまくし立てていた。

 在日米軍がいなくなるのであれば、血相を変える人々は多数いようが、在韓米軍が縮小・撤退しただけでこのありさまでは、自国を自国の力で(軍事力もだが、平和外交によって)守るという発想は金輪際ないらしい。あくまでも在日米軍の存在を自明の理としている。

 情けない話だ。在日米軍の存在を可能にしている日米安保と日米地位協定こそが、1978年の米中共同宣言(による中国の開放経済化)及び1989年のソ連邦崩壊後の世界情勢にとって「不可解千万なシステム」なのである。

 一独立国家にとって、他の一国の軍隊が常駐している姿こそが「世界の非常識」なのであって、これは国連憲章も想定していない事態なのだ。戦後間もないころの疲弊しきった日本にとってたとえ内戦が起きても軍事に回す物資や金の余裕がない時代だったり、中国やソ連の共産勢力が世界の一大脅威だった時代ならいざ知らず、1989年以降世界的に冷戦は終結し、日本が共産勢力に侵攻される危険性は大幅に縮小した状況を考えれば、在日米軍が存在する意味は限りなく小さくなっっている。

 その頃のアメリカは日本が安保をやめると言ってこないでいるのを揶揄するかのように「あれ(在日米軍)は瓶の蓋(の役割)だ」と言っていた時期があった。つまり在日米軍は日本がアメリカに楯突いて来ないように押さえ込んでておく役割に変わった――と言ったのである。

 そのくらい世界情勢は変質しているのだ。軍事ジャーナリストの多くは在日米軍を忖度する立場だから仕方がないにしても、いつまでも国連憲章上想定外の「二国間軍事同盟」にしがみ付いていないで、日米安保は廃棄すべきだ。

 そうしたら待ってましたと中国がロシアが攻めてくるぞ、といつまでも子供だましで脅すのはやめよう。いったいどんな理由があって中国やロシアが日本を攻めるのだろう。この点について具体的に攻められる要因を述べている軍事ジャーナリストや日米安保堅持論者の話を見聞したことがない。

 金正恩なんかはその辺りを見透かし、「なぜ、日本は自分からこっちに出向いて来ないのだ。いつまでアメリカのヒモでいたら気が済むんだ」くらいな気持ちだろう。

 中国もロシアもそう思っている。

 安倍さんがいくらロシアのプーチンにゴマを擦っても、プーチンは「日米安保がある以上、北方領土を返還したはいいが、そこに米軍基地が置かれたらどうしようもない。」と率直に言っている。だからいくら経済協力で共同開発しましょう、と言っても経済だけの話で終わり、北方領土返還には結局応じないだろう。

 日米安保が無くなったら中国がまずは尖閣諸島を乗っ取りに来るだろう、というのが日米同盟堅持論者の言うところだ。そして日米安保があればこそ前のオバマ政権の時にヒラリー・クリントン国務長官が「尖閣諸島は日米安保の守備範囲に入っている」と言ってくれてそれが中国侵攻への抑止力になっているではないか――とも言うだろう。

 しかし日本の野田民主党政権の時に尖閣諸島を国有化したからこそクリントンが「そこは明確に日本領土になったのだから、日本を守る日米安保に基づき守備範囲に入れた」のである。勘違いも甚だしい。

 自民党政権下では長いこと尖閣諸島は個人所有のままだったわけで、もしその時代に中国が乗っ取っていたら米軍も手が出せなかったのだ。もちろん日本の自衛隊も出動できなかった。海上保安庁の船に中国漁船が体当たりしても武力で排除しなかったことからも明らかだ。

 第二次安倍政権で安倍さんが大変な外交努力をしているのは大いに認めるが、旧時代の日米安保(日米地位協定)を堅持している「ボタンの掛け違い」を是正しなければ、北朝鮮・韓国・中国・ロシアからこれまでのような侮りを受け続けるだけだ。

 日米安保を廃棄し、同時に「永世中立国」(ただし武装=自衛隊堅持)を宣言し、新たな平和外交国家日本を目指そう。

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